難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           









槇文彦さん





幕張メッセ





ワールド・トレードセンター





京都国立近代美術館





東京体育館




































新国立競技場
ザハ・ハディッド案 鳥瞰パース

烏賊(イカ)の下足(ゲソ)に見えるのは進入通路だろう。外周道路を越え、首都高速をこえ、中央線方面まで無遠慮に伸びている。

10時の方向に小さく見えるのが聖徳記念絵画館。これじゃ明治天皇に失礼だろう。

5時の方向に縁だけ見えているのが東京体育館。

このパースがザハ・ハディッドさん作成のものだとしたら、槇さんの言うとおり、「どのような地理環境に競技場を建設するのかが、一切アナウンスされていなかった」ことの証明である。

あるいは、文科省かJSCが、鳥瞰写真とザハ・ハディッド案を合成したものだとするなら、その無神経さに呆れるより他はない。これを公式発表のイメージ資料とするとは、日本人的良識に喧嘩を売っているのと同じである。




私は即座に、
H.G.ウェルズ原作、
ジョージ・パル制作の
『宇宙戦争』
("The War of the Worlds" 1953)
を連想した。

火星人の乗る宇宙船の姿を見よ。


最初はこんな風に現れるが、



怪しく光を発したり、



殺人光線を発射したりして、

アメリカの田舎町を破壊しつくす。



































1955年頃の神宮外苑地図。

「国立競技場」とあるが、これはまだ学徒壮行会が行われた「明治神宮外苑競技場」である。敷地と諸建築物とのバランスを見ていただきたい。




絵画館前の銀杏並木





アテネ近郊
「パナティナコ競技場」





オランダ、フローニンゲン
「浮かぶ劇場」








     ページの上段へ

槇文彦さんの “新国立競技場案批判” を熟読する
     もうオリンピックなんか、止めてしまえ。 その13
                  (2019年 9月 1日)



槇文彦『新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える』を読む


 今回は、槇文彦さんの『新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える』という論考を、徹底的に熟読玩味してみる。

 槇文彦さんは、新国立競技場の建設について最も本質的な批判を続けてこられた人である。
 ここで改めて紹介する必要もないと思うが、槇さんは、数多くの公共建築物を手がけてこられた、日本屈指の建築家である。幕張メッセ、ワールドトレードセンター(ニューヨーク)、京都国立近代美術館などが、彼の手になるものであり、国立競技場との関わりで言うなら、競技場に隣接する東京体育館の設計者も槇さんであった

 2012年11月、新国立競技場設計コンペ最優秀賞にザハ・ハディッド案が選出されたすぐ後、槇さんは、この『新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える』を書かれた。だが、どの出版メディアからもその掲載を断られたという。せっかくオリンピック誘致が決まり、日本全体がその成功に向けて動いている時に、その流れに水を差すようなものは掲載できない、という理屈である。
 この文章で槇さんは、わざわざ一章を割いて、この日本では、公共建築物建設の成否が市民社会の意思とは全く無関係に決定されることを、手厳しく批判している。出版メディアの責任者たちは、まさにその批判の対象となっている行為をそのまま繰り返していることを、恥とも思わなかったのだろうか?
 一読すれば分かる通り、この論考は、2020年東京オリンピック開催に反対するような趣旨は一行も含まれていない。逆に、オリンピックを成功させ、「五輪レガシー」として後世に伝承させてゆくための真摯な提言である。その中身を読んだのか、読まなかったのか、いったん「お上」が決めたことに意義を差し挟んでいるという一点だけに反応して拒絶にの側にまわるとは、出版メディアも落ちるところまで落ちたものである。

 幸いにも、『公益社団法人 JIA 日本建築家協会』が正当に反応した。
 その機関誌『JIA MAGAZINE』“2013年8月号” に『特別寄稿』としてこれを掲載する。
 『JIA MAGAZINE』は、アーカイブとして PDFファイルで公開されているので、我々も読むことができる。
 “2013年8月号”の“12ページ〜17ページ”を、是非プリントアウトして読んでいただきたい。私も、下線を引いたり書き込みをしたりして、繰り返し読んだ。パソコンの画面は、どうも“熟読”には不向きのように思える。
  http://www.jia.or.jp/resources/bulletins/000/034/0000034/file/bE2fOwgf.pdf
  特別寄稿『新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える』

 どのような案件であれ、対象に最も現実性・具体性をもって肉薄しうるのは、アカデミズムでもなく、ジャーナリズムでもなく、いわんや政治家や官僚でもなく、その案件の「当事者」であるに相違ない。新国立競技場の建設というテーマについて言うなら、槇さんこそ、まさにその「当事者」であろう。新国立競技場建設問題に関しては百家争鳴の感がある。それならば、何を差し置いても、槇さんの発言に耳を傾けるべきである。

 ただし最初に確認しておく。槇さんは「ザハ・ハディッド案」を批判しているのはではない。ザハ・ハディッドさんは、コンペに応募ただけである。応募規定を遵守しての応募であり、そこからは何の逸脱もない。槇さんが批判しているのは、コンペを主催した側の主体性の問題である。つまり「コンペ主催者の仕事の進め方」を批判の俎上にあげている。より端的に言えば、国立競技場という巨大公共建築物を公募する主体の実務能力喪失を批判しているのである。
 槇さんは、「オリンピックなんか、止めてしまえ」というような「極端なこと」を言う人ではない。建築家、それも大きな公共建築物を何棟も手がけてきた建築家である。オリンピックの誘致にも積極的だったはずである。その設備造営に「依頼を受けて建設を請け負う側として関与すること」を仕事としてきた人なのだから、それは当然のことである。だからこそ、余計に、「建設を依頼する側が為すべきことしていない」ことがよく見えるのである。
 違う、おかしい、私が東京体育館を設計した30年前と、建築を発注する側の姿勢がまったく違う。これでは、どんな建築家だって、まともな仕事はできない。建築家としての社会性、倫理性を全うすることができない …… 、槇さんの文章から読み取れるのは、このような建築家としての危機意識である。


全段落を、逐一、要約してみる。


 実は、もっと早い時期に、この槇さんの文章を紹介するつもりでいた。
 槇文彦さんのグループと、もう一組、森まゆみさんが主唱する『神宮外苑と国立競技場を未来に手渡す会』の紹介をして、新国立競技場に関する問題は終わらせるつもりでいた。この連載の最初で述べたとおり、私自身、オリンピックにも甲子園の高校野球にも、何の関心も持てない人間なのだから。
 だが、槇さんの論考を紹介しようとして、はたと困った。紹介するには趣旨の要約がいる。この文章は、わずか6ページの文章ながら、密度の高い思考がギッシリと詰まっていて、省略できる余地が全く無いのである。何度かとりかかってはみたもの、うまく要約することができない。そこで、自分がオリンピックを受け入れることができない理由を述べているあいだに、槇さんの紹介は、ズルズルと先へ伸びてしまった。

 今回は、全体を一気に要約することをあきらめる。その代わり、すべての段落(つまり、一字下げで始まる一群)を数行までの短文に要約し、それを並べてみることにした。
 そんな下手な作業をするより、とにかく読んでくださいと言う方が正道なのだろうが、私は、自分自身をも含めて、人間の読解能力とか再現能力とかいうものに、あまり信頼が置けないのである。いや、それほど卑下することもない。他者の論考の道筋を追体験することは、実際のところ、とても難しいのである。この作業は、私自身のためでもあるし、今から槇さんの文章に向かう人にとっても「予習」として機能するはずである。無駄にはならないだろう。

 では、とりかかろう。
 槇さん自身が、全体を6部に分け、それぞれに標題を付けておられる。そこで、

・ 標題は、頭に「●」印を付けて示した。
・ 各段落に、1; 2; 3;  ……、と番号を振った。
・ 5番目の『● アテネの広場から』の最終段落(12;)は、どうしても要約できない。
  そこで、原文をそのまま引用した。まさにここが槇さんの主張の中心部分であると思う。
  熟読玩味をお願いする。
・ もう一カ所、結びの段落も全文を引用した。



● 東京体育館の設計
1; 1984年、筆者は東京都体育館の設計依頼を受けた。建設場所は東京都の風致地区第一号のなかにあった。
2; この風致地区では、建物の総建坪率は 2%を超えてはならない、という規制があった。だが、 4.5haの敷地内には、アジア競技大会のために室内体育館と水泳場が建てられていて、それだけでこの総建坪率基準を超えていた。すでに超法規的措置がとられていたわけである。
3; 新体育館には、設計要件として、旧設備の2倍の座席数と総床面積が要求されていた。同時に、高さは28メートルを超えないこと、既存の建坪率は守ること、という条件も課せられていた。この相反する要求を満たすためには、様々な工夫が必要だった。容積の半分近くを地下にした。位置を外周道路側に寄せた。樹木を目隠しに利用したりした。
4; 建物沿いの空間は近隣地区への道路として使われている。カフェなどの設備もある。その機能も十分に守れるように配慮した。


●都市景観の作法
1; 新国立競技場のザハ・ハディド案は、巨大に過ぎる。
2; 設計者としては、この建物の接地性、つまり建物が人の視線にどう写るかに、関心がある。しかし、ザハ・ハディド案の立面図・平面図などの開示がないので、具体的な検討が出来ない。だからイメージで語るしかないのだが、現存設備の規模を遙かに超える「超超法規」的措置が適用されていると思われる。
3; 筆者の師、ホセ・ルイ・セルトは「都市で道を歩く人間にとって最も大事なのは、建物群の高さ15メートル位までの部分と人間のアソシエーションである」と言った。だがこの案では、建物基盤が敷地のほとんどを覆い尽くしてしまい、都市公園そのものが消滅してしまう。検討の余地が残されていない。
4; 計画の段階で、周囲の環境との関係を俯瞰し、人間の視線からもチェックするには、縮尺モデル(スタディモデル)が必要である。
5; しかるに、今回のコンペでは、このモデル提出が求められていない。外観パースも鳥瞰図の一葉だけが求められているだけである。
6; 巨大設備には十分にゆとりのある敷地が必要である。イベント終了時に、人の流れをどうさばくかという物理的要件である。さらには、巨大設備が誰にも好まれるとは限らない以上、感情のバッファー・ゾーンが必要という観点からも、十分な敷地の広さが求められる。
7; ゆとりは物理的・機能的な観点からだけでなく、人間の五感と建築との関係のありかたから言っても重要な指標である。


●神宮外苑の歴史
1; 聖徳記念絵画館前の風景は、近代の都市計画における歴史的遺産として貴重なものである。
2; 明治天皇崩御のあと、明治神宮とその外苑、表参道、裏参道は、官民が一体となり、長い年月を費やして整備してきたものである。
3; 代々木鎮守の森、外苑公園、明治神宮神殿、宝物殿、聖徳記念絵画館、は、当時の建築・造林・農学の碩学が情熱を持ってその造営に参加した。今の風景はそれらの人々の、努力のたまものなのだ。
4; しかし現在は、仮設かと見まがう粗末な建物や駐車場が増え、景観を破壊しつつある。新国立競技場案は、さらに決定的に歴史的景観を破壊してしまうだろう。


● 2050年の東京とプログラム
1; 日本社会は少子高齢化に向かっており、2050年に人口は1億人まで落ち込む。税収は減少、医療費は増大、国・行政とも財政逼迫化が必至である。この財政事情のもとで、ザハ・ハディド案のような巨大設備の維持・管理の予算確保が可能だろうか。
2; コンペに提出された諸案は、主催者が提示したプログラムに基づいて作られている。コンペ諸案の検討以前に、主催者側プログラムの当否がまず問われなければならない。プログラムは「8万人収容 全天候式」を要求しているが、これはロック・コンサート以外に必要のない要件である。今後若者のロック離れが進まないという保証はない。
3; プログラムは、店舗・レストランなどのホスピタリティ機能に膨大な面積を求めているが、ここからはほとんど収益が望めない。
4; プログラムは、800〜900台レベルの駐車スペースを求めているが、六本木ヒルズなどの実績から観て、これは多すぎる。
5; プログラムでは新競技場の総床面積は、旧競技場の8倍に膨れあがっている。将来この巨大な複合設備を維持してゆけるのか。市場性はあるのか。施設運営者には説明責任がある。
6; 濃密な歴史を持つ風致地区に、何故このような巨大施設を作るのか。歴史の重みを尊重せよ。ここに無理矢理巨大建築物を造るなら、この風致地区を造りあげた大正期の国民・市民に対する、倫理性を喪失することになる。


●アテネの広場から
1; 半世紀前、筆者はアテネのパナティナコ競技場を訪れている。それは息をのむ美しさであった。世界の都市造形の傑作の一つである。
2; パナティナコは紀元前6世紀に造られたものだが、近代・現代でも、1870年、1896年、2004年とオリンピックの度に使われてきた。
3; 2004年アテネ・オリンピックのテレビ画面で観るパナティナコの姿は、筆者が訪問した50年前とまったく同じであった。
4; パナティナコは、紀元前2世紀に改修されたとき、既に5万人の収容人口を持っていた。これは施政者の市民に対する信頼が存在し、市民社会が成熟していたことの証である。では、今日では市民社会はどう機能しているのか。
5; スイスのバーゼルでは、コンサートホール設計コンペの最優秀案に選ばれたザハ・ハディド案が、市民のリファレンダム(住民投票)によって否決されている。スイスでは重要な公共設備の建設は、市民のリファレンダムにかけられることが一般的である。
6; それに対して、東京では、ザハ案は最優秀案に選ばれ、選考委員からは、見るものを勇気づけるという賛辞まで与えられた。だが、市民社会からの意見は無視されたままである。市民の意思を統合する仕組みも存在しない。
7; 筆者は、オランダの運河都市フローニンゲンの「浮かぶ劇場」を設計した。建設後、屋根の素材の不具合から行政は処分を決定した。だが、継続使用したいという市民の要望で、修復の予算がついた。
 パナティナコ、バーゼル、フローニンゲン、の三つのケースは、公共建築物の建設・補修・廃案と様々であるが、すべて市民の同意で最終意思決定されている。
8; では、日本の場合はどうか。徳川 300年は分割統治の時代であった。市民社会は成立していない。
9; 大名は仮想敵として参勤交代を強いられた。多くの庶民を集めうる広場の代わりとして、寺社境内などの名所があった、それ以外には吉原と歌舞伎程度があったに過ぎない。ほとんど市民社会の経験がないまま近代社会となり、“お上”が“官僚支配というお上”にとって替わった。
10; 今回のコンペは、その“お上”がプログラムを作成した。この土地の濃密な歴史的文脈の説明は一切なく、ただフラットなサイトが提示されただけ。これでは、応募者が現実ばなれした案を提出するのも無理はない。
11; 日本人の応募者なら違った案を出したかもしれないが。
12; (この段落は全文を引用)

 このような重要な施設のコンペを遂行する時に、そのプログラムの妥当性を確認するため、建築の専門家に簡単なデザインをしてもらう場合が多い。この施設の最大高さが70mとされたのもおそらくこうしたスタディの結果からと推測される。しかし屋内面積28万uの規模はどのような根拠で決められたのだろうか。先に述べた代々木の国立競技場の8倍、東京国際フォーラムの2倍の床面積を持つこの施設は、おそらく多くの関連部局から提出された、それぞれの最も理想的な機能と規模の積み上げがこの数字になったのだろう。しかしホスピタリティ、店舗、スポーツ関連機能、図書室、博物館等に対して、代々木の総床面積を超える4万8千uを与えていながら、それ以上の詳細なプログラムはなく、その配分は参加建築家に任せられているようだ。私自身これまで国際コンペに審査員として、また参加者として様々なプログラムに接する機会に接してきたが、これほど主催者の守備範囲の責任を放棄したものを見たことがない。このプログラムを前にして、特にコンペ参加者達はどういう気持ちでこれに接したのだろうか。おそらく懐疑、戸惑い、諦めなど、様々あったに違いない。しかしそれらの様相についても今日まで沈黙が支配し、窺い知ることもできない。もしもこれがスイス(で)あれば、プログラムが発表された段階でまずリファレンダムが行われたであろう。プログラムに対してである。市民社会では市民がジャッジである。お上社会ではお上がルールなのだ。今回のお上は更に錦の御旗を掲げたお上であっただけに、いっそう沈黙が支配したのではないかと想像される。そして踊る会議は終了したのだが、会議だけは現在も続けられている。


●9月20日以降
1; 現実的に可能な案を考えてみる。オリンピックを東京で行う、東京以外の場所で行う、という2つのシナリオが考えられる。
2; オリンピックを東京で行うのなら、50年後にも設備が維持しえて、なおかつ17日間の祭典も満足させる、という二律背反を解決しなければならない。そのためには、恒久設備 5.5万人、仮設 2.5万人、という折衷案が現実的である。もちろん「全天候」は止める。屋内駐車場も最小限に止める。
3; ホスピタリティとスポーツ関連施設も、運営主体の見解が曖昧である以上、徹底的に整理する。
4; 設計者は、外苑の歴史を始め、環境、法規、耐震構造、施工技術などを熟知した日本人のチームが望ましい。
5; 東京以外の場所で行うのなら、8万人収容の必要性は無くなり、さらに容易になる。
6; どのシナリオになろうが、絵画館前の広場を大正15年の完成時の姿に戻すべきこと。絵画館とその前庭は、関東大震災をへて3年後に完成した。原状への復帰は震災犠牲者への鎮魂でもある。
7; (この段落は全文を引用)
 それが平成の都民が未来の都民に対して、また大正の市民に対するささやかな贈り物なのではないだろうか。


6つの章で述べられていること


 こんな風にまとめてみると、この論考を一気に要約することが不可能であることがよく分かる。また、6つの章で、それぞれ違うテーマが掘り下げられていることが、明瞭になってくる。

● 東京体育館の設計 
 公共設備を建設する際に守らねばならぬ原則が述べられている。特にそれが風致地区内での建設の場合、条件はさらに厳しくなる。「かくあるべき」という理想論ではなく、槇さん自身が東京体育館を設計した体験から述べられている。

● 都市景観の作法 
 公共設備を建設する際の具体論である。特に、建物の接地性、つまり建物が人の視線にどう写るかが、人間の視点から十分に検討されなければならない。そのためには、縮尺モデル(スタディモデル)を使ったシミュレーションが不可欠だが、今回のコンペではスタディモデルの提出は求められていない。そもそも、敷地に対しして建物が巨大すぎる。物理的にも、人間心理的にも、常識的許容量をはるかに超えている。

● 神宮外苑の歴史 
 新奇な建造物で歴史的景観を破壊してはならないことが論じられている。神宮外苑の景観は、大正・昭和の人々の努力によって造られてきた歴史的遺産である。主催者が提示したプログラムは、神宮外苑が歴史的遺産であるという点に、何の配慮も為されていない。

● 2050年の東京とプログラム 
 新しく造る公共建造物の、社会学的、経営学的検討である。造ったは良いが、将来の長きにわたって維持・保守してゆけるのか? 少子高齢化・人口減少のため、将来の税収入は確実に減少する。縮小する市場性のなかで、あれもしたい、これもしたい、を盛り込んだだけの新競技場が、経営主体として成り立つのか? コンペの主催者は説明責任を果たしていない。

● アテネの広場から 
 公共建築物の成否は、最終的には市民社会の意思によって決まる。槇さん自身が関与した場合も含めて、欧州における例があげられている。それに反し、我が日本では、市民社会の意思は、計画立案・実行の埒外に追いやられたままである。

● 9月20日以降 
 無理のない、将来でも維持してゆくための、代替案が示されている。

 いかがでしょうか、単に、金がかかりすぎるからダメだ、とか、デザインが珍奇で気に入らない、とかいうような、単一の単純な理由で、断罪的批判が行われているわけではない。また、いくつかの瑕疵をあげつらって、設計コンセプトを全否定するような、無責任な批判でもない。あくまで、五輪を成功させるために是非こうしていただきたいという、前向きな提言である。

 だが、この提案に対して、政府、行政、日本スポーツ振興センター、はどう反応したか。


「お上」の反応


 槇さんの発言は、この一回きりではない。槇さんだけではない。彼の提言に賛同する多くの「専門家」や「有識者」が、「グループ」となって、幾度も発言を繰り返している。

 2013年11月、槇さんを代表とする25名が、『新国立競技場に関する要望書』を、下村博文(文部科学大臣、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣)、猪瀬直樹(東京都知事)、河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)、の3者に提出した。その内容は “japan-architectsブログ” というサイトで読める。
 槇さんの『新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える』は、エッセイ風に綴られていたが、この『要望書』は、それとほぼ同じ趣旨を、きわめて簡潔にまとめたものだ。さらに、より詳しく論理展開した『新国立競技場計画に対する見解』も添えられている。「賛同者名簿」もすごい。顔ぶれも「豪華」だが、署名数も 100名を超えている。(数えてはいないが、"約")
  http://world-architects.blogspot.com/2013/11/nationalstadium-news2.html

 槇さんは、新聞のインタビューにも答えているし、『自由民主党行政改革推進本部』が行ったヒアリングにも「槇文彦グループ」として参加している。ザハ・ハディッド案のコスト高が指摘され、マスコミがやいのやいのと騒いだ時には、「 JSCの現在案に対しコスト削減、工期内工事可能な対案」まで提言している。それどこか、槇さんは、下村博文文部科学大臣をはじめとする政府要人たちと、個人レベルでの面談まで行っている。(確か菅義偉官房長官とも合っているはずだ、確認できなかったけれど)

 それに対して、政府、行政、日本スポーツ振興センター、はどう応えたか?

 その無礼千万なる対応ぶりを時系列で追う気力など、私は持ち合わせていない。そうする値打ちもないだろう。一例だけ新聞報道を引用しておこう。一事が万事、後は推して知るべし、とでも言うべきか。

〔見出し〕 アーチなし新国立案、槇文彦氏ら再提言 文科相あて
〔本文〕  
 新国立競技場の建設で、巨大なアーチで屋根を支えるザハ・ハディド氏のデザインに反対する建築家、槇文彦氏らのグループは1日、下村博文文部科学相あてに、改めて計画見直しを要望する提言を発表した。
 提言では、下村文科相が先月22日、槇氏らが提案したアーチなしの案を検討すると会見で発言したにもかかわらず、その後連絡もなく、現行案で進める方針を表明したことを問題視。
 基本設計時から約 900億円も膨らんで2520億円になった建設費を圧縮するには、アーチなしの案に変更すべきだとし、見直しの設計期間が足りない場合は、2019年秋に新国立競技場を使用する予定のラグビーW杯は別会場で行うべきだと主張している。

  『朝日新聞 デジタル』(2015年7月1日)
  https://www.asahi.com/articles/ASH716HXFH71UTQP029.html

 つまりは、誰がどんなことを尋ねようが、
   
的外れの答えで煙に巻くか、
   適当に答えてあとはだんまりを決め込むか、
   「ご飯論法」で論点をすり替えるか、
   最初から無視するか、
   執拗な質問者は排除するか、このいずれかなのである。


 結局、ザハ・ハディド案は廃案となった。
 安倍晋三が、突然、白紙撤回を宣言したのである。
 何のことはない、世論調査の支持率急落に慌てふためいただけのことである。
 
 槇さんたちのグループに、いろいろと助言をいただきありがとう、と挨拶の一言も送らなかっただろうころは、想像するに難くない。


                  ページの上段へ


 −−【その13】了−− もうオリンピックなんか、止めてしまえ 目次へ