難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。
コロナ・パンデミックから何を学ぶか? |
|
序破急の「破」 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』 その1 (2020/04/26) 行き倒れて亡くなった人や孤独死した人の死因を調べたら、新型コロナウイルスの感染者だった。この約1ヶ月全国で15人。( 4月23日の報道) じりじりとただ耐えているあいだに、コロナ・ウィルス (COVID-19) によるパンデミックは、ここまで進行してしまった。ソナタ形式ならば「展開部」に、日本の舞楽風に云うなら序破急の「破」の段階に突入している。このまま進めば、ある時点で感染は一気に拡大するだろう。新型肺炎発生が伝えられた初期の頃から抱いていた生活者としての不安が、ここに来てなまなましい現実となった。だが依然としてお上は、手を洗え、とか、蜜を避けよ、といった、当初からの啓蒙的合い言葉以上のなにものをも示していない。我が身を守るために、私たちはどのように行動すればよいのか。 |
|
「新型コロナウイルス感染症対策本部」という名のプロモーション 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その2 (2020/05/03) 日本国内で、海外への渡航歴のない人への感染が初めて確認されたのは、1月28日・29日であった。1月30日、政府は『新型コロナウイルス感染症対策本部』の第1回会合を開く。安倍君の報告は「我が国でも、昨日までに武漢滞在歴がない患者が2名報告されており、その方を含め8名の患者が確認されています」と始められる。しかしその後に続く対策は「武漢市などに滞在歴がある全ての入国者を対象として、日本国内での連絡先等を確認し、健康状態をフォローアップする」など「水際対策などのフェーズを、もう一段引き上げる」というだけのものであった。オイ、オイ、すでに日本に侵入しているウイルスはどうするんだ、放っておくのかよ? |
|
この国を守りぬく、なんて言ったのは誰だった? 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その3 (2020/05/16) 2011年公開の映画『コンテイジョン』は、まるで今のコロナ・パンデミックを予言しているみたいだ、と評される。制作者は、パンデミックについて徹底的にリサーチした、という。彼らは現在の状況に対して、優れた公衆衛生の専門家に対応の指揮を任せていないこと、十分な数の検査キットがないこと、パンデミックに対する政府の事前対策チームがどういうわけか解散させられていたこと、でトランプ政権を批判する。また、2015年、ビル・ゲイツは講演で、核戦争という現実には存在しない恐怖に備えることを止め、感染症という差し迫った現実の恐怖に備えよ、と提言している。今回は、医療・感染症の専門家以外の人の、賢い言葉に耳を傾けてみよう。 |
|
「夜の街」は魔女の夜宴? フェイク・ニュース化するコロナ報道 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その4(2020/07/05) 首都圏を中心に、新型コロナウィルス(COVID-19)感染がジワリと再拡大している。しかし、政治家も、行政も、マスメディアも、初期の緊張感をすっかり失ってしまったようだ。さらに忌々しきことに、ウィルス感染拡大以上の速度で蔓延し始めているものが二つある。一つは、根拠の希薄な楽観論。もう一つは、コイツが悪いという「感染源捜し」である。報道がフェイク・ニュース化している。泥酔者の与太話のような小池百合子の見解を、メディアが無批判に拡散している。若年層の罹患率が高くなったのは吉兆だと言うのだ。ついこの間までは、若年層の罹患率は低いから安心しろ、と言っていたのではなかったか? さらに、医療態勢には余裕がある、とか。「夜の街」が感染源だとか、ウソと差別をばらまいている。 |
|
政権中枢と専門家、無能化の相互感染が進行! 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その5(2020/07/24) 菅義偉は「東京の感染者が増えたのは東京都の問題だ」と言い、小池百合子は「検査数を増やしたから感染者数が増えたのよ」と言い返す。まるで痴話喧嘩である。コロナ専門家会議では、専門家が「少しやり過ぎたかもしれない」と反省してみせると、その横で西村康稔は「だから専門家会議は廃止する」と言い出し、専門家は「そんなこと聞いてないよ!」と驚いてみせる。ダチョウ倶楽部のコントかよ。安倍晋三は国会が終わると引きこもってしまい記者会見すら行わない。やっと口を開いたら「とにかく、3密を避けるなど、感染予防を徹底していただく。国民の皆様の御協力を頂きながら、慎重に経済活動を再開していく。その方針に変わりはありません」だって。嗚呼、合掌。 |
|
「感染予防か、経済活動か、」は「國体護持」と同じ 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その6(2020/08/13) 太平洋戦争の末期、「國体護持」という言葉を金科玉条として判断停止をズルズルと続けた結果、どれほどの国民が無駄死にを強いられたのか、を思い出そう。この「國体護持か否か」という二者択一の論理が、今また「感染予防か、経済活動か、」という形で復活している。経済活動は、人々が健康で自由に交流できる状態を前提とする。だから「感染予防か、経済活動か、」という二者択一の論理は成立しないのだ。政権の言う「経済活動」とは、「言葉の正しい意味での経済活動」ではない。パンデミックなどの非常時を想定せずに形成されている金儲けの仕組みを、パンデミックの状態になっている今でも、しばらくはそのまま続けておきたいという、問題先送りの怠惰的精神を「経済活動を守る」と称しているだけのことである。 |
|
「安倍首相、お疲れ様」という欺瞞 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その7(2020/09/01) 安倍晋三が辞任の意を表明した。マスコミ・世論は当然「安倍政治8年間の総括」に向かうだろう。だがこれは政権・与党にとっては具合が悪い。安倍には「未解決の罪」の部分が多すぎる。いつまで、モリ・カケ・サクラの追及をしているのだ、という民衆の飽きやすさに便乗した世論誘導と、時間経過による緊張の風化によって、やっと臭い物にフタができた状態なのに、「安倍政治8年間の総括」となれば、またぞろこれが復活するだろう。そこで考え出されたのが、「安倍首相、お疲れ様 キャンペーン」である。安倍さんは、働きすぎなのだ、病気なのだ。みんな良識ある大人だろう。今は、何も言わず、何も咎めず、ご苦労さま、ゆっくりご静養ください、と言ってあげよう。うっ、何、これ? |
|
「菅義偉 新内閣総理大臣 選出」という欺瞞 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その8(2020/09/18) おおかたの予想通り、というより、メディアが流しまくった風評どおり、菅義偉が内閣総理大臣になった。だが、このことを、ああ良かったと胸なでおろし、素直に喜んでいる国民はいったいどれほどいるだろう。菅義偉という個人に対する好き嫌いのことではない。それより先に、われわれ国民の手の届かないところで、われわれには理解しがたい方法で、国家元首が選ばれている、しかも、そうなって久しい、という無力感に捕らわれてしまう。気が滅入るのは、私だけではないだろう。日本国憲法「第67条」には「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。」と書かれている。この議会制民主主義の理念は正しく具現化されているのだろうか? |
|
小番頭菅義偉の初仕事 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その9(2020/11/22) 安倍の退陣によって、内閣の小番頭から大番頭に昇格した菅義偉の初仕事は、日本学術会議新会員の任命拒否であった。菅の本質は「思想統制好き、公安警察風、地味に実行型ポピュリズム」であるから、さもありなん、と妙に納得させられてしまうのであるが、これは決して菅個人の責任問題ではない。コロナ感染拡大第3波襲来という現実を、政治的争点としないための目くらましである。日本学術会議側の反批判も、野党・ジャーナリズムからのものも含めて、理由をきちんと説明せよとか、これを許せば全体主義化につながるとか言うような、カビ臭いリベラル派臭プンプンのものばかり。このご時世に、こんな常套句を吐いて、安心していられるのは、いったい何故か? |
|
ガースーの “薄ら笑い” 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その10(2020/12/20) 菅義偉は、“GoToトラベル”の年末・年始2週間の停止を決めた。だが依然として、このキャンペーンが「感染拡大の主要な要因であるとのエビデンスは現在のところ存在しない」と言いはっている。だが証拠の有る無しは単なる方便、実態はこうだ。今までずっと全国旅行業協会とその会長である二階俊博のご機嫌を取ってきたわけだが、衆院解散・総選挙の期日がせまり、そろそろ日程調整に入らねばならぬいうタイミングで、あれよあれよと言う間に、内閣支持率がダダ下がり。今度は、当落線上ギリギリにいる議員たちが、このまま“GoTo”続けると支持率がさらに落ちるぞ、良いのかよ、オイ、と騒ぎだす。で、やむを得ず、今度はそっちに向いた。ただ、それだけの話。 |
|
菅よ、似非文化人と疑似科学吹聴者に依存するのを止めよ。『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その11(2021/01/21) 我が国における新型コロナ感染症対応は、「感染者および感染の疑いのある者」と「医療機関」との間に「保健所」を介在させる仕組みで行われてきた。だが、早くから指摘されているように、その「保健所」に担わせた機能がキャパシティ・オーバーになっている。さらに感染の第3次拡大により、日本中至る所で、その機能が崩壊状態に陥っている。感染したことが判明した人や、症状が進んでいる人、つまり入院を希求している人たちが、孤立無援のまま自宅に放置され、死の危殆に瀕している。それがコロナ感染の現実であるのに、1月18日に招集された国会では、何とまあ、「コロナ感染したにも関わらず入院を拒む者を牢屋に入れる」法律を作ろうとしている。 |
|
さざ波、笑笑、屁みたいな、そしてデータ捏造 『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』その12(2021/05/30) 高橋洋一。この男、往生際が悪いというか、しんそこ性根が腐っているというか、まだ、オレは悪くない、オレの本心はこうだ、とほざいている。日本政府が十分なコロナパンデミック対応が出来ないのは、緊急事態項目の明記がない日本国憲法憲法のせい、なんだそうな。これ、落語風に言うなら、オレが仕事に行かないのは、ちょいと小粋な羽織がないからだ、と駄々をこねる飲んだくれ亭主に似ている。コロナパンデミック対応が不十分なのは、ただ単に、政治家と官僚が著しく実務遂行能力を欠いているからであって、憲法条項とは何の関係もない。憲法は政治家の行動マニュアル集ではないぞ。改憲を吹聴する前に、憲法を読め。この似非文化人。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関西電力 3.2億円収賄汚職 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2019年9月末、メディアは一斉に『関西電力 3.2億円収賄汚職』を報じた。我が家も関電から電力を買っている。私も激怒して一本の記事を書いた。だが、書き終えたとたん、一つの疑問が湧いて出た。「なぜ、今、関電なのか?」 金沢国税局や関電社内の調査が行われたのは1年以上も前のこと、某氏の告発文が出たのも3月のことであった。10月4日の臨時国会招集というタイミングからみて、こう考えざるをえない。関電疑惑は、真剣に議論すべき課題から国民の関心をそらすためのリークではないのか、と。冷静になろう。今論ずべき最重要課題とは何か? フクシマ汚染水の海中放出案、消費税増税、対韓経済戦争の終結、対米自由貿易協定、などではなかったか。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「ウンコまみれの」二十人 『関西電力 3.2億円収賄汚職 その1』(2019/10/01) 関西電力の八木誠会長は、「常識を超えるような金品」を受領しながら、それを自宅に隠し持っていった理由を問われ、「受け取りを断ると激高された」からだ、と答えている。この弁解は、子供さんに対して失礼な言い方になるが、まるで「子供じみた」ものである。しかも「同じ穴の狢」が20匹もいるらしい。だが、どの新聞も、ころころ変わる関電側の言い訳をそのまま伝えるだけで、「悪質な汚職である」と糾弾する姿勢を見せようとはしない。内閣官房長官の菅義偉は、例によって「関電が説明責任を果たし、信頼回復を図るように対応していくことが必要だ」と、まるで対岸の火事を見るのような冷淡さである。関係諸官庁もまた然り。お前たち、「原子力村」の仲間内ではなかったのか? |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『疑惑のワルツ』 何故、今、関電? 『関西電力 3.2億円収賄汚職 その2』(2019/10/25) 前回、10月1日に『関電汚職』の記事を書いたのだが、書き終えたとたん、「何故、今、関電なのか?」という疑問が湧いてきた。今はもっと別に重要な論ずるべき課題があるのではなかったか? 何者かに「はめられて」その重要課題から眼をそらされたのではないか? 案の定、国会召集を前に、野党統一会派は「追及3点セット」なるものを持ち出してきた。1)あいちトリエンナーレへの補助金全額不交付、2)かんぽ報道をめぐるNHK番組の続編見送り問題、3)関西電力の金品受領問題、がその3点なんだそうな。ごく当たり前の政治的感覚から云って、その3点が、最大の政治的争点であるとは思えない。完全に「はめられた」としか思えない。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
右も左も、“桜”と“エリカ” 『関西電力 3.2億円収賄汚職 その3』(2019/11/29) 女優の沢尻エリカさんが逮捕されたとき、ネット上には、これは「“桜を見る会”から関心をそらすための、政権による陰謀である」という意見・ツィートが続々と出現した。それに対して、インテリ面(づら)をひっさげた大学教授やジャーナリストたちが、「稚拙な意見である、日本の政治と司法の機構は、そんなに上手く、政権が容疑者の逮捕をコントロールできる仕組みにはなっていない」と反論した。だが、私には、“エリカ逮捕”どころか、“桜を見る会問題”も、最も重要な政治的局面から大衆の眼をそらすためのフェイク・ニュースであるように思える。桜とエリカに興じているまに、衆議院は、第二次大戦以降最悪の「屈辱的・売国的法案」を通過させてしまった。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
"Who done it?" 誰が東芝を殺したか? 『関西電力 3.2億円収賄汚職 その4』(2019/12/26) 2006年、経済産業省が出した『原子力立国計画』を第1次安倍内閣は閣議決定する。それに東芝は飛びついた。「国策」なのだから間違いなかろうと判断したのだろう。すでに死に体であったアメリカの PWR型原発の製造会社 "WH" を高値づかみで買収し、それ以降も原発関連事業の買収を止むことなく続けて行く。それ以降、東芝は転落の一途をたどる。2011年のフクシマ原発事故を経験しても、その政策が変更されることがなかった。首謀者は個人名で特定できる。国側は、資源エネルギー庁課長の今井尚哉。東芝側は、東芝電力システム社首席主監の田窪昭寛。えっ、今井尚哉? そう、安倍晋三の秘書官であり、この9月から首相補佐官も兼任している、あの今井だよ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
もうオリンピックなんか、止めてしまえ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「 …… が分かりました」で分かること−−自滅するジャーナリズム |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最近のテレビ・ニュースは、 …… であることが分かりました、という言い方を多用する。これは、ジャーナリズムが批判的精神を放棄して、正式に発表されたことをそのまま伝えるだけの立場に成り下がったことの正直な反映である。そのかわり、ちょっとした過ちを犯した有名人を次々と引っ捕らえ、寄って集って叩きまくる。日本国総務省公認の虐めショー、私刑(リンチ)の煽動、じゃないの、これ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その1 (H.28/02/17) ジャーナリズムは権力機構の広報室機能代行業に成り下がった。これを歴史的に紐解けば、グローバル・スタンダードの名において強行されてきた、対米従属型経済構造への屈服が原因であることが分かる。端的に言えば、訴訟の対象にさえならなければOKの責任論なのだ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その2 (H.28/02/27) 中国の習近平がイギリスを訪問した際、正式な記者会見の場で習近平とキャメロン英首相に批判的な質問を投げかけたのは、BBC(英国放送協会)の女性記者であった。配信されている動画を見ると、イギリスにおいてはジャーナリズムとは権力に対する批判的精神である、という認識が政府の側にもあるように思える。今の日本に置き換えてみればどうか。NHKの記者が安倍晋三に噛みつく、なんて想像も出来ない。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その3 (H.28/03/13) タブロイド紙というジャンルの新聞メデイアがある。猟奇的な事件をことさら扇情的に報じたり、"セレブ"に関するゴシップの有る事無い事を書き立てたりすることで、売上げ部数の拡大を図ろうとする大衆紙のことである。このような媒体があっても良いとは思う。しかし、大組織のジャーナリズムやテレビ局がそれを真似して良い、とは決して言えない。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
街のやかましさは人間性を崩壊させる |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正の中頃、萩原朔太郎は、とほい空でぴすとるが鳴る、と書いた。大正の終わり、梶井基次郎は、寺町二条で檸檬を買いそれを『丸善』の書棚に置いて新京極を歩く。戦後すぐの昭和、道頓堀を歩く小林秀雄の精神にモーツァルトが鳴り響いた。思春期の頃、そんな文芸の世界に憧れて、京都や大阪の街を歩いた。半世紀たった今でも、その頃の心を思い出したくて、時々は街に出かける。でも這々の体で逃げ帰ってくる。町が喧しすぎるのだ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その1 (H.27/11/05) ホームセンターの電器器具売り場で、作業服のおじさんが配線用パーツを何点か取り出して交互に見比べていた。仕様・規格を確かめているらしい。その時、急に放送の音量が大きくなった。彼は手にしていた商品を棚に投げ戻すなり、どこかへ行ってしまった。誰が、何の目的で、このような拷問的騒音システムをを造り上げたのだろう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その2 (H.27/11/15) 人間は、五感をフルに働かせて記憶を形成し、認識という知的営為につなげてゆく。だから五感はストレスなく伸びやかに機能しなければならない。街の環境が五感を働かせる妨げになってはならない。五感のうち聴覚は、時間性という認識の枠組みを形成する媒体として機能しているから、とりわけデリケートである。 |
ページの上段へ