難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           










古今亭志ん朝

師走の人情噺と言えば、もう一本
『芝浜』を思い出す。
『文七元結』の左官長兵衛は博奕で身を持ち崩していいるが、
『芝浜』の魚屋の勝は酒である。

でも『芝浜』のほうが、のんびりと聴けます。
ーーー『芝浜』古今亭志ん朝


















映画で師走の定番と言えば、
 『忠臣蔵』
=『赤穂浪士』だろう。

整理しきれないぐらいたくさん制作されているが、『忠臣蔵』のイメージを最も典型的にまとめ上げているのは、東映(1961)の『赤穂浪士』だと思う。

監督;松田定次
主演;片岡千恵蔵

討ち入りが、元禄15年12月14日だったから、師走の映画としては時節がピッタリと合いますね。

ところが、元禄15年は西暦で何年なのかと調べてみたら、これがけっこうややこしい。
単純に対比させれば、
西暦1702年=元禄15年、となるのだが、当時の日本の暦は「太陰太陽暦」だったので、西暦とはズレが生じる。この日は西暦では1703年1月30日に相当するらしい。
でも、年が明けてからの討ち入りなんて、イメージと合わないな。
やはり「時は元禄一五年 ……」でないとね。

この事件を竹田出雲らが
『仮名手本忠臣蔵』にまとめたのは
寛延元年(1748年)のこと。討ち入りから、45年後です。

1748年と言えば、あの J.S.Bach の最晩年で、最後の曲と言われる
『ミサ曲ロ短調』
"MESSE in h-moll" BWV-232
が完成されたころになる。
これ、今日の大発見です!

『ミサ曲ロ短調』は、バッハの作品のなかでも、私が一番聴く機会の多い曲です。つまり大好きだ、ということ。
話があちこち飛びますが、バッハなんて、馴染みがなくて、肩ぐるしそうで、なんて感じておられたら、この機会にちょっと聴いてみてください。
ただし私の好みの押しつけになりますが、合唱は少人数、古楽器使用、のものが良いでしょう。
Philippe Herreweghe の指揮で
J.S.Bach『ミサ曲ロ短調』
です。



















もう一本、師走にちなんだ映画を。
『東京ゴッドファーザーズ』
(2001;今敏)


今敏さんのアニメは、他のアニメ一般と比べると、ひと味、いや、ふた味ぐらい違うかな。
天才は夭折するものなのか、
40代半ばの死が、まこと惜しまれます。合掌。














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ガースーの “薄ら笑い”
   『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』 その10
                   (2020年12月20日)


師走になると、思い出すのは …… 、


 師走になると、落語『文七元結』(ぶんしちもっとい)を思いだす。
 人情噺(にんじょうばなし)である。最後は人情による救済が待っているという約束ごとがあるから、のっけから噺は、主人公の長兵衛が、生業と生活の両面で追いつめられ、二進も三進もいかない状況に陥っている状況を、無遠慮に描きだす。修羅場の閉塞感はたちまち聴き手に取り憑き、身につまされる緊張感が昂じてくる。その時、脇の登場人物の方から初めて笑いが投じられ、緊張が緩和され、観客は今聴いているのが落語であったことを思い出す。

  お前さんも忙しくてけっこうだねぇ。
  えぇ、えぇ、おかげさまで何とか …… 。
  商売替えをしたって言うじゃないか。
  へぇ、いいえ、えー、相変わらず左官でござんすよ。
  そぅ、屋根屋になったって聞いたよ。毎日めくってばかりいる、って言うじゃないか。

                      −−−−−『文七元結』古今亭志ん朝

 この落語は、娘のお久が年越しの金を用立てるために、吉原の大店(おおだな)佐野槌(さのづち)に駆け込んだ後から始まる。(上の引用部分で、長兵衛に皮肉を言っているのが佐野槌の女将) 長兵衛が家に帰ると、妻のお兼が、お久がいなくなった、といって泣いている。ほうぼう探してみたけれど何処にも見当たらない、こんな暮らしが嫌になって、身投げでもしてるんじゃないか、と。
 落語はこの冒頭部分だけで、ここに至るまで、妻のお兼が、何度も、何度も、博奕に明け暮れる長兵衛を咎め立てしてきた日常が長く続いていたことを、観客に実感させる。その繰り言を一言にまとめれば、こうなるだろう。

      お前さん、いったい何時になったら、博奕を止めて、 
      仕事に精出してくれるのかね。 


 この何度くり返されたかわからない懇願に、長兵衛はどのように言い訳をしてきたのだろう。
 妻のお兼は、娘のお久がいなくなったと切り出す前に「また取られてきたんだろう」と問い糺す。長兵衛は「端から取られようと思って出かけてるんじゃない、幾らかにしようと思って出かけてるんだ」と答える。こんな風に、その場その場で、オレはわるくねぇ、ただ、ちょっとばかし …… 、と、口から出任せの言い訳を繰りかえしてきたに相違ない。


菅義偉の “薄ら笑い”


 さて、現実に戻ろう。コロナパンデミック第三波が襲来している現実へ。
 我らが宰相菅義偉も、左官の長兵衛と同じように、繰りかえし、繰りかえし、こう懇願を受けていたはずである。

      総理、いったい何時になったら“GoToトラベル”を止めて、 
      コロナ・パンデミック対策に精出してくれるのですか。 


 左官の長兵衛はくどくどしく言い訳を繰りかえした。
 一方、わが総理大臣の菅は言い訳などしない。「経済活動と感染防止を両立させて」というウルトラ紋切り型ワンフレーズを繰りかえすか、「今のところ停止は考えていない」とだけ発して口をつぐむか、「答える必要はない」と突っぱねるか、このいずれかである。
 それにしても、その時、菅の顔に浮かぶ“薄ら笑い”。あれは一体、何だ。

 断言して良い。あれは “嘲笑の薄ら笑い” である。
 自分に向けられた問いかけに対して、菅の脳細胞は、“いや、現実とはそんな単純なものじゃないよ”と、反応する。そう反応する根拠は? 根拠なんぞ、何もない。自分に向かってくる輩は、みんな、「単純アタマの反日パヨク」だ、と思い込んでいるから、脳が自動的に反応するのだ。
 つまり、菅の“薄ら笑い”は、麻生太郎の口元を歪める喋り方や、安倍晋三の“こんな人たち”“あのような人たち”という憎悪の吐出と、同質のものである。自分たちに向けられているのは、“現実に向かえ”という初歩的な現実論であるのに、“いや、現実とはそんな単純なものじゃないよ”と、問いそのものを拒絶するのが、彼らに共通するスタイルである。

 じゃあ、麻生・安倍・菅という、歴代首相が見据えている「そんな単純なものではない現実」とは、いったいどういう現実なのか?
 彼らはおしなべて「危機管理」という言葉を溺愛していて、そのためにあれこれと法律を作り、たっぷりと予算をつぎ込んできた。理想論を振りかざして我々に向かってくる“あのような人たち”は、危機に取り巻かれた現実が見えていない。どいつもこいつも「単純アタマ」だ、と。

 だが、彼らの脳内データをスキャンしてみなくとも、コロナ第三波がその正体をアッサリと暴いてくれる。12月14日、内閣は突然“GoToトラベル”の一時停止を決めた。その事を報道する新聞記事を読めば、「そんな単純なものではない現実」「危機に取り巻かれた現実」が、どれほど薄っぺらなものであったかがよく解る。
 今回は、くどくどしく駄文を連ねることは極力さけて、何点かの新聞記事を読みなおしてみよう。テキストの引用とか、リンクを貼るだけではなく、Web サイトの画面をそのまま画像コピーしておく。写真もあって雰囲気がよく分かるし、だいいち、記事が削除される心配もない。


“GoToトラベル” 停止 政権内部の「裏事情」


 まず採り上げるのは、『毎日新聞』(12月14日)の記事である。「政治面」ではなく、「社会面」に掲載されたものである、と言う点に留意して読んでみてください。



 ここで暴かれている政権内部の「裏事情」は、とりわけ目新しいものではない。おそらくテレビのニュースショウでも盛んに喋々されている内容だろう。普段からニュースを追っている人にとっては、すべて周知の事実だと思う。だが、その事実をこんな風に並べてみると、歴代首相が見据えていた「そんな単純なものではない現実」の正体とはこんなものだったのかと、改めて思い知らされる。まとめてみれば、たった二項目じゃないか。

1; 選挙の得票率 = 内閣(政府・与党)の支持率、を上げること。
2; 党内派閥、利権団体と族議員、からの支持の取り付け。

 菅政権は一貫して“GoToトラベル”を推進してきて、今回一時停止を決めた。“GoToトラベル”を推進している時も、停止する時も、その判断は、「国家的・国民的危機(感染拡大)をいかに回避するか」とか、あるいはまた「経済活動と感染防止をいかにして両立させるか」とかを、十二分に考慮してなされているとアナウンスされてきた。ところが実際は、コロナ感染という現実とはおよそ無関係の、「内閣支持率が維持できるか、派閥の支持を取り付けられるか」の二点が判断基準だったわけである。さらに「あらゆる政策実行のモチベーションは、現政権を維持することにある」と、たった一行に要約できる。身も蓋もない言い方になるが、この記事をまとめると、こうなるではないか。

 不思議なのは、この様な“暴露記事”を書いておきながら、記者たちが、政権はウソをついているではないか、という糾弾に向かわないことだ。あなたたちは、国民の生命と健康を危険にさらしてまで、政権維持のみに腐心してきたのか、と。リベラル系大手新聞お得意の、言い回しじゃないのかね。
 また、写真付きで引用されている各党のコメントも、今後“GoToトラベル”をどう扱うのか、に関して手前味噌を並べているだけで、このキャンペーンそのものの犯罪性を指摘したり、逆に、必要性を再確認する、という本質論に向かわない。野党までもが、政権側のしつらえた土俵で相撲をとろうとする。一体、この国の政治はどうなってしまったのか?

 世論調査・内閣支持率調査の無意味さ、それと、自民党内の派閥勢力のせめぎ合の茶番劇、については、このサイトでも過去二回にわたり詳説してきたので、あらためてここで触れることはしない。



「最大限の予防措置」って、どういう意味?


 次に、上の記事の翌日にアップされている、同じ『毎日新聞』(12月15日)の記事を読んでみる。



 先の記事が社会面であったのに対し、こちらは政治面に掲載されたものである。最近の政治面記事の例にもれず、記者会見における官房長官の談話を、そのまま伝えるだけの内容になっている。
 何度も同じことを言うようだが、勅語の拝受じゃあるまいし、記者会見なんだろう、そよとも質疑の声はあがらなかったのだろうか? 特にこの加藤勝信の会見内容は、もっとも大事な部分に看過しがたいゴマカシがある。

 菅内閣は、“GoToトラベル”中止要望の声を頑として聞き入れず、すでに5ヶ月間にわたってキャンペーンを継続させてきた。止めないことの理由として、“GoToトラベル”はコロナ感染の拡大につながらない、と言いつづけてきた。
 しかるに、今回の2週間のキャンペーン中止の理由は、「最大限の予防措置」であると言う。
 つまり、“GoToトラベル”は感染拡大に影響がある(かも)と、認めているわけだ。
 だったら、この5ヶ月間のウソ・ゴマカシの謝罪が先だろう。

 それとも、“今までの、GoToトラベル”は感染拡大とは無縁だが、“年末年始2週間の、GoToトラベル”に限り、期間限定で(通販サイトかよ!)、感染拡大の原因になる恐れがある、というわけか? 悪い冗談だね、と笑って済まそうとおもったのだが ……、
  …… いやいや、本気でそう言いたいのかもしれないぞ。

 だから「最大限の予防措置」と言っているじゃないですか、すでに広まっている感染に対して「予防措置」では手遅れです。そうです、現在までの感染拡大は、断じて“GoToトラベル”が原因じゃありません。じゃあ、何が原因だって? 一部国民の不心得が原因です。だって“GoToトラベル”が原因という証拠がないでしょう、エビデンスが。そこで、年末・年始の2週間、帰郷・観光などで人の流れが多くなる時期に“GoToトラベル”が感染拡大の原因にならぬよう、一時停止して「最大限の予防措置」とするわけです。

  …… と、菅・加藤の心中を代弁しているあいだに、彼らは本気でそう言いたがっているのだ、と確信してしまった。
 だってね、国会で総理大臣が「募っているが募集はしていない」と答弁したり、反社会的勢力とは「その形態が多様であり、またその時々の社会情勢に応じて変化し得るものであることから、あらかじめ限定的かつ統一的に定義することは困難である」と閣議決定したりする。つまり、返答に窮すると、言葉の辞書的定義まで平気で変えてしまう政党の人たちだ。
 「最大限の予防措置」にそれぐらいの意味はこめるだろう。



証拠はどこにあるんですか、と言うヤツは真犯人!


 それが証拠に、記事の後半で、このように強調することを忘れない。

 分科会の提言においても感染拡大の主要な要因であるとのエビデンス(証拠)は現在のところ存在しないとされており、この認識が変更されたものではない。

 この人たちは、「証拠」と言えば、ハイ、これが証拠です、犯人の指紋の付いた拳銃です、と差しだして見せることが出来るような具体物をイメージしているのだろうか? 学問とか科学とかを軽視・無視する習慣が身についてしまったおかげで、医学・医療における因果関係の立証が、どのようになされるのか、という実際のプロセスを想像することも出来ないのだろう。
 まことに粗っぽく言えば、感染の様々な現象に統一的な名称をつけ(概念の定義)、その定義に基づいて信頼できるデータを集め、仮説を立て、ある現象だけを純粋に観察しうる再現実験を行い、仮説の妥当性を検証し、再度目的を絞ってデータを集め …… 、という過程の繰りかえしで本質に迫って行く。
 “新型”コロナと呼称されているとおり、このウィルスは「新型」なのである。2020年初頭に至るまで、このウィルスの実態について研究した学者・研究者は一人もいない。
 学会はいち早く、この“新型”感染症の総体を、“COVID-19”(Coronavirus Disease 2019)と命名したが、今でも現場は、予防・治療・感染拡大防止の実務に忙殺されている段階である。どこの誰に、データを収集し解析する余裕があるというのか。一体、どこの誰を使って、仮説の再現実験ができるというのか。

 ビル・ゲイツは、"TED2015" の講演で、エボラ出血熱の場合を例に引いている。
 "TED" のサイトにある翻訳から、一部を引用しよう。

 エボラの例を見てみましょう。皆さんはきっとエボラについて新聞で読まれたでしょう。とても厳しい危機です。我々がポリオ撲滅の状況を追った時のケース分析ツールを用いて、エボラの状況を追跡しました。観察していて分かったことは、システムが不十分で、状況に対処し切れていなかったということではなく、そもそもシステム自体すら存在しなかった、ということでした。事実非常に明らかな、幾つかのミッシングピースは …… 、
 急な召集にも応じ出動できる ― そして出動するべきだった疫学者達の一団はいませんでした。疫病の感染拡大状況を観察し分析する人々です。
 症例レポートは紙ベースで送られてきました。報告書が電子化されるまでにとても時間がかかり、しかもその内容は間違いだらけでした。
 招集に応じ出動する医療従事者のチームもおらず、人々の準備や体制を整える手立てもありませんでした。国境なき医師団は大変うまくボランティア達を指揮しましたが、それでも私たちはこれらの国々へ何千人もの支援者を送り込むのに無駄な時間を要したのです。
 規模の大きな伝染病が起こると、何十万という支援スタッフが必要となります。現地では治療が適切に行われているかを確認する人員すら一人もおらず、診断方法を見る人も、どんなツールが使われるべきか判断する人もいませんでした。スタッフがいれば、例えば生存者の血液を採取し、それから作った血清を人々に注射し、免疫を作ってみたりできたでしょう。しかしそれは実現されませんでした。つまり見落とされた事が数多くあったのです。


 私たちは、この文面から、エボラ出血熱パンデミックにおける医療現場の実態を想像することができる。
 コロナ・パンデミックは、さらに大規模な全世界レベルの感染拡大である。その渦中にあって、「“GoToトラベル”と“コロナ感染拡大”との関連性・因果関係」など、エビデンスとして差し出せるわけがないのだ。

 つまり菅義偉政権は、出すことの出来ないエビデンスは、当たり前のこととして差し出せない状況を、「証拠がない」と表現して、“GoToトラベル”を正当化している。

 だが、テレビの刑事物・サスペンス物でよく見るじゃない、
 ほぅ、なるほど、よく出来た謎解きですね、でもその証拠はどこにあるんですか?
 とドヤ顔で言うヤツ。

 間違いなく、そいつが真犯人なんだ


これは新派劇? それとも、傾向映画?


 最後に『読売新聞』(2020/12/15)を見てみよう。
 “GoToトラベル”の一時停止で、北海道の観光業界がいかに打撃を被るか、のレポートである。



 何を報道しようが、報道機関の勝手である …… 、とは思うものの、まず目に飛び込んでくる標題の扇情的なること耐えがたい。

  祈るしかない・死活問題だ・悔しい … GoTo「停止」、
  北海道の観光業界に衝撃


 さらに、異様なまでに「詠嘆調」で塗りつぶされた本文。

  なすすべがないと、肩を落とした。
  今は感染の収束を祈るしかないと、絞り出した。
  市内の感染状況からすると(除外の)延長は仕方がないと、こぼした。
  政府は観光業界への新たな支援を考えてほしいと、訴えた。
  キャンセル手続きで年末年始が忙しくなるなんて悔しいと、吐露した。


 インタビューに応じた人たちは、自分の発言がこの様な文体に編集されていることを見て、赤面するに相違ない。“GoToトラベル”停止でお困りでしょう? と尋ねるから、正直に窮状を訴えはしたが、あんな風に、新派劇とか傾向映画の声色(こわいろ)まで真似た覚えはないぞ。

 記者は「記事を捏造」するつもりはなかったのだろうが、客観性を欠いた悲嘆感情表現からは、テキ屋商売の「サクラ」とか、テレビ番組の「ヤラセ」の雰囲気がにじみ出ている。だから、ちょっと問い返してみたくなる。

 えらく愁嘆場を見せてくれるが、政府が決定したのは、国民全体の旅行禁止令、とか、観光業の営業停止令、だったのかね? 違うだろう。“GoToトラベル・キャンペーン”の一時的停止、というだけのことじゃないか。それもたったの2週間。その間だけ割引期間ではなくなった、というだけのことであって、今まで通り商売は自由に出来るわけだ。
 割引がないならツアーは止めた、なんて言う客は、所詮その程度の客、裏返して言えば、ツアーがその程度の魅力しかなかったということだ。
 総理大臣だって、いつもおっしゃってるじゃないか、「自助・共助・公助」とね。この順番が大事ですよ。「公助」は3番目。まず「自助」でしょう、少しは自助努力をしなさいよ。

 いささか感情的になってしまうのは、読売とかサンケイとかいうメディアは、社会的弱者である個々人の窮状には、説教口調で「自助努力」という概念を押しつけて来るのに、この「観光業界」などという組織体(与党族議員を抱え込んでいる)に向かっては、自助努力の「ジ」も言わないからである。

 社会的弱者である個々人といえば、例えば「ネットカフェ難民」といわれる人たちがそうである。東京には約4000人のネットカフェ難民がいる、と聞かされてきた。では、コロナ感染拡大によって、彼ら彼女らの日常はどうなっているのか。多くの人がケータイで日雇い仕事が入るのを待っている、と言うが、今でも仕事はあるのだろうか。ネットカフェは次々と閉鎖されたようだが、どのようにして夜をしのいでいるのだろうか? 寒さが厳しくなってくると余計に気にかかり、炬燵に足を入れても、ホットくつろぐ気分になれない。

 試みに「コロナ ネットカフェ難民」で検索してみる。だが、その現状を報告する新聞記事はほとんど見当たらない、一番最近の新聞記事からも、すでに4ヶ月が経過している。

 所持金30円「3日間何も食べていない」ネットカフェ難民の困窮
 『西日本新聞』(2020/4/27)

 コロナで暗転、61歳ネカフェ難民の憂い
 内定取り消し、10日で解雇 … やっと採用も消えぬ不安

 『東京新聞』(2020/7/4)


 大手メディアは、
社会的弱者である個々人の窮状を積極的に報道しない、という時点で、
政府のコロナ政策(あるのか、ないのか、よく分からぬが)を容認する側に回っている。

 そして、この記事のように、旅行業者の窮状をことさら扇情的に伝えることで、
この5ヶ月の“GoToトラベル”を積極的に「意義あり」と評価している。
つまり、菅義偉の“GoToトラベル”への固執は正しかったのだと、
断言しているに等しい。


  −−【その10】了−−  



   
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