難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           









大昔の偉人が、どんな容貌をしていたのか? いろいろと想像するのは楽しい。





AESOP(BC620-BC564)
AESOPの胸像として伝わるもの





ベラスケスの描くAESOP
上の胸像から想像力を膨らませています。絵描きって、すごいわ。





ロドス(ロードス)島は現トルコの沖合にある。AESOPは小アジアの人と言われる。





港の入り口に、巨大なアポロン像が建っていた。当時の世界7不思議の一つ。荒俣宏によれば、古代地中海の7不思議はすべて巨大建造物である。





正面から見たところ。





日本人、真似る、大好き。
歌川国虎
「羅得島湊紅毛舩入津之図」
江戸時代だ。





こんなのも
歌舞伎役者の錦絵風
作者は分からなかった。

























































AESOP's Fables で画像検索すると、いろいろな「イソップ物語」が出てきて楽しめます。
順不同でならべてみました。
さて、どれが、どの話か?
































































































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さざ波、笑笑、屁みたいな、そしてデータ捏造
     コロナ・パンデミックから何を学ぶか? その12
                  (2021年 5月 30日)


「さざ波」そして「屁みたいな」


 元内閣官房参与高橋洋一の "Twitter"での「さざ波」発言 & 「屁みたいな」発言に関しては、わざわざ一回の記事として採り上げることもなかろうと思っていた。多く人たちが怒りの声をあげ、的確な批判をしている。だいいちこの高橋という男、こちらが目くじらを立てて論難しなければならないほどの人物でもない。だから始めたばかりのツィッターで、少々つぶやくだけで済まそうと思っていた。
 ところがこの男、往生際が悪いというか、しんそこ性根が腐っているというか、"You Tube" に場所を移して、まだ、オレは悪くない、オレの本心はこうだ、とほざいているらしい。
 『東スポ Web』の伝えるところによれば、こうだ。

 ツイッターに「さざ波」「屁みたいな」などの投稿で炎上し、内閣官房参与を辞任した高橋洋一嘉悦大教授(65)が25日、自身の公式ユーチューブチャンネルを更新。辞任の真意を語った。
 高橋氏は今月9日に新型コロナウイルスの感染状況についてツイッターで「この程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」と投稿で、批判を浴び、21日には緊急事態宣言の行動制限について「欧米から見れば戒厳令でもなく『屁みたいな』ものではないのかな」と投稿。24日に「不適切表現だった」として、訂正し、内閣官房参与の辞任を申し出て、受理されていた。
 高橋氏は動画の冒頭、「非常に下品な不適切な表現をしましたので、それについては深く反省しております」と改めて、謝罪した。
 そのうえで「屁みたいな」の投稿で言いたかったのは
(A)「どうして日本は緊急事態宣言が弱いのしかできないのか。平常時に憲法改正してないから先進国で唯一、日本だけが緊急事態条項がない国になっちゃった。非常に厳しい行動規制ができない。世界と全く違うことを言いたかった」と訴えた。
 (B)「ただ表現がきつい。これには家族からも『お父さん下品です』と言われた。素直に反省しています。下品な表現を使ったのは日本だけが世界と違うことを言いたかった」と高橋氏は頭をかいた。
 辞めることでの心残りは「ない」と即答。「お金は何ももらっていない。表現だけのことで言われるのは本意ではない。それと私は政治家でないのに政治問題化しているのも本意でない。
(C) 辞めて、すっきり爽やかですよ」と笑顔を見せた。
 菅義偉首相には辞任の連絡は入れたものの、「あ、そうですか」と返答があった程度だったという。辞任届も東京にいなかったため、事務員に問い合わせたところ「メールでくださいといわれたので、『辞めます』と書いて、送った」とあっさりとしたものだったという。
 高橋氏は「私が参与だからみんな勘違いしている。私は聞かれたことに答えるだけで、何も訓垂れたりしない」と話し、これまで菅首相に何か意見したことはなかったという。
 今後については「言論活動はやめるつもりはない。ユーチューブもやめない。あまりに下品な表現をするつもりはないですけど、(ユーチューブなら)構わないでしょ」と
今後も問題提起を続けるとした。

 指摘しておきたいことが3点ある。

 (A)下線部分
 日本政府が十分なコロナパンデミック対応が出来ないのは、緊急事態項目の明記がない日本国憲法憲法のせいだ、という、改憲論者が好んで使うフレーズが繰りかえされている。聞き飽きたセリフである。落語風に言うなら、オレが仕事に行かないのは、ちょいと小粋な羽織がないからだ、とだだをこねる飲んだくれ亭主の言いぐさに似ている。
 コロナパンデミック対応が不十分なのは、ただ単に、政治家と官僚が著しく実務遂行能力を欠いているからであって、憲法条項とは何の関係もない。憲法は、国家の根本理念を明確化し、その実現のために国家がしてはならないことを記している。政治家の行動マニュアル集ではないぞ。改憲を吹聴する前に、憲法を読め。
  
 (B)下線部分
 批判者は、そのような高橋の思想性そのものに対して怒っている。しかるに高橋は、表現が不適切であった、というモノの言い方の問題に矮小化している。

 (C)下線部分
 この男、ここに至っても、大事なのは「自分の気持ち」のなのだ。お前の「お気持ち」など、誰も聞きたくもない。内閣官房参与という公人として、いたずらに人心を攪乱せしめた社会的過ちに対して、弁明と謝罪が求められているのだ。自分の立場が客観視できないという、おぞましいまでの常識の欠如。おまけに、軍人の勲章よろしく、大学教授という肩書きまでひけらかしているのだからなおさらのことだ。
 しかし、自分の気持ち・本音を持ち出して、聴き手の親しさ希求に忍び寄り、論理的にではなく、心理的に、大衆を見方に引き寄せておこうとするスタイルは、この高橋洋一に限らず、反動的保守内閣の提灯持ちを勤める似非文化人たちに共通するものである。

 と、ここまで書いて、これで終わらせておきたいのが本音であるが、高橋の「問題提起」と称するものが、どれほど尊大で不誠実なものであるか、確認しておこう。これからも続ける、なんて言っているから。


大衆に対する尊大さ = ゆがんだ選民意識


 ツイッター上での発言は、ツイッター上で責任を取らねばならない。

 これは一般常識の問題である。 SNSを利用する者に要求される最低限のモラルである。
 仮に私がこのサイトで、高橋洋一の不誠実さを、逐一、懇切丁寧に、書き上げていたとしても、突然彼のツイッターのタイムラインに侵入して、何の根拠も示さず、アホ・バカ・マヌケ、と罵しることは出来ない。当たり前だ。“場の共有”が思想表現の大前提である。だが、高橋洋一は平気でこれを無視する。

 高橋洋一はツイッターでさんざん駄弁をまき散らしてきた。調子乗りの度が過ぎて、今回その一つが批判された。ならば、反批判をするのなら、高橋は、ツイッター上で責任を持ってそれを行われなければならない。元の土俵から逃げてはならない。場外乱闘に持ち込むのはルール違反、敗色を糊塗する行為でしかない。
 しかるに高橋洋一は、おそらく、お仲間たちからのヨイショ、いいね! のスタンプに慣れきっているからであろう、思わぬ所から冷めた正論を投げつけられて狼狽えた。そこで、オレはもっと長い文章の綴れるメディアで、十二分の論理展開をしている、それを読んでから批判しろ、とキレてみせた。これが、次のツイート。5月12日である。



 私の書いたものとやったことくらいは事前に調べて発言すべきだった 、だと!
 この他者に対する尊大さは、どこから来るのか?

 表現行為とは、その各々が、それ自体で完結している。だから、誰でも、自分の責任でモノが言え、受けた賛同や批判を享受することができる。もし、日常接する数多の表現の、その一つに対して何らかの意見を差し挟むとき、その表現者の過去からの表現をすべて検証してからでしかモノが言えないのだとしたら、市民社会というものは成りたたない。それは批判無用の暗黒社会である。

 高橋は、やたら偉そうに「私の書いたもの」と言うが、それが何と “zakzak” だとはお笑いである。“zakzak”? ネトウヨ読者御用達のイエローペーパー『夕刊フジ』のサイトじゃないの。読みたいヤツは読めば良いだろうが、ごく平均的な常識を持った社会人なら賢明に避けて通るような代物だ。『夕刊フジ』なんて、電車の棚に放置されていても、手を出すこともない。そんな代物を読んでから批判せよ、だと! わたしゃ、御免被るね。

 表現者の責任ということに関し、いま少し述べておく。
 どのようなメディア・媒体であっても、社会に向いて発せられた言葉は、その社会に対する責任を負う。ツイッター上での発言も例外ではない。たとえ「 140字以内という制約のあるつぶやき」だからと言って、全てが免罪されるわけではない。社会という概念の実体、つまり「他者」(ひと)を、不愉快にさせたり、激昂させたり、絶望させるのに、 140字は十分な文字数である。 140字は平気で人を殺す。
 だから、 SNSの運営には「倫理規定」が整備されつつあるし、司法も「暴力としての言語」という概念を整備しつつある。これが今の世の一般的な潮流である。
 「社会的な責任」と言われると、高橋洋一などの亡国輩は、鼻の先に笑いを浮かべて、怠惰な市民社会が作り出したタブーだ、言葉狩りだ、パヨクの常套語だ、とか言う風に、返して見せる。そう言えば、お仲間たちから一斉に拍車喝采を浴びると考えているからだ。いいね! のスタンプ数が増えればどんな愚論・暴論も正論に浄化される、応援団の声があれば責任から逃れられる、と、勘違いしたままでいる。

 今から2500年以上も昔、ギリシャのアイソポス(イソップ)は、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という喩えを残した。表現者にとっては、どの媒体・メディアで表現しようが、そこが、彼にとっての、ロドス島の競技会場である。ここではない別の競技会でオレはもっと立派に飛べたのだ、といくら強弁しても、それは恥じの上塗りでしかない。

 もう一度言おう。
 「社会的な責任」とは具体的なものである。ツイッター上での発言はツイッター上で責任をとれ。


データの操作・捏造 『さざ波』編


 高橋洋一はじめ、保守反動政権擁護の似非文化人たちに共通する性癖は、データの意図的な引用をすることに躊躇い(ためらい)がないことである。自分の口から出ると、全ての言葉は真実に転化する、と信じ切っているようだ。これ、彼らのご本尊安倍晋三にそっくり。実際を見てみよう。

高橋の「さざ波」発言はコレである。5月9日のツィート。



 これに高橋は、エビデンスとして、次のチャートを示す。



 "COVID-19" 日度確定患者数(百万人あたり)のチャートである。
 確かに、このチャートを見る限り、インドと欧米諸国に比べて、日本と英国の数値は低レベルである、と読める。
 英語表記。ほら、こんな風に、オレは欧米のきちんとしたデータに基づいて話しているんだ、という、素人をナメタ雰囲気がにじみ出ている。俗物臭プンプン。

 実はこれ、"Our World in Data" というサイトのもの。
 誰でも、何時でも、何処ででも、チョー簡単にデータを抽出してチャートを作ることができる。

 高橋は、日本の患者数が「さざ波」レベルであることを示すため、比較対照項目として、患者数の多いインド・欧米諸国を「選択的に抽出」して、対比が際立つチャートを「作表」している。

 "Our World in Data"は、およそ入手しうる国と地域のデータを集めて、アクセスした人が自由にシミュレーションが出来るようにしてある。

 では試みに、日本と近隣諸国を比較すればどうなるか? 遠い地球の向こう側にある国々と比較するより、近くの国々との比較の方が、より具体的・現実的であるはずだ。
 で、チョチョ、っと作ってみた。30秒ほどの作業である。
 高橋が「作表」したのと同じ日、5月7日のデータでやってみた。



 あらあら大変。
 韓国・台湾・中国と比べれば桁違いの多さじゃないの。ロシアに迫る勢い。さざ波、どころか、波高し、の状況だぜ、こりゃ。


この俗物性を見よ!


 この「さざ波」発言が批判された。
 誠実な人格の持ち主なら、作為的なデータ抽出も含めた、今回のツィッター表現の全体に対し、自己批判を行うだろう。だが高橋は何処までも俗物である。「さざ波」という表現に一部パヨクが食いついたのだと都合よく矮小化し、言葉を撤回すようなふりをして、批判者をあざけってみせる。5月11日にはこう呟く。



 批判者の出ることで、かえって自分の説の正当性が証明たような気持ちでいることが、そのまま伝わってくる。「世界のなかで日本の状況を客観的に分析するのがモットー」とは恐れ入るが、その言葉どおり、前回のチャートと同じもの(ただし、日付は2日後)を添付している。


データの操作・捏造 『屁みたいな』もの編


 続いて、5月21日の「屁みたいな」もの発言について。
 「屁みたいな」は「さざ波」よりさらに叩かれた。その理由は、下品だから?
 確かに、明らかに下品なものは、批判する側もストレートに批判しやすい。高橋も、その風圧の差は感じ取っているようで、「さざ波」ツィートはそのまま残しているが、「屁みたいな」ツィートは削除している。でも、この軽重、おかしくないか? 表現の適・不適より、彼の論旨の正しさであろう、肝心なのは。



 高橋はこの「屁みたいな」発言にも、"Our World in Data"を利用して作ったチャートを添付している。チャートのタイトルは、 "CIVID-19 : Stringency Index"(政府の行う行動規制の)『厳格度指標』
 高橋は、前の「患者数」チャートにあった国から、インドを除外して、西欧諸国と日本とを比較している。西欧諸国のいずれもが、日本より、「行動制限」の指数が高いことを示して、日本の「行動制限」弱さを「屁みたいな」もの、と言ったわけだ。
 何が言いたいのだ、この男。



 前の「患者数」の場合と同様に、今度も、比較対照する国々を、近隣諸国に限定してチャートをつ作ってみた。データの日付は、高橋のチャートと同じ日にしてある。
 値の上下がひどくばらけて、傾向を読むことが難しい。しかし少なくとも、この表からは、日本の行動規制が弱い、とは読めない。




データ活用の行儀作法について


 高橋は、西欧の行動規制の強固さに比べれば、日本の「緊急事態宣言」とか「蔓延防止措置」とかの強制力は弱く「屁みたいな」ものであることを証明しようとする。これは、高橋自身がいかに否定しようとも、菅義偉の強権国家指向にそのまま寄り添ったものである。だからこそ、菅義偉内閣において内閣官房参与(経済・財政政策担当)に任命されたわけだ、違うかね?

 高橋は、適当に数各国を選んで "Stringency Index" のチャートを作り、ほらこの通り、これがエビデンス、とやって見せた。
 噴飯物である。いやしくも大学教授という肩書きを持つ「有識者」のやることだろうか。データを正当に引用するための手続きが、まったく踏まれていないじゃないか。

 前の『百万人あたり 日度 確定 患者数』のデータは、あくまで「患者数」という「定量的データ」である。データ集計の精度にバラツキがあったとしても、その数値はそのまま比較検討に使って良いだろう。
 だが今度の『行動規制の厳格度指標』は違う。安易にそのまま証拠として採用できるようなデータではない。

 「厳格度指標」はカウンターで数を読むこともできないし、エクセル表で集計することもできない。電流量や血圧のように計測器で測ることも出来ない。「厳格度指標」は、検証の対象自体が人間の思い描く「概念」である。馴染みの事例を挙げれば、企業の人事考課とかタレントの好感度ランキングとかと同じ。いくつかのチェック項目に関し、採点者の判断によって素点がふられてゆき、その結果から傾向を読みとるものである。つまり「定量」ではなく「定性的データ」なのだ。

 「定性的データ」を取り扱うには、守るべきルールがある。行儀作法と言っても良い。それは、「指数」といっても、あくまで人が判断した概念なのだから、そこから「一対一対応」の厳格な意味を導き出してはならない、ということ。あくまで「逃げ」を許容して使わなければならない。
 人事考課の場合。これはあくまで今期の成果評価であって、考課対象者の人格否定となってはならない。次期にはこの評価が変動する可能性がある、という前提があっての評価である。
 タレントの好感度ランキング。これは、他者の趣味・趣向をのぞき見ておのれの変態性を検証する、お遊びですね。
 B級グルメランキングで、カレーライスがトップになっていても、オレは断固カツ丼を食ってもイイ。
 「定性的データ」の取り扱いとは、このうようなものである。

 高橋は、自説を援護できるデータを物色し、 "Stringency Index" を見つけ、あっ、こりゃ使える、と、そのまま使用した。その前に、ちらりとでも、この "Stringency Index" とは、どのようにしてはじき出された数値なのだろうか、と学者らしく思案しなかったのだろうか。
 検索してみたら、ある海外不動産投資のコンサルティング会社のHPが、先頭でヒットした。 "Stringency Index" が何たるか、どのように取り扱うべきか、が丁寧に解説されている。ちょっと長くなるが、そのままコピーさせていただく。最後の赤字部分に特に注意してください。感謝。



  Covid-19各政府の対応ー厳格度インデックス  

 オックスフォードCovid-19政府対応トラッカー(OxCGRT)は、学校の閉鎖、渡航制限など20の指標について、パンデミックへの各政府の対応に関する情報を体系的に集めたものです。世界180か国以上のデータが収集されています。
 データは、Risk of Openness Index(開国のリスクインデックス)にも使用されています。これは、各国が「開国」しても安全か、それとも「閉鎖」してコロナウィルスとの戦うべきかを理解するのにも役立ちます。
 
  厳格度と政策インデックス  
 
 OxCGRTは、政府の対応に関する20の指標について、公表されているデータを収集しています。政府の対応指標8つ(C1−C8)は、封じ込めおよび閉鎖に関する対応(例:学校閉鎖、移動制限)などです。4つ(E1-E4)は、経済政策で、例えば国民向けの所得サポートや対外援助などです。さらに8つ(H1-H8)は、医療システム関連の政策で、Covid-19検査体制、医療などへの緊急投資、最近のワクチン関連政策についてです。
 世界銀行のレポートでも、この厳格度について触れられています。

 これら20の指標のデータが4つの共通インデックスとしてまとめられ、政府の対応レベルが1〜100で示されています。
 1.全体としての政府の対応インデックス:政府の対応が、データベースのすべての指標においてどのくらいばらついたかを示すもの。
 2.封じ込め・医療インデックス:「ロックダウン」や閉鎖などに検査方針や接触者追跡、医療への短期投資やワクチンへの投資など。
 3.経済支援インデックス:所得サポートや債務免除などの対策を記録するもの。
 4.当初の厳格度インデックス:主に人々の活動を制限する「ロックダウン」型の対策の厳格度を記録するもの。

 これらのインデックスは、政府の政策の厳しさを記録するためのもので、政府の対策の適当性まはた有効性をスコア付けするものではないことが注書きされております。つまり、インデックスが高いからといって、他の国々よりその対応が「良い」とは限らないので、留意して見ていかなくてはなりません。





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