難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           












『田舎のバス』レコードジャケット


17センチ 45回転。三木鶏郎さんの名前も懐かしい。ラジオで良くその名を耳にした。元祖冗談音楽、元祖CMソングというすごい人。




大阪市バスのワンマンカー 
















































氷屋さんの『特車』 

夏場はよく氷を買いにやらされた。冷蔵庫用である。一貫目程度なら子供でも提げて帰った。 



『ユニバース』ビル 

ビルの東側入り口がダンスホール、西側がキャバレーだった。この写真はもっと後のもの。トランペットが聞こえたのはこのあたり。



現在の『千日前家具問屋街』入り口 

半世紀たっても、同じ場所にゲートがあるのが嬉しい。 



大阪球場

『南海』も『阪急』もこの球場も、今はない。



国鉄『湊町駅』

停まっているのは関西本線奈良行き。ジーゼルカー(気動車)であった。急行『春日』は名古屋行き、急行『大和』は東京行き。ホームの西側に貨物の操車場があった。 

     ページの上段へ

 平成27年 11月 15日
      街のやかましさは人間性を崩壊させる その2


 ありとあらゆる所がやかましい日本。 "街" に一歩踏み込むなり、我々は騒音の坩堝に落としこまれる。思考は分断され、感性は殻に閉じこもる。やっとの思いで喧噪を抜けでても、心と身体の硬直は解けないままだ。さて、どうしたものか。
 何事につけ、今の混沌を紐解くには、原初に戻るのが分かりやすい。また昔話を登場させることをお許しあれ。今回の例題は "バス" である。

 田舎のバスは おんぼろ車
 タイヤはツギだらけ 窓は閉まらない
 それでもお客さん 我慢をしてるよ
 それは私が 美人だか〜ら
 田舎のバスは おんぼろ車
 デコボコ道を ガタゴト走る
     『田舎のバス』( 歌;中村メイコ 作詞・作曲;三木鶏郎 )

 うんと昔、市電や市バスには車掌さんがいた。市電には男の、市バスには女の。停車場から停車場までの短い時間に、つり革に捉まる乗客たちの間を縫って、切符を切ってまわった。特にバスは激しく揺れるのに、車掌さんは両足でうまくバランスをとって、決してよろけたり人とぶつかったりすることはなかった。一文菓子屋には車掌さんのカバンを模した紙のオモチャが置いてあって、五円か十円を出してそれを買った子が、電車ゴッコで車掌さんをする権利を得た。車掌という職業はちょっとした憧れだったのである。

始めて出会った人工音声に驚く


 ワンマンカーというバスがあるのを知ったのは、小学校の終わり頃だったから、1960年前後かと思う。僕は大阪梅田の阪急百貨店前で信号待ちをしていた。(松下幸之助氏寄贈の大阪駅前陸橋が出来るのは、1964年のこと)右手の方から走って来たバスを指さして、二人の大人がこう言い交わすのを聞いた。
「あのバス、新式やろ、何て言うたかなぁ」
「あぁ、ワンマンや、ワンマン・バス」
「そや、そのワンマンや。そやけど、何でワンマンにするんかいな、はやり(流行)か?」
「バスに流行も廃りもあるかいな。そら、安つくからや」
 目の前を通り過ぎ、左手方向に去っていくバスは確かに「新式」の匂いをプンプン発散させていた。少し大型で塗装も明るい色に仕上げられている。でもこの時僕は、大人二人の会話の意味はよく理解できなかった。ワンマンとは何か、ワンマンなら安くなるとはどういうことか、等々。

 しばらく後、僕にもワンマンカーのバスに乗る機会が訪れる。
 しかし、その時に味わった驚きと後に尾を引く違和感は今でも忘れない。
 前扉から乗車して先に料金を払う。これは事前に誰かに聞いていたのだと思う、戸惑うことはなかった。ところが次の停車場が近づいたとき、大きな驚愕に襲われる。その驚きが決して僕一人のものでなかったことは、一緒に乗り込んだおじさんが、こう叫んだことでも分かる。
「えぇーっ、今日びの運転手は、女の声まで出さんとあかんのか!」
 少し説明がいるだろう。停車場が近づいたので、運転手がテープ・レコーダーのスイッチを入れたのである。次は××、△△前です、という案内が流れた。女の人の大きな声で。
 ただ、それだけの事なのだが …… 。

 その頃テープ・レコーダーはまだ一般的でなかった。日本橋の電機屋街かどこかで、遠目に見た事はあったと思う。でも、それを人が操作するのを見た事はなかったし、再生音など聞いたこともなかった。
 市バスの営業所でも事情は同じようなものだったのだろう。専門のアナウンサーや録音技師などいなかったはずである。きっと、バスの車掌さんの誰か、例えば忘年会などで『東京のバスガール』を上手に歌うような人が抜擢されて、停車場案内を吹き込んだのだ。実際に車掌として乗車している時は〈車掌としての声〉で案内しているが、事務所で椅子に座り、机の上に置かれたレコーダーを前にして、彼女は大いに戸惑ったに違いない。こんな場所じゃ、どうしても車掌式の発声ができないわ …… 。そこで仕方なく〈普通の女の声〉で喋ったのだ。

 あの瞬間、バスの車内でおじさんと私に訪れたのは、
 第一に、〈人がいないにも関わらず人の声が響く〉という不条理であり、
 第二に、それが停車場案内であるにも関わらず、その定型の〈バスの車掌の声〉ではなく〈普通の女の声〉だったという場違いの感覚である。
 僕の心情風景をもう少し詳しく再現しよう。あのテープの声を聞いた瞬間、えっ? えっ? 誰が喋っているの? という驚きに襲わた。それが機械から発したものだと了解した後は、バスの車内という公の場所で、息づかいまで感じられる女の人の声を聞くことの恥ずかしさに捕らわれたのだ。だってそうでしょう、録音する時は、ほとんどマイクに接する位に近づいて喋る。子供は、そんな耳元で喋るような女の声など聞いたことが無いのです。あのおじさんだって、もしかしたら色っぽいことを随分とご経験された殿方だったかもしれないが、公の場で出し抜けにそれを聞かされたのでは、気恥ずかしさに捕らわれて当然だった。だからこそ冗談で照れ隠しをせざるを得なかった

記憶の核となる音と感情 それが認識となり 価値観へと成長する


 このワンマン・バスの一件はもう半世紀以上も前のことだ。記憶というものは、それほど長く保持できないものだと言う。それならば、この記憶は、私の記憶野のなかで無意識のうちに何度も繰り返し〈上書き〉されて現在に至ったものなのだ。何のために、どこへ行くために、誰と一緒に、このバスに乗ったのか? それらはすべて捨象されている。覚えているのは、バスの中に響いた女の声、おじさんが驚いて発した言葉、それと自分の驚きと気恥ずかしさの感覚、ただそれだけだ。
 つまりこの記憶の根幹は〈音〉と〈感情〉なのだ。それ以外のディテールは〈音〉と〈感情〉を記憶として成立させるための補完物として付加されているに過ぎない。いやこの一件だけではない。思いつくままに同じ時代の記憶を手繰っていくと、意識下の深い霧の中から浮かび上がってくるのは、ほとんどすべてが〈音と感情にまつわる記憶〉として再構成される。

 夏の朝は、よく氷屋さんの配達に出くわした。後輪の太い運搬用の自転車(僕たちは特車と呼んだ。それが乗りこなせたらお兄さん扱いをしてもらえた。)の大きな荷台で、シャッ、シャッ、シャッ、と氷を切る音。半分ぐらい鋸目が入ったら、ノコギリを逆さまに差し込んで手首を返す。氷は、パコッ、と二つに分かれる。その片方に手鉤で、チョン、チョン、と小さな穴を開け、鉤の先端を差し込んで、ゴロン、と地面に下ろし、ゴロ、ゴロ、引きずって配達先の店内へ運ぶ。
 学校の帰りには、ダンス・ホールの屋上で練習するバンド・マンのトランペットが聞こえた。さえぎるもののない天空へ濡れたような音色が次々と溶けこんでいく。路地の奥ではサックス奏者がダニー・ボーイを吹いている。奏者が建物を背にするのでなく、飲み屋のガラス戸などに向かって吹いていたのは、自分の音をよく聴き取るためだったのだろう。自分たちの楽器が一番気持ちよく鳴る場所がきちんと選ばれている。
 日本橋二丁目で堺筋を西へ渡ると『千日前家具問屋街』という看板のゲートがあった。夕刻以降、その下をくぐると、ジジジーッ、ジジジーッ、と発信音がする。見上げると、ネオン管の何本かが切れれかけていて点滅を繰り返している。
 夕食の後など、自宅の物干しへ出る窓を開けると、唸るような街のざわめきが聞こえる。風の向きによっては、ワーッ、という歓声が届いてくる。南海電車の線路沿いにある大阪球場とはかなり離れているのだが、きっと野村選手が二塁打ぐらいを打ったのだろう。この、ワーッ、ワーッ、が多い日は、南海ホークスが勝った日だったに相違ない。
 国鉄の湊町駅はさらに遠いのだが、雨の近い夜などは、操車場の汽笛の音や、貨物列車の連結器が、ガチャン、と鳴る音まで聞こえた。駅は自分たちの小学校から通りを二つ隔てただけの位置にあるのだが、小学生は通学路の反対側に行くことはめったにない。汽笛を聞くたびに、今度こそ蒸気機関車を見に行こう、と考えたものだ。

 こんな風に並べてみると、わざわざ記憶しておかねばならぬような出来事は何一つとしてない。日常のなかのごくありふれた一瞬が、無作為に記憶として取り込まれている。しかし、その一つ一つが、特徴的な音の連なりと穏やかな心地よさで満たされている。このささやかな〈音と感情にまつわる記憶〉こそ、私にとってはかけがえのない記憶であり、そののち長い時間をかけて上書き保存を繰り返して、認識とか、美意識とか、価値観とかに成長させてきたものである。
 これはとても大切なことである。考えの萌芽のようなものは、いつの間にかそのほとんどが消滅し、また発生しを繰り返すが、人の話を聞いたり書物を読んだりすることによって言語化が促進され、次第に「自分の考え」として対象化されていく。しかし、その根底に自分自身の確固とした価値観が含まれていなければ、「思想」として結実することはない。そしてこの自分自身の価値観とは〈音と感情にまつわる私の記憶〉という源泉に由来するものなのである。
 最初にあげたワンマン・バスの記憶は、人のいない所に人の声を発声させる反自然性と、感情とか意味の込められた男の声・女の声を人工音声に置き換えていくというもう一つの反自然性に対する、私の批判意識が、上書きを繰り返して今日に至ったものだ、と言える。

人間性を崩壊させるやかましさを、誰も問題視しないのは何故か? 


 私はただ単に、街のやかましさに我慢がならない、と苦情を述べているのではない。店舗内の騒音充満状態は、販売促進ではなく客離れを促進させているのですよ、と小売店の経営者に老婆心ながら申しあげているのでもない。この一文の標題どおり『街のやかましさは人間性を崩壊させる』と言いたいのだ。

 人間は、五感をフルに働かせて記憶を形成し、認識という知的営為につなげてゆく。
 五感のうち聴覚は、時間性という認識の枠組みを形成する媒体として機能している。
 嘘だと思うなら、自分の一番好きな歌を唄って所要時間を測ってみること。もう一度、同じことをする。1秒と違わない。
 また、最も原始的・根源的な喜怒哀楽の感情も聴覚に由来する。
 嘘だと思うなら、自分の一番好きなホラー映画を、音声なし、字幕だけ、で観てみること。まったく怖くありません。だるいコメディにしか見えない。

 だから五感は、ストレスなく伸びやかに機能しなければならない。街の環境が、五感を働かせる妨げになってはならない。聴覚環境における基準はあくまで自然音のみ。交通機関などから出る音などは、極力小さく押さえるという条件で「準」自然音とみなさざるをえないが、容認できるのはここまで。
 しかるに現況はどうか。人が集まるあらゆる空間は、電子音・合成音声・拡声器からの音楽もどき・絶叫調アナウンスで充満している。
 家へ帰れば、テレビが四六時中付けっぱなしになっている。粗悪なスピーカーからは、他人を押しのけても喋ろうとする芸人たちの胴間声や、終始アレグロ(速く)フォルテ(強く)で鳴り続けるJ・ポップや、最大音響情報量を詰め込んだCMが放射されている。スポーツ中継だって文字通り「鳴り物入り」の応援合戦でアナウンサーも負けじと絶叫を繰り返す。
 一人になればスマホだ。スマホからはイヤホンが伸びていて、ゲーム・アプリの電子音・衝撃音が速射砲の如く発射され、耳腔内で行き場を失っている。ゲームが終わればまたJ・ポップ。ちょっと書く手を休めて『価格.COM』で調べてみたら、イヤホン・ヘッドホンの類は、合計3000アイテム近い登録があった。家電の王者テレビでさえ380アイテムだよ。今この瞬間、全国で何人の人たちが、耳にイヤホンを差し込んでスマホの画面を叩いているのだろう。想像するだけでゾッとする。

 さて、こんな音響的環境の中で、
 子供は「健全に」育つのだろうか?
 少年は知性を得ることの重要性を悟るのだろうか?
 忍耐力と創造性を兼ね備えた青年に育っていくのだろうか?
 最初に述べたように、日常の中で外界から触発され、感興とともに記憶を作り、それを認識に高め、というシナプス増殖のプロセスがあってこそ、考えるという営為に赴くことが出来る。この基礎構築がなければ、どのような教育を施そうが、それらはすべてデーターの注入作業でしかない。学力テスト成績の世界ランキングなどを見て、日本はまだまだ上位にいるから教育は上手くいっているなんて、信じ込もうとしたってダメだ。日本の学校教育は、学力テストで良い成績を取るためのパターン・プラクティス(定型訓練)に堕ちて久しい。全人格的教育はほったらかしでも、テストの点だけは取れるのだ。

 不思議に思うのは、前に述べた中島義道先生以外、大変だ、大変だ、と騒ぐ学究が見当たらないことである。
 また不思議に思うのは、政治家も官僚も、まったくこれを問題視しないことである。
 さらに不思議に思うのは、教科書やら君が代やら日の丸やら、微に入り細にわたり子供の教育に腐心し、それを「国民運動」にしているはずの『日本会議』が、何とも言わないことである。
 
 きっと心の底では、これで良い、と思っているのだろう。だって、マニュアル化社会なんだ、馬鹿でも仕事ができる。おっと、馬鹿なんて言葉使っちゃいけなかったんだ。安倍晋三だって、国立大学に文系はいらないなんて言い出している。英語が喋れてパソコンが使えればそれでいいのだ。スマホさ与えておけば文句も言わないだろう。だから、接続料は安くしてやると高市早苗が言っている。

                ページの上段へ


 −−【その2】了−− 街のやかましさは人間性を崩壊させる 目次へ