難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           










































































































































































































































































































































































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やるんか東京 やるんかオリ・パラ
     もうオリンピックなんか、止めてしまえ。 その18
                  (2021年 7月 20日)



それ、冗談だろう? でも、質の悪い冗談だぜ。


 いよいよ、一年遅れの『2020東京オリンピック』の開幕が間近に迫った。
 とは言っても、期待をこめてそう言うのではありません。
 えーっ、それでもやるんか、オリ・パラ! という驚愕と慨嘆の言葉です。

 この数ヶ月「オリンピック関連のニュース」をイヤと言うほど聞かされてきた。
 正確に言えば、我々が聞かされてきたのは、「オリンピック関連のニュース」なんかじゃない。
「新型コロナ感染が進むなかではあるが、それでもオリンピックをヤル」という、論理的につながらない文言の繰りかえし、為政者たちの吹く、かすれたラッパの響きであった。国家権力の中枢に居座る男や女たちが、入れ替わり立ち替わりカメラの前に現れて、大丈夫、オリンピックは、できる、やる、やれるはずだ、やらねばならない、を繰りかえしてきた。

 確かに氷山にぶつかりました。
 でもご安心ください、このこの船は絶対に沈まない設計になっています …… 、

 いろいろな説があります。
 それでも地面は平面です。太陽や月や星が大地の周りを回っているのです …… 、


 かってあった(と伝えられている)この様な言辞は、今の時点では冗談として響く。何れも、かなりブラックはものであるけれど。
 だが、今繰りかえされている「新型コロナ感染が進むなかではあるが、それでもオリンピックをヤル」という言葉は、正味、質の悪い冗談である。

 もう、うんざりだ。
 この様な「オリンピック関連のニュース」など聞きたくもない。


現実世界を知る権利が奪われている


 新型コロナ感染という渦中の難題をさておいても、世界には、我々が知らねばならないことがごまんとある。
 香港では民主主義の抹殺が進行している。比較的情報が伝わりやすい香港ですら、あの状態なのだ。中国の強権支配が進むウイグル、チベット、モンゴルのありさまは、ほとんど伝わってこない。いったい現状はどうなっているのか? 想像するだけでも恐ろしい。
 ミャンマー民主派はロヒンギャ武装勢力と共闘を始めたと、伝えられている。ミャンマーはすでに内戦状態にあるのではないか?
 地球を西に回ると、インドではイスラム教徒への集団暴力が増加、エチオピアで集団虐殺、南アフリカで暴動が拡大。中央アメリカ・南アメリカでは、ほとんどの国の政情が不安定で、反政府デモが吹き荒れている。ハイチでは大統領が暗殺された。いったい何が起こっているのか?
 クリミア、ウクライナ、パレスチナ・ガザ地区、トルコ・クルド紛争、など、戦闘状態が常態化した地域に解決の見通しがあるのか。誰が対立を煽り、誰が収拾に動いているのか。タリバンとの抗争が膠着状態にあるアフガンからアメリカ軍は「撤退する」という。1973年のアメリカ軍ベトナム撤退のニュースは我々を喜ばせたが、今回のアフガン撤収には不安がつきまとう。今後どうなるのか?
 このように、世界を見渡すと、西欧諸国とそれに追随する幾つかの国を除いて、「オリンピックどころではない」国々が多いのだ。つまり、新型コロナ感染という疫病蔓延がなくとも、世界の国からこんにちは! ようこそお越し、おもてなし、などと浮かれている時ではないのだ、今は。

 我々の日常は、世界から隔絶されているわけではない。我々は、世界の今を知る権利を持っているし、また知る義務もある。
 しかるに、来る日も、来る日も、ニュース枠の多くが「オリンピック関連のニュース」で占められ、政治家どもが「オリンピックは、できる、やる、やれるはずだ、やらねばならない」の戯れ言を繰りかえす。煮え切らない議論に業を煮やしてか、何も分からぬ国民同士が敵味方入り乱れての「持論」展開合戦。極東の島々にすむ我々にとって、世界の現実はますます希薄になってゆく。我々自身の現実も、また。


安倍晋三、共産党と朝日新聞に悪態をつく。


 先日、安倍晋三が次のような発言をしたという。

 彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました。

 対談の相手は櫻井よしこ、掲載されたのが『月刊 Hanada 』(飛鳥新社)8月号。ネトウヨ仲間の戯れ言である。いまさら目くじらをたてることもない。と思うのだが、この放言が朝日新聞の報道に影響を与えているのだとしたら、笑って済ますわけにはいかない。
 もちろん、この安倍の一回限りの発言で朝日の報道姿勢がコロリと変わった、などと言うつもりはない。だが、周知の通り、トランプがマス・メディアに対決姿勢をとり続けたように、安倍は朝日と日教組を目の敵にし、"口撃"をくりかえしきた。その積み重ねが朝日の報道姿勢を歪めてきたことは紛れもない事実ではなかろうか。

 実例で示そう、朝日の報道が「歪められた」状態を。
 首都圏・東京を中心に五輪反対デモが連続して行われているが、その報道内容を見てみる。
 分かりやすくするために、もう一つ別の報道と並べて検討する。比較するのは『 AFP通信』の記事である。

A)【検討対象】『朝日新聞 DIGITAL』(2021年6月23日 20時58分)

B)【比較対象】『 AFP BB News』(7月17日)



同じ『反五輪デモ』の写真なのだが


 『 AFP通信』はフランスの通信社。当然、日本政府との因縁・しがらみは無いだろう。
 どちらもデモの写真を多用して、現場の状況をリアルに再現しようとしている。双方に、ほぼ同じような被写体の写真があるので、その一対をコピーする。写真につけられたキャプションもそのまま添付した。左が『朝日新聞』、右が『 AFP通信』である。



 いかがでしょう。どちらが「報道写真のリアリティ」において勝ってる、と思われますか?
 私には、『 AFP通信』の写真の方が、より鮮明に現場の実情を伝えているように感じます。

 『朝日新聞』(左)の写真には、多くのデモ参加者が写っている。背景の建物から、デモ隊は都庁の正面玄関に向かってプラカードを差し出しているのだ、と想像できる。そういう意味で、客観的要素をたくさんに盛り込んだ優等生的な報道写真である。だがここには "何か" が不足している。
 写真はパンフォーカスで撮られていて、人々は背景の建物と一体化し、風景に溶け込んでしまっている。見る者の視点が定まらない。しばらく画面をさまよった後、「中止だ! 東京五輪」という文字を読んで納得するしかない。ここに不足している "何か" とは、これを視ろ! という撮影者の意思力である。言いかえれば、被写体に対する "共感" である。

 これに対して『 AFP通信』(右)の写真は、迷うことなく中央の男性にフォーカスされている。背後の人たちの輪郭はぼやけ、街の風景・灯りは、完全な「ぼかし」になっている。撮影者はかなり遠方から、望遠でこの男性を狙っていたに相違ない。時刻は夜。男性の顔には油が浮き、疲れが見える。視る者はそこに被写体のリアリティを見る。それは無謀な五輪開催に対する怒りである。男性には、このデモに参加するまでに長い怒りの持続があった。撮影者はその怒りに共鳴している。


記事全体で比較してみると


 一対の写真だけで判断するのではなく、『朝日新聞』と『 AFP通信』の記事全体で比較しておこう。『朝日』にはあと4枚の写真がアップされている。それを全部コピーする。『 AFP』にはあと11枚の写真がアップされている。『朝日』の枚数に合わせて4枚だけを選んだ。



★★『朝日新聞』(2021年6月23日 20時58分)★★

〔標題〕都庁前で五輪反対デモ 道の向かいで賛成派が訴えたのは
〔本文〕
 東京都新宿区の都庁前で23日夕、東京五輪・パラリンピックの中止を求めるデモがあった。
 五輪の開幕まで1カ月に合わせ、反対運動を続けてきた複数の市民団体が呼びかけた。100人を超える人たちが「利権まみれの五輪は中止」「その資金をコロナ対策に」などと書かれたプレートを掲げ、「生活を破壊する五輪を終わらせろ」などを訴えた。
 「オリンピック災害おことわり連絡会」によると、韓国やパリ、ロサンゼルスでも同様のデモが行われる予定だという。
 一方、付近では五輪開催を訴える別の団体が「そんなに集まれるんだったら五輪、できるんじゃないですか」「五輪賛成」などと訴えていた。






★★『 AFP通信』(7月17日)★★

〔標題〕都内で東京五輪中止求めるデモ、組織委入るビルへ行進
〔本文〕
 都内で16日、東京五輪の中止を求めるデモが行われた。参加者らは、築地から、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(Tokyo Organising Committee of the Olympic and Paralympic Games)が入るビルに向かって行進した。






『朝日新聞』の記事について


 路上からデモ隊列を写した2枚の印象は、先ほどの写真と同様の評価となる。デモ隊に近接して広角で撮られているが、受ける印象はやはり「デモ隊の風景」である。上空から撮った2枚は、テレビのニュース映像用として撮った動画をそのまま活用したのだろうが、その掲載意図が分からない。路上・広場を埋め尽くすデモ隊! と言うのなら、上空からの俯瞰にも迫力がでるだろうが、これじゃ、オリンピック反対、などと叫ぶデモがあったが、総勢はたったこれだけですよ、しょぼいデモですよ、と皮肉っているようにしか思えない。
 それに本文の最後の一行、一方、付近では五輪開催を訴える別の団体が「そんなに集まれるんだったら五輪、できるんじゃないですか」「五輪賛成」などと訴えていた。 これは何じゃ! 全くの蛇足。これでいっぺんに、記事全体が胡散臭いものとなる。
 いや、それより、標題の方がもっと酷い。
 五輪反対デモより、「道の向かいの賛成派」に肩入れした表現になっている!

  都庁前で五輪反対デモ 道の向かいで賛成派が訴えたのは

 五輪反対のデモがありました。だが、この程度の規模でした。
 五輪反対のデモがありました。だが、五輪賛成のデモもありました。

 こんな風に「両論併記」風の表現をすれば、「報道の客観性が確保できる」と勘違いしているのだろうか。いや、わざと、勘違いしているのかも? こうしておけば、お上の不興を買うことなく、デモの報道ができる。
 これは、もう、「まやかしの報道の客観性」でしょう。


『 AFP通信』の記事について


 正しい意味での「報道の客観性」とは、事柄をたくさん盛ることとか、両論併記で獲得できるものではない。肝要なのは、「報道すべき対象の現実を、過不足無く伝えること」である。
 喜んでいる人がいれば、その喜び。怒っている人がいれば、その怒り。これらを歪曲することなく、減衰させることなく伝えることで、報道の客観性が獲得される。
当たり前だろう。

 そういう視点で『 AFP』の記事を見てみよう。
 本文は極めて短い。五輪反対のデモが行われた、ということのみが書かれている。
 そう、それで良いではないか。余計な言語装飾はミスディレクションの元だ。
 さて、そのデモが何を訴求してるのかを、映像そのものでリアルに伝えている。
 撮られているのは「デモ隊列の風景」ではない。被写体となる人たちは、「そこまでして五輪をヤルのか、という怒りを表現するために、デモに参加している表現者として」認識されている。カメラは、この表現主体の表情をクローズ・アップすることで、その怒りを見事に写し取っている。


菅義偉 何を聞いても「安心・安全」。


 安倍晋三の朝日新聞への憎悪吐出は、本人が意識している以上の効果をあげている。長期にわたる憎悪吐出の繰りかえしは、それが積み重なって、ジャーナリズムを完全に萎縮させてしまう力として働いた。安倍晋三の言葉は、それが気楽な戯れ言であっても、大きな力を持つ。なぜなら、安倍は権力者なのだから。権力とは菰(こも)を被った暴力である。

 菅義偉だって負けてはいない。安倍晋三が、言わなくとも良いことをペラペラと喋りまくって、議会制民主主義を着々と破壊してきたのに対し、菅義偉は、言わなくてはならないことに黙り(だんまり)を決め込むことで、議会制民主主義を最終的に破壊しようとしている。本人が無自覚であるらしいことは、こちらも同じ。

 菅義偉が、国会や記者会見において、質問された内容とはまったく無関係な文言を答えとして返すことは、もう周知の事実となった。記者会見において、その質問答える必要がないと言って黙り込んだり、もとより気に入らない質問者には質問許可を与えないことも、日常のこととなった。それで質問者が呆れかえったり、議場が騒然となっても、本人は平気の平左、蛙の面に小便(いや、失礼)。

 東京新聞は業を煮やしたのか、7月16日、『何を聞いても「安心・安全」 本紙など3社の異なる質問に同じ答え 首相会見の書面回答』という記事を掲載している。もはや、菅義偉の場合、会見内容ではなく、何を尋ねても同じ言葉しか返ってこないというコミュ症状態そのものが記事になっている。その冒頭は、

 政府は16日、菅義偉首相の8日の記者会見で指名されなかった報道機関が、会見後に提出した質問に書面で回答した。本紙は東京五輪に関し、新型コロナウイルス緊急事態宣言下で、国民の健康を危険にさらすリスクを冒してまで開催する意義を尋ねた首相は一部競技の無観客開催などの対策を挙げ、「対策を徹底し安心・安全な大会の実現に取り組む」と従来の主張を繰り返し、意義については答えなかった


新聞社3社の質問とは?


 では、東京新聞をはじめ新聞社3社は、どんな質問をしたのか?
 東京新聞の紙面を読んでいただければよいのだが、新聞社各社の発した質問をまとめると、次の通り。

『東京新聞』の質問
 国民の健康を危険にさらすリスクを冒してまで、オリンピックを開催する意義があるのか?

『西日本新聞』の質問
 緊急事態宣言下で五輪を開催して感染者が増加した場合、首相は政治責任をとるのか?

『日刊ゲンダイ』の質問
 医療崩壊が起きた場合、首相が言う「国民の命と健康を守れない」状況に該当する。その場合は五輪を中止するか?

 どれ一つとして、解答不可能な問いはない。
 今の菅の立場に立てば、こう答えれば良いのだ。

 …… 五輪を開催する意義があるのか? → 意義はある、何度も説明しただろう!
 …… 首相は政治責任をとるのか?   → もちろん、責任をとる!
 …… 五輪を中止するか?       → 絶対に中止しない。完遂する!


 自信・根拠・裏付け、が有ろうが無かろうが、今後事態がどう進展しようが、キッパリとこう答えればそれで済む。問答成立である。
 しかるに、菅義偉は全ての質問に、まったく同じ文面で答えているのだ。現在行っている対策を列挙し、「対策を徹底し安心・安全な大会の実現に取り組む」という常套句で結ばれた文章で。
 原文が、読みたい? お止しなさいよ、腹立つだけだよ。まぁ、コピーしとくけど。

 再び東京を起点とする感染拡大を起こすことは絶対に避けなければならないとの思いで、緊急事態宣言を発令した。飲食店での酒類提供禁止をお願いするなど、感染防止対策を徹底し、併せて、感染対策の決め手となるワクチン接種を進める。東京大会については水際での対策を徹底し、入国する選手や大会関係者によって国内の感染状況に影響が及ばないよう、徹底した検査や行動管理を行う。観客については、国民の安心・安全を最優先に、緊急事態宣言の場合は無観客も辞さないと申し上げてきた。緊急事態宣言となり、五者協議などにおいて1都3県、北海道、福島県については無観客となることが決まった。対策を徹底し、安心・安全な大会を実現できるよう取り組んでいく。


結び


 もう、ここまで来ると、真面目な質問者が次にとるべき態度は、次の三通りしか残されていない。

 その1: 笑ってごまかす。
 その2: すべての政治的事項に無関心となり、うちに引きこもる。
 その3: 腹立ち紛れにテロに走る。


 安倍晋三は戦前の大日本帝國に多大の郷愁を感じているようだが、その時代は元気のよい右翼将校がたくさんいたから、安倍や菅がもしその時代の政治家だったら、もう何回も「危ない思い」を味わっていたことだろう。
 現代だから安心、などと思うな。
 オリンピックに出場する選手やボランティアを非難する人たちがいる。路上に集まり飲酒し放歌高唱する人たちがいる。あっさり不心得者と決めつけられるが、実際はどうなのか?
 もともとは真面目な質問者であったのに、納得できる答えが得られないので、その鬱憤を小出しにしている。そんな人たちではないのか?

 これ以上鬱憤をため込むことが続くと、いつの間にか蓄積の限界点に達し、その負のエネルギーは、暴力・テロルに転化するだろう。
 その時、ポピュリズムはあっさりと政権を見捨て、暴力・テロルの側に荷担する。



 最後は、笑ってごまかそう。



この動画は素浪人暇仁さんに教えてもらいました。
You Tube にたくさんのコピーがありますが、いつ削除されるかもしれないので、当サイトに取りこんであります。
原作者に感謝。




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