難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           







 以下
《運動会》で思い出すもの集です。










"Metropolis"
Fritz Lang (1926)

『メトロポリス』(1926)
監督;フリッツ・ラング


100年後のディストピア未来都市を想定して創られたというから、まさに現在。


冒頭、地下の工場でシフト交代する労働者たちの行進風景が続く。
首うなだれて歩く姿はまさに陰陰滅滅。



一方地上ではエリート・アスリートたちによる競技会が行われている。





でも走っているのは男ばかり。
人工的に過ぎる建造物と相まって、不気味なことこの上ない。










稲垣浩監督が執念を燃やした
『無法松の一生』二本。


1943年の富島松五郎は、阪東妻三郎





1958年は三船敏郎。



どちらも熱演。


松五郎が運動会で必死で走るのは、吉岡夫人の引っ込み思案の息子をはげますため。
子一人のために必死になる姿が、私たちを励ましてくれる。これが人のすべき努力であり、享受する幸福なのだ。
国家のために走らされるなんて、グロテスクな悲劇でしかない。










太宰治『津軽』1944年(昭和19年)



1943年(昭和18年)明治神宮外苑競技場(国立競技場が建っている場所にあった)で『出陣学徒壮行会』が挙行された。その翌年の作である。


この小説のクライマックスは、故郷金木町を訪れた作家が、小泊村の国民学校の運動会で乳母の越野タケと再開する場面である。
思い出すだけで涙が出るが、このシーンは太宰の創作であるというから、また驚きである。時代背景を考えると、学校の運動会で乳母と会うという、まこと庶民の一風景を山場に置いた作者の意図が読み取れるように思える。
以下、その部分から抜粋

修治だ。」私は笑つて帽子をとつた。
「あらあ。」それだけだつた。笑ひもしない。まじめな表情である。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、さりげないやうな、へんに、あきらめたやうな弱い口調で、「さ、はひつて運動会を。」と言つて、たけの小屋に連れて行き、「ここさお坐りになりせえ。」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言はず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちやんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見てゐる。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまつてゐる。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に、一つも思ふ事が無かつた。もう、何がどうなつてもいいんだ、といふやうな全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい。











『涼宮ハルヒの憂鬱』
原作は谷川流のライト・ノベル。
アニメ第1シリーズは2006年。











運動会(体育祭か?)のシーンが多かったように記憶するが、私はアニメオタクではなかったので、第何話だったかを確定することができません。
でも、なぜか心に残る、いいアニメですね。大好きだわ。







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オリンピック? たかが、運動会じゃないの。
     もうオリンピックなんか、止めてしまえ。 その14
                  (2021年 2月 28日)



1964年 10月 10日 東京


 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言から、10日近くもぐずぐずして、森喜朗はやっと辞任した。しかも森は、いさぎよく自らの非をわびたのではなかった。辞任会見の場で、「オリンピックは必ずヤル」としつこく言いはっていた。

 こんなニュースにウンザリしているとき、ふと、1964年の東京オリンピックの際、その期日決定に関して一つの「伝説」が流布していたことを思い出した。ずいぶん昔の話なので記憶も曖昧になっているのだが、いま目の前で繰り広げられている五輪騒動の出口のない閉塞感とは違って、それには、天に向かって心を開いた清涼感のようなものが含まれていたように思う。
 その「伝説」とは、オリンピック開会が「10月10日」とされたのは、それまでの統計から見て、この日が晴天に恵まれる確率が最も高かったからだ、というようなものだった。あるいは、「10月10日」は絶対に雨の降らない日だったから、という、もっと断定的な言い方だったかもしれない。

 実際はどうだったのだろう?
 今さらながら、という気がしないわけでもないが、ちょっと確かめてみた。


10月10日は、「晴れの特異日」ではなかった、けれど ……】


 答はすぐに見つかった。
 “ウィキペディア”に『特異日』という項目がある。そこで、この「10月10日」が、「特異日ではないとされるもの」の例として解説されている。

  …… 1959年に日本オリンピック委員会から気象庁の大野義輝に「日本の戦後の復興を世界に見せるために、絶対に晴れる日を開会式に選びたい」との依頼があり、秋晴れの10月がまず選ばれた(5月の五月晴れではヨーロッパの選手が寒い時期に調整となるため配慮された)。大野の調査結果では10月に最も晴れる確率が高いのは15日、次点が10日であった。日本オリンピック委員会は1964年は10月15日は木曜日と平日なのに対し、10日は土曜日であることを重視し、10月10日に決定した。10月10日は「特異日」というほど晴れが多いわけではないが、日本オリンピック委員会の絶対に晴れにしたいという思いから、晴れる確率ができるだけ高い日が選ばれたと考えられる。

 なるほど、それまでのデータから見て10月10日は絶対に雨の降らない「晴れの特異日」である、と断定されていたわけではなかった。しかし、委員会は、競技者と観客に対して気候・気象面での配慮を充分に行い、その他の客観的条件とあわせて検討した結果、10月10日という開催期日を決定したのだ。

 また、不運にも雨天となった場合にはどうするのか、ということも決められていた。それは、極めて常識的でシンプルな三項目である。

 もし開会式の当日が雨だったら、
   1) よほどの荒天でない限り開会式を決行する。
   2) 荒天で開会式を挙行できない場合は中止とし延期はしない。
   3) 中止するかどうかは当日の朝7時に決定する。


 この二つの記事は、すんなりと「腑に落ちる」気持ちで読むことができる。何故なら、「日本の戦後の復興を世界に見せるために、」という国家レベルの願望が根底にあるものの、最終的な "Go or Stop" の判断基準が、「オリンピックは、ちょっと大がかりで、格式ばっているけれど、つまるところ運動会である」という、事の本質から逸脱していないからである。

 子供の頃を思い出してみよう。誰にでも経験があるだろう。当日朝、雨が降っていたり、降っていなくとも曇天で、その後に雨が予想される場合には、運動会は順延された。順延された日もまた雨だったら、たいていはアッサリと中止が決定された。何故なら、給食の手配など、そう度々の変更は困難であるし、だいいち本来の勉学に差し障りが生じる。生徒も教師も色々と準備をしてきているし、父兄も心待ちにしているだろう。だが、残念ではあるが、ここは中止が順当である、と誰もが納得していた。

 この時、運動会は絶対にヤル、雨が降ろうが槍が降ろうがヤル、雷が落ちようが台風が来ようがヤル、空襲があろうが火星人が襲来しようがヤル、お前ら、ヤル方法を考えろ、と言い張る人がいたらどうだろう。
 そんな人は、ただ、常識のない人だ、と冷笑されるだけだろう。
 大阪人なら、何考えとるねん、アホちゃうか、あのオッサン、と鼻先で笑うだろう。

 森喜朗という存在は、こういう現象である。


オリンピックは必ずヤル! 聖戦完遂か?


 森喜朗が、JOCの臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言したのは2月3日であった。この発言が「女性差別」であるとさんざん叩かれて森は辞任したわけだが、それは、どうにも身動きがとれなくなったから「やむなく」辞任して局面の打開を図ろうとしただけのことであって、当の本人も、政府・与党の全体も、あの発言の差別性をまったく理解していないのが悲しい。
 この差別発言の前日、つまり2日、森喜朗は、自民党本部で開かれた党スポーツ立国調査会などの合同会議で、次のような発言をしている。こちらも女性差別発言に負けぬぐらいの問題発言であるように思える。だが、こちらの方は国内メディアからはほとんど批判されていない。それどころか、まともに報道すらされていない。以下は、“ AFP通信”の日本語サイトからの引用である。

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長は2日、新型コロナウイルスの流行で開催に疑問の声が上がっている今夏の大会について、「私たちはコロナがどういう形であろうと必ずやる」と明言した。
 森会長は、都内で同日開かれた大会関係者や与党議員らとの会合で
「やるかやらないかという議論をするのを超えて、どうやってやるのかと。この際新しいオリンピックを考えよう」と語った

 これはいったい何なんでしょう?
 「私たちはコロナがどういう形であろうと(オリンピックは)必ずやる」だなんて、「殿のご乱心」と言うより他に評論のしようがない。オリンピックは、何時から、森喜朗の私物になってしまったのか?
 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言のとき、気の利いた冗談だという風に同調する笑い声が多数あがったことが指摘されているが、この「必ずやる」発言のとき、他の出席メンバーは、いったいどのような反応を示していたのだろうか?

 森さん、そりゃあんまりですよ、と窘(たしな)めの視線をおくったのだろうか?
 森さんの立場なら、ああ言うしかないのだろう、と同情していたのだろうか? それとも、
 聖戦完遂を叫ぶ東條英機を前にした士官・将校たちのように、緊張で身を固くしていたのだろうか?
 いずれにせよ、森大将に言いたい放題を言わせていたのなら、全員、森と同罪である。

 “ AFP通信”はこの発言を次のように批判している。上記の日本語サイトでは見つからないのだが、『中スポ 東京中日スポーツ』が、「森喜朗会長の《必ず開催》発言に世界メディアあぜん」、と題して報じている。

 大会を開催するという絶対的な決意表明の協調努力は、日本の人々に対する顔面への平手打ちだ。日本の人々は大会を推進したくないという意志を(世論調査などで)世界に発信している。

 コロナ・パンデミックの渦中で我々国民がどれほどの「自重」を忍んでいるか、改めてここで述べるまでもないだろう。それが、こともあろうに、我が身をもって範を垂れるべき政治家が、「コロナがどういう形であろうと(オリンピックは)必ずやる」と大言壮語したとするなら、それはトコトン追及・糾弾されなければならない。“ AFP通信”の言う通り、我々の「顔面への平手打ち」に相違ないのだ。


人が死んでも良い。オリンピックをヤル。


 だめ押しするのもおぞましいのだが、森が「コロナがどういう形であろうと …… 」と言っていることの正確な意味は、「たとえコロナ感染が拡大して死者が増えても …… 」ということである。これ、疑問の余地がありません。昨秋、森は、ハッキリとこう述べている。

 私がIT基本法を制定する時に、国が支援するべきものだろうかと思っていたが、ある学者が(ITは)ツールだと考えなさいと言ってくれた。自動車もそうだと。自動車は生活にこれだけ良い影響も与えているが、あの頃は毎年1万人ぐらい死んでいた。今は5000人ぐらいか。これだけ自動車が人を殺す凶器になっているが、自動車の生産をやめろという国民はいなかった。交通規則を整備しながら自動車は増えていった。人命を侵すものであっても、(自動車という)道具がなくなったら困るから。道具をどう使いこなすかだ。

 発言のこの部分だけを切り取れば、「自動車は事故を起こして死者を出す危険性があるが、交通手段としての利便性で享受できるメリットが大きいから、国民は自動車の生産をやめろとはいわない」という一般論(?)のように聞こえるが、そうではない。これは、昨年11月 IOC会長バッハとの共同記者会見で「オリンピックは必ず実施する、多少の犠牲もやむなし」と「強行開催への意欲」を示したとき、喩えとして、自動車を持ち出したのだ。論点を整理すると …… 、

 自動車事故のリスクが許されるのだから、
 
オリンピック強行開催でコロナ感染が拡大しても許されるはずであると。

 論理破綻、というより、論理として成立していない。
 こんな輩(やから)が政治やオリンピック運営を牛耳っている。


  * * * * * * * * * * * * ** * * * * * *


 森喜朗の屁理屈に歩調を合わせていると、いつの間にかそれに同調させられ、当方の言葉遣いも支離滅裂になってしまう。精神衛生にも良くないので、ここらで森ジジィの言説を追うことは止めて、こちらの言葉で論点を整理しておく。
 私が、(コロナ感染拡大という困難より以前に)そもそもオリンピック開催自体に反対している理由は何だったか。この根幹をもう一度整理する。さしあたり。次の三項目である。

1)
 オリンピックだなんて大層に言うけれど、たかが運動会じゃないの。騒ぐのが好きな人だけが楽しめばよい。オヤジがプロレスの熱狂的なファンであったとしても、オカンは韓流ドラマでウットリする。それでイイのだ。しかるに政府は、政権の無策・失政から目をそらさせるため、国民全員参画のプロパガンダにしようとする。逆らうヤツは、揚げ足取りのパヨク、反日・非国民だ、と。これってファシズムだぜ。

2)
 政党とは、どのような政策をかかげるかで、その値打ちが決まる。しかし与党・自民・公明連合は政策政党であることを止めて久しい。その代わり、国家的イベントを次々と打ち出して、その高揚感で政権支持の雰囲気を醸成しようとする。その最大目玉商品がオリンピックである。原発処理やら、コロナ対策やら、実質経済の復興やら、重要項目のほとんどすべてに実行スキームさえ描けずにいる。必死になって現実的危機に向かえ。

3)
 日本のほとんどすべての組織体は、その運営原理を「体育会的原理」に依存している。黙ってヤレ、命令・指示に逆らうな、努力(しているふり)をしろ、死んでもヤレ、協調できないものは去れ …… 。これ、パワハラ・セクハラの根源。生産性低下の根本原因。世界標準の進度から見て、完全に取り残されている。そこで、保守・反動は、オリンピックで体育会的原理の復興を図ろうとする。日本選手が金メダルでも取ってごらん、スポ根神話賞賛をしようとするから。もうそんな選手は勝利できなくなっているのに。


 これ、全体を述べると長くなりすぎるので、今回は、1)、2)、に止め、3)は次回にまわします。
 では、1)から、スタート!


その1; オリンピックは個人の自由を侵す。


 人には好き嫌いがある。性向の多様性は、民主主義における自由の問題として、そのまま認められなければならない。スポーツにおいても事情は同じである。どのようなスポーツ競技に熱中しようが、その人の勝手なのだ。近隣の山に自分が決めた回数まで登り続ける、などという、地道な目標達成を生き甲斐としている人もある。オリンピックのような華やかな競技会が大好きだ、という人も多いだろう。だから、多数の期待に応えてオリンピックをする、というのなら、それはそれで結構なことだ。多少の(あくまで多少の)カネを使っても良いではないか。
 それならば、逆に、どんなスポーツ競技にも関心の持てない人だっている、ということを認めておくべきであろう。あるいは、スポーツは好きだが、オリンピックのようなお祭り騒ぎは苦手だ、という人の存在も。
 つまり、オリンピックをするのであるならば、その指向を持った人が、大がかりな運動会として、それなりに楽しんでいただければ良いのである。スポーツが、あるいはお祭り騒ぎ的喧噪が好きになれない、という《私》の自由を侵害しないでいただきたいのだ。

 だが、政府はそのようには考えていない。国民全体が同じ考えで一致団結することを強要しようとする。それも、ほとんど妄想と言って良い戯言(たわごと)を。
 1月18日、菅義偉は国会で「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と演説した。 …… ? 全くもって意味不明である。
 コロナ感染への対策とは、公衆衛生の向上、それと、治療・療養システムの強化、という問題である。オリンピックとは何の関係もない。いくら熱中したところで、加持祈祷ほどの効果もない。
 東日本大震災からの復興を言うなら、まず原発事故の始末をきちんと終了しろ。廃炉作業どころか、増え続けるトリチウム汚染水の処理すらできず、海水に放出するしかないというところまで追い込まれている。オリンピックを強行開催すれば、たちまち廃炉処理がはかどり汚染物質も消滅する、というような「スキーム」が描ける、とでも言うのか?

 つまり菅は、国民全体に向かって、オリンピック数週間の馬鹿騒ぎで、現実の困難性を忘れろ、それが解決できないでいる政府を責めるな、というインチキ・プロパガンダのラッパを吹いているわけだ。
 だが、私は、とうていそのようなプロパガンダに与することは出来ない。もっと単純に言って、好きでもない競技の喧しい中継で、生活環境の静寂を汚されたくないのだ。


その2; 政権支持のプロパガンダとして使われるオリンピック。


 一昔まえ、民主党への一時的な政権交代があったころ、各政党がマニフェストと称する総花的政策宣言集を競い合ったことがあった。今から思えば、あの「できたらイイナ」集が、日本の政党が咲かせた政策訴求の、最後の徒花(あだばな)であったように思える。
 その後に成立した安倍内閣は、面倒くさい実務が大の苦手だったのだろう、折角のマニフェストをアッサリと捨て去った。その代わり、手っ取り早く、仮想敵を仕立て上げてそれを攻撃すること、それに、国家レベルのイベントを仕掛けてその高揚感で政権支持のムードを醸成すること、この二つを使い分けて政権を維持してきた。
 つまり、与党である自民・公明連立が、政策政党であることを完全に止めてしまったわけだ。選挙ポスターに掲げるスローガンを、キャッチ・フレーズと言いかえて恥じなかった。中身は何にも変わらないのに、包装紙のデザインだけ変えて新製品として売り込むような、悪しき商業主義が政策原理となった。極めて乱暴な手口で、日本型ポピュリズムの一形態が完成したわけである。

 その国家レベルのイベントの、超目玉商品がオリンピックであった。招致運動から始まって、キャラクターやスローガンの選定、諸施設の建設とお披露目、選考競技会、聖火リレー、協賛メディア総出の「期待が高まる!」キャンペーン、その他もろもろエトセトラで、本番まで長期間にわたる活用が保証されていた、 …… はずであった。

 しかし、面倒くさい実務が大の苦手で、お仲間の無能力者どもに主要ポストをあてがい、会議はテラテラ顔のニコニコ・クラブ集合写真で誤魔化して、力仕事はすべて電通などの外部団体に丸投げしたことのツケがまわって、この各プロセスでことごとく失敗を繰りかえした。
 ロゴ・デザインの盗用が見抜けず、建築物のデザイン・パースを見せられても、建物が巨大過ぎて敷地をはみ出す勢いであることも理解できず、建設費用積算ができず、完成後の維持メンテには関心すらいだかず、批判沸騰し、慌てて再設計すれば聖火台を忘れる。“木のぬくもりが感じられるスタジアム”などど、取って付けたような粉飾「コンセプト」で誤魔化そうとしたが、出来上がってみると。見にくい、通路狭い、便所少ない、お化け屋敷みたい、まるで便器だ、と悪評芬々。
 いい加減白けきったところへコロナ・パンデミック。政府が広げた大風呂敷に乗って、インバウンド目当ての先行投資をした旅行・観光業界から脅しをかけられ、"Go To" キャンペーン。このあたりから対策は、最もプレッシャーを受ける部分への言い訳だけとなり、安倍は早々に二度目のギブ・アップ。

 もう、一日も早く、止める! と言うしかないはずなのに、今度は、誰に、どのタイミングで「止める」と言わせるのか、つまり誰を戦犯として差し出すのか、のチキン・ゲームにフェーズ移行している。ウンザリさせられる既視感にとらわれるではないか。

 あれだけの事故を起こして、多くの原発稼働国に稼働停止を決断させる証拠を見せつけたのに、その当事者国であるにも関わらず、「原発は止める」と言い出せない日本。

 さらにさかのぼれば、ミッドウェー海戦以降、反攻の目処など一切立たないのに、聖戦完遂! 國体護持! を叫び続け、死屍累々(ししるいるい)の惨状を座視し続けた大日本帝國。

 今、また、同じ負のスパイラルに陥っている。こんな亡国キャンペーンに唱和したとするなら、ご先祖様に申しわけがたたない。


その3; 女性差別、性的マイノリティ差別、を助長するオリンピック


 これが今回の「肝」だったのだが、長くなるので次回にまわします。
 概略の予告だけ、ザッと書いておきます。

a) 日本においては、あらゆる組織体が「体育会的体質」を内包している。
b) 正確に言うと、「男性間におけるホモソーシャル (homosocial) 的体質」の問題である。
c) 「ホモソーシャル (homosocial) 」の基本的属性は、
  「ミソジニー (misogyny) 」と「ホモフォビア (Homophobia) 」である。
d) これが、女性差別と性的マイノリティー(LGBT)差別を生む。
e) 今の日本政府とオリンピックの進め方は、本質的に「体育会的」である。
  よって、女性差別と性的マイノリティー差別を助長する働きしかしていない。
  森喜朗の発言だけが差別なのではない。オリンピック全体が、本質的に差別助長的なのだ。


 これだけでは、何のこっちゃ? ですよね。
 よろしい、次回に、じっくりと語ってきかせよう。
  …… 上手く話せる自信はないけれど。


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