映画は観終えたあとから、もう一つの楽しみが始まる。
何故この作品がこれほどまでに私を楽しませてくれたのだろう?
今度は私がホームズとなりポアロとなって謎解きの森に分け入る。
『たきび』の作詞者:巽聖歌
『たきび』の作曲者:渡辺茂(左)
戦後めでたく『たきび』は復活する。
しかし防火の観点から、挿絵には必ず保護者とバケツが描かれる事になる。
『森の水車』のレコード・レーベル
高峰秀子さんはまだ少女だった。
『森の水車』の作詞者:清水みのる
『森の水車』の作曲者:米山正夫
映画『二十四の瞳』
純和式階名で教える笠智衆
「ひひふみみみ いいいむい」と歌っています。とても歌いにくそう。
こんな感じの電気蓄音機でした。
値打ちがある感じ。
SP盤の回転するターンテーブル
『島の娘』のレコード・レーベル
小唄勝太郎
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発禁になった唱歌たち −− 検閲者における過剰適合性
(平成27年 12月 25日)
『日本会議の正体を暴く』では、学校唱歌や戦後流行歌を引きあいに出して話を進めてきた。論を進めるために少しばかり調べてみたら、えっ、えっ、えっー、と驚かされることが続出し、まこと、おのが不明を恥じること度々の有様だった。しかしそこに深入りすると流れが冗長になるので、その部分だけ別の記事にする。それが今回の内容である。サイトの設立にあたって『歌舞音曲』というジャンルを掲げているので、その第一稿としたい。
『日本会議の正体を暴く その4』でこう書いた。『国家総動員法』の時代には、戦争目的と直結しないものはことごとく「時局にそぐわない」として退けられ、学校においては軍歌を歌うことが教育の代替となった、と。私はあくまでその時代を象徴的に言い表したつもりであって、まさか、個々の唱歌が槍玉に挙げられて禁止されたことがある、とまでは思っていなかった。子供の歌う唱歌ですよ、『聞け万国の労働者』などの労働歌でもなければ『島の娘』みたいな色っぽいエレジーでもない。まさか唱歌まで発禁にはならなかっただろう、と単純に思い込んでいた。ところが、あるんですね。それも一つや二つじゃない。
その一は『たきび』
『たきび』(作詞:巽聖歌 作曲:渡辺茂)
かきねの かきねの まがりかど、たきびだ たきびだ おちばたき。
あたろうか。あたろうよ。きたかぜ、ぴいぷう、ふいている。
この歌、好きでしたね。何もかもが寒くて縮こまってしまう冬。それでも子供は日常のなかに喜びを発見する。小学校の音楽室で大声をはりあげて歌ったウキウキ感は、半世紀以上の歳月を経てまだ私の中に残っています。たき火など、めったにお目にかかれない都心部の子供だったのに。
この歌はNHKラジオの幼児向け歌番組で放送されたのだが、軍部の横槍が入って放送2日で打ち切りになった。いったいこの歌のどこが「時局にそぐわない」のか。軍部の言う理由は、まさに噴飯ものなのだが …… 、
1) たき火は敵機の攻撃目標になる、
2) 落ち葉も貴重な燃料のうちだ、風呂ぐらいは焚ける。
この歌が放送されたのは1941年(昭和16年)12月9日。つまり「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」の翌日。開戦で軍部の検閲官たちは異様に興奮していたのでしょうね。何でも良い、どんなものでも良いから放送禁止の対象として炙り出し、開戦への恭順の意を表したかったに相違ない。
因みに、この一節は作詞者の渡辺茂を読売新聞の永井一顕という記者が訪問して書いた文章を元にしている。禁止理由は正確なものだと判断してよいだろう。
−−−− 読売新聞文化部編『唱歌・童謡ものがたり』岩波書店刊
その二は『森の水車』
『森の水車』(作詞:清水みのる 作曲:米山正夫)
1 みどりの森の彼方から、陽気な唄が聞えましょう、
あれは水車のまわる音、耳を澄ましてお聞きなさい、
コトコトコットン コトコトコットン、ファミレド シドレミ ファ、
コトコトコットン コトコトコットン、仕事に励みましょう、
コトコトコットン コトコトコットン、いつの日か楽しい春がやってくる。
2 雨の降る日も風の夜も、森の水車は休みなく、
粉挽き臼の拍子取り、愉快に唄を続けます、
3 もしもあなたが怠けたり、遊んでいたくなった時、
森の水車の歌声を、独り静かにお聞きなさい、
これも私の好きな歌でした。しかし歌っていて少しちぐはぐな感じがしたのも事実。三番に入ると「もしもあなたが怠けたり 遊んでいたくなった時」と急に説教くさくなる。確かに一番でも「仕事に励みましょう」という歌詞があるが、これは歌っている自分が水車に語りかける言葉としてごく自然に歌えた。だが三番の「もしもあなたが怠けたり …… 」となると、まるで自分が自分に説教しているようで主客にズレが生じてくる。いや、そのような文脈の乱れ以前の問題だ。歌詞の爽やかさとメロディーの高揚感がいよいよ佳境に入ると言うときに、「怠けたり 遊んでいたく なった時」などと怠惰で後退的な心情を持ち込んでくる必要があろうか?
この歌は1942年(昭和17年)の9月、高峰秀子の歌で『大東亜レコード』から発売されたが、発売の4日後に発禁となった。この間の事情については作曲者の米山正夫がコメントを残している。
…… 軍歌しか認められない時代で、『森の水車』のメロディが米英調だという理由です。当時の作曲家たちはいろいろ隠れて工夫して、いわゆる「米英調」の歌を作っていたんです。この歌は実はドイツの作曲家アイレンベルクのメロディを拝借しているんです。内務省の最初の検閲では枢軸同盟を結んでいるドイツの曲ならよい、ということだったんですが――。
−−−−『歌をたずねて―愛唱歌のふるさと』1983年(昭和58年)音楽の友社
この証言で私の味わった「ちぐはぐな感じ」の理由がハッキリと分かる。作者たちは色々と工夫を凝らしていたのですね。曲の統一感を破ってまでも歌詞に手心を加えている。『ポリドールレコード』は『大東亜レコード』と改称し、内務省検閲者の内諾まで得て、進め一億火の玉だ、のスローガンと齟齬をきたすことのないものに仕上げたつもりだった。それが4日で発禁です。
米山正夫は、隠された「米英調」を見抜かれたと言いますが、果たしてそうでしょうか。
軍部の検閲官が、英米調を感じとるほどの感性でもって歌の譜面を読んだ、とは思えない。実際、別の理由をあげる人が多くいる。それは、歌詞のなかに「ファミレド シドレミ ファ」と「ドレミ階名」が使われているからだ、と。
検閲官はまず歌詞の字面から「敵性語」を見つけ出そうとしたのだ。それの方が手っ取り早いでしょっ! 譜面を歌い、味わって、米英調を発見するなんて、悠長なことはしなかった。そんなまともな手順の踏める人なら、検閲官など務まらなかっただろう。
−−−−−http://blog.kajika.net/?eid=937754 (他 多数)
そう言えば映画『二十四の瞳』にこんなシーンがあった。怪我で休んでいるおなご先生(高峰秀子)に代わって、男先生(笠智衆)が唱歌を教えようとしている。曲は『千引の岩』と『ちんちん千鳥』。男先生は慣れぬオルガンと格闘しているのだが、彼が口ずさんでいるのは「ド・レ・ミ・ファ」ではなく「みぃ・よぅ・いっ・むぅ」の純和式(?)音階でした。ドレミファは、ほとんどの音楽用語がそうであるようにイタリア語。でも、降伏するまでは、イタリアも同盟国だったはず。だから「敵性」でも何でもないはずなのだが、もう西欧的なるモノはもう何でもかでも「敵性」扱いだった。
ここに「検閲者」たちの知力水準が垣間見える。この知力水準の確認のため、先ほど引きあいに出した小唄勝太郎の唄う「色っぽいエレジー」にも触れておこう。
番外で『島の娘』
『島の娘』(歌:小唄勝太郎 作詞:長田幹彦 作曲:佐々木俊一)
1 ハアー
島で育(そだ)てば 娘十六 恋ごころ
人目忍んで 主(ぬし)と一夜の 仇なさけ
2 沖(おき)は荒海 吹いた東風(やませ)が 別れ風
主は船乗り 今じゃ帰らぬ 波の底
3 島の灯(あかり)も 消えて荒磯(ありそ)の あの千鳥
泣いてくれるな 私ゃかなしい 捨小舟(すておぶね)
4 主は寒かろ 夜ごと夜ごとの 波まくら
雪はちらちら 泣いて夜明かす 磯千鳥
小学校の始めごろ、私の家には小さな冷蔵庫ぐらいの大きさの蓄音機とかなりの枚数のSPレコードがあった。父が買ったものではなかった。人の出入りの多い家業だったので、その趣味の誰かがやむなく残していったものだと思う。私は表で遊ぶより、この蓄音機をいじっている方を好んだ。お気に入りの曲が幾つかあったが『島の娘』もそのうちの一つだった。繰り返し聞くものだから、意味など良く分からないまま歌詞を丸暗記して、はぁー、なんて黄色い声をあげていた。
母親とか近所のおばさんからは、子供がそんな唄を歌うもんじゃありません、とたしなめられたが、父親は違った。お前のお祖父さんはこの唄が好きだった、ラジオからこれが流れると、にじり寄って目をつぶって聴いていた、それが戦時中はダメになったから、お祖父さんはひどく落胆して …… 。古いアルバムや仏壇の上の写真でみる祖父は、ひどく気むずかしい顔をしていて、その日常を想像することができなかったのだが、この話でいっぺんに身近なお祖父さんになったように思えた。
さて、この歌は1932年(昭和7年)12月にビクターレコードから発売された、と言うから相当古いものである。「瞬く間に全国的な大ヒットとなった」が「戦争に突入すると、政府当局(内閣情報部)から「歌詞に問題アリ」とされ、1番の歌詞が改変されたが、結局は発禁処分となり歌うことも禁じられてしまった。(Wikipedia)」
では、歌詞は発禁処分の前、いったんどのように変更されたのだろうか? どこをどう弄れば「歌詞に問題ナシ」となるよう改竄できるのだろうか?
分からぬままだったが ”YouTube”の動画で見当がついた。カラーの画面で小唄勝太郎さんが歌っている『島の娘』がある。「昭和46年11月20放送 なつかしの歌声より」というテロップが入っていて「紫綬褒章受章記念スペシャルみたいですね」というコメントが寄せられている。イントロのあいだ例によって司会者がお喋りを続けるのだが、その中に核心があった。それによるとこう変えられたのだと言う。
(オリジナル) 島で育てば 娘十六 恋ごころ
(変更後) 島で育てば 娘十六 べに襷(たすき)
−−−−https://www.youtube.com/watch?v=yCeJoxWb-WM
まさに「何じゃこりゃ!」ですね。もし変えるとすれば「主と一夜の 仇なさけ」の方でしょう。これ「あなたと一晩だけセックスをしたが、その思いが裏目に出たのか(あなたは死んでしまった)」という意味じゃないんですか? 二番以下と併せて読めば誤解の余地が無い。「娘十六」なんだから当世風に言えば「児童ポルノ」水準の際どさであります。「恋ごころ」という言葉だけを削除しても何にもならないはず。でも、検閲官にはこの「恋」という文字だけが、炭でべた塗りすべき陰部のように見えたのでしょう。先の「ファミレド シドレミ ファ」という字面だけを「敵性」と見なしたのと同じレベルです。
さて現代では
でもね、戦時中の検閲官の無知・無能ぶりを笑って終わらすことは出来ない。彼らは、このように無知・無能だったからこそ、あの強大な暴力装置の歯車として機能し、無限に増殖していったのだ。知力を欠いた下っ端どもは、為政者の指し示すイデオロギーに真っ先に迎合する。そして次第に「過剰順応」あるいは「過剰適合」していく。
現在に目を向けてみよう。野党も含めて国会議員のうち300名近くが『日本会議国会議員懇談会』に加わっている。安倍内閣の閣僚に至ってはその大半が参加者だ。この現象を何と見る? これこそ現代日本における最大・最悪の「過剰順応化・過剰適合化」であろう。政界だけではない、マスコミや市民社会の隅々にまで、この「過剰順応化」あるいは「過剰適合化」が恐ろしい勢いで進行しているではないか。この観点をしっかりと押さえて、再度『日本会議』批判へ戻らねばならない。
実はこの後 【 その三は『リンゴの唄』】 と続ける予定であった。何と『リンゴの唄』は当初『軍歌』として作られていたのだ! 長くなり過ぎるので、この三度目のビックリは別稿で。
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