難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。
今日の人物紹介は敬称ぬきでまいります。ごめんなさい。
小番頭という言葉ですぐ思い出すのは、関西の人間なら
『番頭はんと丁稚どん』
(1959〜1961)だろう。
小番頭役は、芦屋雁之助。公開放送されたテレビ・コメディなので、スチル写真がほとんど残っていない。その希な一枚がこれ、左から二人目が小番頭の芦屋雁之助。
何度か映画化されている。
右端が小番頭の芦屋雁之助。
右が芦屋雁之助。
左は清川虹子。
検索してみたら、『大番頭小番頭』という映画が2本作られている。
残念ながら、どちらもDVDビデオがないので観ることができない。
『大番頭小番頭』
(1955;鈴木英夫)
小番頭役は池部良。右は雪村いづみ。
左;小番頭の池部良
右;大番頭の藤原釜足
『大番頭小番頭』
(1967;土居通芳)
小番頭役は、イケメンの竹脇無我。
芦屋雁之助は、大番頭に出世したみたいです。
記憶にある最高の番頭役は、
『夫婦善哉』(1955;豊田四郎)
の山茶花究でしょう。
森繁久彌ともども、小気味よい大阪弁が聞ける。淡島千景も東京出身なのにすごい。
帳場に座る山茶花究
さて、横山ノック。
私の知る限り最も古いのは、
「秋田Oスケ・Kスケ」の
Kスケである。
いわゆる「どつき漫才」だったらしい。コンビ名の記憶はあるのだが、漫才を聴いた記憶はありません。
次が「横山ノック・アウト」の
ノック。
こちらは覚えています。テンポの速いギャグ漫才になっていた。
ハイテンションで、ラジオで聴いていて、少し疲れました。
そして、ご存じ「漫画トリオ」の
横山ノック。
パンパカパーン、パン、パン、パン、パンパカパーン、今週のハイライト! 間違いなく最良のトリオ漫才だと思う。
参院選全国区に出たとき、ポスター写真にもこの前髪が付いていました。
初登院の時は外していたので、大阪の子供たちは大いに落胆したものです。
アサヒグラフの表紙にもなりました。
ちなみに、こちらは
『ユージュアル・サスペクツ』(1995;ブライアン・シンガー)の
ケヴィン・スペイシーです。
彼がアカデミー助演男優賞をとった、ということは、主演はガブリエル・バーンだったんだ!
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小番頭 菅義偉の初仕事
『コロナ・パンデミックから何を学ぶか?』 その9
(2020年11月22日)
【1】サイト開設5周年、ここらで一度総括を。
このサイト『一握の知力』を立ちあげたのは、2015年(平成27年)の秋であった。『設立趣旨』の日付は10月1日。第1回目の『 安全保障関連法 に対して民主党は何もしなかった』という記事は、10月3日にアップされている。つまり先月、2020年(令和2年)の10月で、サイト開設から5年になるわけだ。
第1回目の記事に採り上げられているのは、その標題のとおり「安全保障関連法」であるが、それが強行採決された経緯など、5年後の今となっては、多くの人はすっかり忘れてしまっているだろう。あれほど騒がれていたのに、その後、法案がどのように運用されているのかについては、あまり報道されることがなかったように思う。私が批判していた民主党という政党も、消滅してすでに久しい。まさに、月日は百代の過客、5年という歳月は短いものではない。
ザッと数えてみたら、書いた記事はすでに 100本を超えていた。月平均2本弱の文章をアップしてきた勘定になる。記事は、当初こそ比較的短くまとめられていて、ディスプレイの表示を少しスクロールするだけで、楽に読めるものであった。だが、文章は次第に長くなり、引用や画像・動画の挿入が増え、いつ頃からか、原稿を書いているワープロの欄外に出る「文字数」は、しばしば10,000字を超えるようになった。我ながら、なかなかの熱中ぶりだと思う。
だがこれは、執念などという立派なものではない。文章は、言いたいことの本筋に至る前に、黙してはおれぬという苛立ちやら、急かされる焦りの気分やらが、前段に次々と割り込んで来て、書いた本人が読み返すにも困難を感じるほどに、冗長なものになってしまった。
ネット上には、学者・ジャーナリストなどの専門家たちによる、立派な政情批評がたくさんアップされていて、誰でも自由に読むことができる。それらと比較すれば、田舎爺ぃの呻吟の吐出物など、「ごまめの歯ぎしり」と揶揄されるだろう。しかし、とにかく5年間続けてきたのだ。一個人のささやかな営為ではあるが、ここらで一度、総括をしておくべきだと思う。
今、総括という言葉を使ったが、何らややこしい話ではない。ポイントはただ一点、自分にとって何らかのプラスになったか、ということに尽きる。
この5年間、ホーム・ページに文章を書き続けることで、私は何を得たのか?
老いたる精神が、ささやかなりとも、成長の糧と言えるべきものを獲得しただろうか?
何か一点でも、成果と呼べるものを確認したい。
だから、冷静に、じっくりと考えてみた。
だが、いくら矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)してみても、ああ、これを得た、と思い当たるものがないのだ。残念ながら、自分にとってプラスになったものは、何もなかった。
【2】政策なき政治家に、批判は成立しない。
この5年で、何が変わった?
おおむかし、孟子は「恒産無くば恒心無し」と説いた。実質経済こそすべての基礎であるという人間社会の大原則であるが、孟子は、一般論としてではなく、世を支配する統治者の心得としてこれを述べている。では、 2,300年後の、我々の現実はどうか?
元号が平成に改まったあたりから徐々に進行し始めていた不況。それは今世紀に入ってから顕著となり、リーマンショックから大震災をへてさらに深刻化した。その慢性的・構造的不況が少しでも改善に向かっただろうか?
さらに不況の長期化・深刻化に伴う出口の見えない閉塞感に、少しでも光明の兆しが見えたであろうか?
まったくダメでしたね。悪くなる一方で、何の変化も認められない。
変わったことと言えば、国の代表者が、会食づかれ・宴会やつれでいつも浮腫んだ面(ツラ)をさらしていた男から、大きな失敗を避けることだけに執心して小番頭になったは良いが、大店(おおだな)の権威を自分の実力と勘違いしている貧相な男に変わっただけ、ではなかったか。
ヒトを容姿・容貌で批判するとは何事か、と怒る人もあるだろう。ならば言おう、政治家はその人が掲げる「政策」で評価されるべきである。当たり前だ。だが、この、宴会やつれ浮腫み男と、貧相な小番頭が、政治家として「政策らしき政策」を示したことがあっただろうか? 成功・失敗の結果を言うのではない。そもそも「政策らしき政策」を打ち出し、実行しようとしたか、という、極めて初歩的な問いを問うている。
答は、否、否、否、である。
政策に偽装されたのは、自らの権力を維持するための策略、「お仲間」への便宜、批判勢力の排除、などなど。これ以外にいったい何があった?
政策がない以上、政策批評は成立しえず、彼らのマッチョ的傲慢さの心理分析をすることだけが彼らへの批判となる。それが無限に繰りかえされるのだから、批判はいつも同じ内容となる。それを忌避するなら、後は、容姿・容貌を皮肉るより他はない。
批評・批判は、その対象とするものの水準以上のものには、けっしてならない。
5年間の私の文章とは、つまるところ、こういうものであった。
【3】小番頭菅義偉の初仕事とは?
この10月でサイト開設5周年になることには早くから気付いていたので、10月早々に“総括”を書こうと思っていた。中旬には白内障治療の予定が入っているし、誰が咎めるわけでもないのだが、新しい記事のアップが遅れると、奇妙な罪悪感のようなものに囚われる。書くべき内容はもう決まっている(ご覧のお通り、まこと残念なものなのだが)。さて、何を例題に使うかだ。
…… と、思案している時に、とんでもない例題が出現した。菅義偉による「日本学術会議の任命拒否問題」である。この場合の「とんでもない」とは、単純な驚愕の表現ではなく、オイ、オイ、菅よ、それがお前の初仕事かよ、やっぱりお前は、その程度の男なのか、という「予見された落胆の水準」を表現していて、こちらが惨めになる。このおかげで、残念な総括をイヤイヤ書く気分がさらに増幅してしまい、ワープロを立ちあげる気力も無くしたまま今日に至ったわけだ。
「日本学術会議の任命拒否問題」は、すでにさんざん議論され尽くしたと想像する(あまりにも不愉快にさせられるので、ニュース報道はほとんどスルーしているのだが)。改めて自分が書くのにも、気力が湧いてこない。しかし、それでも無駄話をしてみようと思うのは、私の話の趣旨はさんざん議論されている論点とはかなり違うだろう、と確信するからだ。
私の批判は、菅と言うより、その批判者である野党・ジャーナリズム・アカデミズムの方に向いている。5年前、このサイトの最初の記事で「安全保障関連法」を強行採決した政権ではなく、その批判者側の論点の弱さを指摘した。それと同じ構図である。
【4】菅義偉の本質は、思想統制好き、公安警察風、地味に実行型ポピュリズム。
とりあえず、火を付けた菅義偉から検証していくのが筋道だろう。
安倍晋三とモリ・カケの関係ほど世間は騒ぎ立ててはこなかったが、菅義偉は、強姦魔山口敬之の逮捕状執行を差し止めた中村格とか、カルロス・ゴーン氏不当逮捕の筋書きを書いた日産幹部とかと、密接な関係にあることは周知の事実である(このサイトでも採り上げた)。さらに、官房長官時代の記者会見における望月衣塑子記者への対応ぶりから、菅義偉の正体とは「思想統制好き、公安警察風、地味に実行型ポピュリズム」である、と多くの人が思っているだろう。今回の「任命拒否」もその延長線上にある。なるほど、こんな菅なら、初仕事の勢いでやりかねないな、と。
確かに、そうには違いない。だが、「任命拒否」問題を、菅義偉個人の資質や思想性だけで読み解いて、それで納得してしまってはならない。これは決して彼の個人的問題ではないのだ。管の行動を、保守勢力全体の大きな意思の流れのなかに位置づけてみる必要がある。
自民党随一の疑惑男、甘利明が、早速「学術会議は中国の軍事研究につながる『千人計画』に協力している」などと言う陰謀論めいたデマを発信して、管に同調した。甘利自身は、事実に基づく反論を恐れてか、「間接的に協力しているように映ります」などと口調を緩和してみせたが、デマは瞬く間に拡散。ネット世論には「学術会議=中国の手先」を声高に叫ぶ一団が形成された。当然、学術会議を支持する側からは、反批判が湧いて出て、これ、何の騒ぎ? と訝られるほどの賑やかさとなった。
つまり、菅自身がどこまで意識的・意図的に「任命拒否」に踏み切ったのかは分からぬが、管の行動に、保守・反動的潮流の大きな「見えざる手」が取り憑いて、世相をミスリードしている、という流れが形成されている。
我々は、冷静に、問い直してみなければならない。
何故、今、「日本学術会議の任命拒否」なのか?
今、そんな問題を議論していてよいのか?
【5】コロナ感染拡大のたびに、別の何かが叩かれる。
6月末から7月初頭にかけて、首都圏を中心に、コロナ感染拡大第2波の予兆があった。東京都の小池百合子と御用ジャーナリズムが、見事に共闘して〈夜の街〉叩きを繰りかえしていた。私は、7月5日の記事に、「ヤバイのは〈夜の街〉ではなく、〈首都圏〉」だろう、と書いている。
この頃、安倍内閣は、感染拡大の一時的収束に安心しきってか、それとも、それは現場の仕事だと開き直ってしまったのか、感染対策をしていますというポーズをとることも忘れ、東京五輪で一儲けしようとしていた連中(特に、訪日外国人旅行者を誘致するインバウンドに係わる観光・運輸業など)と、関連議員たちの、不平・不満の口を押さえることに苦慮していた。それが、7月10日、“Go・Toキャンペーン”の実施として発表されたとき、我々は、我が目、我が耳を疑った。ウッソー! まじっすかァー! でも、まさか、今すぐやるんじゃないんでしょう?
8月からでも早すぎる、と言われていたのに、開始は7月22日に前倒しされる。ずっと引きこもっていた安倍晋三がわざわざ記者会見を開いたのは、国民大衆に向かって“Go・Toキャンペーン”をアッピールするのが目的ではなかった。7月22日とはまさに東京五輪開会の予定日であったことを思い出そう。安倍は、インバウンド関連の団体や議員たちに、私みずから頭をさげるので、これで怒りを収めてくださいと懇願していたのである。
もっとハッキリと言おう。安倍自民党内閣は、コロナ感染拡大のリスクより、インバウンド関連の団体や議員たちに対するメンツを保つことを優先したのである。
そのツケが2ヶ月後に回ってきた。管が総理大臣になった頃、コロナ感染拡大第3波が現実のものとなった。感染拡大は“Go・Toキャンペーン”が原因でありません、などと強弁しても、もう多くの国民は、納得しないだろう。今度こそ、政府の無策・無能、国民の人身御供政策が糾弾されるだろう。ヤバイぞ、これは。
こんな時に、本人が意図的にそうしたのかどうかは確かめようもないのだが、管が日本学術会議の会員候補任命拒否に動いた。
当然、日本学術会議は反撥し、野党・ジャーナリズムもこれに飛びついた。
うん? 使えるじゃないの、コレ。当面の政治・社会問題のトップはこれだ。
7月初頭、コロナ感染拡大第2波到来を、小池が「夜の街叩き」にすり替えた操作が、再びここで拡大再生産された。例によって、野党はこの撒き餌に食いついた。
【6】きちんとした理由を説明せよ! は反論となりうるか?
なぜ、任命を拒否するのか、きちんとした理由を説明せよ。
任命拒否に対して、学術会議側(野党・リベラル派ジャーナリズムも含めて)から様々な抗議・批判が出されたが、その典型的な表現がこれだろう。
失礼な言い方になるが、もう、笑うしかない。安倍をはじめとして、政権中枢の様々な人物に「答える必要はない」「説明するつもりはない」で問答を打ち切ることを許してきた今となっては、何の実効力もない攻め言葉である。いや、有効性や思想性を云々するより以前に、刺激に対する反応が超マヌケなのだ。はやりの言葉で言えば、「コミュ障」の一種であろうか。
例えば、貴方が道を歩いている時、見知らぬ誰かに、すれ違いざま急に殴打されたとしたら、貴方はどう反応するだろう。殴打された側の気持ちのつながりを、そのまま正当に表現するなら、次の二通りしかない。何の前段もなく殴打されたのだから、貴方は激怒しているはずである。
1、怒号を返す; 何をするんだ、おまえ! なにさらすんじゃ、われぇ! など。
2、即、殴り返す; 少なくとも倍返し、あるいは、気の済むまでボコボコに。
映画でよくあるじゃないか、なぜ君は暴力を振るうんだ、などと、礼儀正しく、かつ、的はずれな反応をするヤツはどうなるか? たいてい、もう一回殴られる!
【7】忘れるな、国家の本質は暴力である。
突然殴るという行為は暴力そのものである。殴打という行為が、道理とは無縁に行使されたのだから、間違いなく暴力なのである。それに説明を求めるのは論理矛盾である。この様な分かりきった理屈を、なぜ述べるのかと言うと、菅義偉の任命拒否は暴力であるという認識が、学術会議側(応援部隊も含めて)にまったくないように思えるからである。
日本学術会議の会員候補を内閣(?)が任命する、という仕組みに、どれほどの法的拘束力があるのかは知らない。法律や運用規則があるのか、内閣府からの告示なのか、サッパリ分からない。だが、そんな条文があろうがなかあろうが、そんなことどうでもよい。要は、今まで慣用的に行われてきたことを、権力が勝手に変更しようとしている、という事実だけが問題である。
では、今の場合、国家権力が好きなように振る舞える根拠は何か?
それは、国家の本質が暴力装置であるからである。
正当に “否” を返せば、国家権力はとは暴力、という本質が姿を現す。安倍や管が、答える必要がない、とか、説明する必要がない、という風にシラを切れるのは、正当に
“否” が返せていないからである。
いつの頃からか、政府・与党が強行採決をするたびに、野党は、十分な説明のないまま、とか、十分な議論も尽くさずに、とか云う「理屈だけを返す」のを慣例としてしまった。それで一度でも、法案成立が阻止できたことがあったのかね? 説明や議論が十分であろうがなかろうが、悪法は悪法である。絶対に成立させてはならないはずだ。一度ぐらい、国会包囲デモとか、ゼネストとかを呼びかけて、国民の暴力性を引きずり出そうとしたことがあったか。そうかい、そんな無謀なことは出来ないと言うのかい。それが出来ないというのなら、せめて国会内での実力行使(つまり“乱闘”である)ぐらいやってみろ。
海外に眼を向けてごらん。香港の「民主化デモ」、アメリカの「BLM」(Black Lives Matter)など、いずれも、きっかっけは国家権力側からの暴力行使であり、それに大衆が正当に “否” を返した事例である。どちらも盛んに報道された。知っているだろう。
あれは、よその国の話。我々日本とは無関係だ、とでも言うのか?
まさか、日本人なら話し合いをするだろう、とにかく暴力はイカン、などと言いだすのではなかろうな?
同様の“騒ぎ”は世界中で頻発している。「世界同時進行貧困化」にコロナ禍が追い打ちをかけているのは、この日本だって同じ事だ。我々だって、もう後がない時点まで追い込まれているではないか。
野党、それにアカデミズムやジャーナリズムが今やるべき仕事は、大衆に「怒る」という尊い精神性を思い起こさせることだ。それ以外にない。それが分かっていないから、きちんとした理由を説明せよ、などと、マヌケ面で繰りかえしているから、保守・反動・ネトウヨ同盟軍になめられるのだ。
【8】全体主義の国家になってしまう! は反論となりうるか?
任命拒否を許すようなことが続けば、この日本は、全体主義の国家になってしまう。
抗議・批判の、もう一つの典型がコレだ。
先の「きちんと説明せよ」には、笑うしかなかったが、この「全体主義になってしまう」に出会うと、まこと悲しくなってしまう。カビ臭いリベラル派臭がプンプンである。何度か読み返してみると、保守・反動派の、あの紋切り型常套句と、ちょうど対偶関係にあるフレーズであるかのように響く。
《保守・反動派の紋切り型常套句》
押しつけられた憲法を改正しなければ、 → 真に自立した国にはなれない。
《この任命拒否批判のフレーズ》
任命拒否を許すようなことが続けば、 → この日本は、全体主義の国家になってしまう。
この様な、リベラル臭プンプンおじさんには、こう返しておくしかない。
貴方は、この日本が、まだ全体主義国家になっていない、と、考えているのですか?
このおじさんたちは、政権の批判をしようものなら、夜、黒塗りの自動車が数台自宅の前に急停車して、パラパラ飛び出してきた特高警察隊に連れ去られ、地下の取り調べ室で殴る蹴るの暴行を受け、私が間違っていました、もう政府批判はいたしません、と言えと強要され、苦し紛れにそう叫んでも、ウソだ、お前はまだ改心していない、と怪我の手当もないまま牢屋にぶち込まれ、 …… と言うようなイメージで、全体主義を理解しているのだろ。
これは 100年前の全体主義のイメージである。全体主義の概念が、古くさ過ぎるだろう。
この日本では、〈そのような〉全体主義の再来はない、と私は考える。いつまでもアカデミズムとジャーナリズムが、今のような脳天気なママでいるなら、そう断言できなくなるかもしれないが。
なぜ、そう考えるのか。
権力が慈悲深くなったわけでない。だが、彼らは学習したのである。
暴力行使は反撥を生む。暴力の対象となった者は勿論のこと、目撃、報道されるだけで反発を買う。暴力装置としての国家の本質をさらけ出してしまうからだ。だから、暴力性は隠蔽しておいた方が、何かと都合がよい。
それよりも、この肥大化して、ものごとの因果関係が見えなくなった市民社会を上手く操作して、暴力行使なしに国民を手なずけてしまうほうが得策である。
実際、その筋書き通りに、現代日本の政治史は動いてきた。このままでは全体主義になってしまう、という言い方は、浮き世離れもはなはだしい。半世紀も夢を見たままじゃないか。政治権力は、さらに大きな「市民社会ごとの全体主義化」を終了している、と認識せよ。
現代の政治史をちょっと振り返ってみれば、政権が市民社会の領域で国民を手なずけてきた経過は、一目瞭然である。ザッとまとめてみよう。
【9】日本現代史のおさらい。
1960年、岸信介は、日米安保条約改正案の採決にあたり、国会を包囲する反対デモに手を焼いて、暴力団を雇い、軍隊まで出動させようとした。反対デモは荒れに荒れた。法案こそ強行採決したが、自民党内にも採決を棄権する議員が続出。結局、内閣総辞職に追い込まれた。
ここではまだ、政権に、積極的に市民社会をリードするという概念は芽生えていない。反対勢力とは、ガチンコ勝負、つまり暴力と暴力(往々にして、実力と言いかえられたが)で渡り合うものだと認識されている。
その10年後、岸の弟である佐藤栄作が日米安保条約を「自動延長」させることに成功し、政権はその後さらに2年間継続した。彼は、その以前より、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」(沖縄返還)とか、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」(非核三原則)とかの政治課題を掲げていた。社・共の既成政党は、それにまんまと引っかかり、安保問題を沖縄返還とセットにした「国民運動」にダウングレードさせてしまったからである。
佐藤はすでに、朝日・毎日の新聞メディアとの対決姿勢を示していた。一方、辞任会見での「テレビカメラはどこかね? テレビカメラ … 」というセリフが語り伝えられているように、テレビ報道を味方に付ける重要性を認識している。
「栄ちゃんと呼ばれたい」と言うセリフは失笑を買った。1968年の参院予算委委員会の議事録には、次のようなやり取りが記録されていると言う。
山田勇;
榮ちゃんと呼んでほしいと総理はかつて申されたことがありますが、現在もそのお気持ちにはお変わりありませんか。
佐藤榮作;
どうも場所によりますね。私はやはり大衆性を持ちたい、こういう意味でかようなことは申しましたが、しかし場所だけは選んでください、お願いします。
山田勇とは横山ノックのこと。私はこの場面をニュース映像で見た記憶があるのだが、議事録文面から得られる印象とはかなり異なる。記憶に基づいて、実際のやり取りを再現してみよう。
横山ノックは最初、「榮ちゃん!」とおどけた懇願口調で言って、一瞬間を置いた。この時、会場にサッと緊張が走った。「大野伴睦を偲ぶ会」での佐藤のこの言葉は、当初から冷ややかに報道されていたので、会場の面々は、ノックがそれを再現して佐藤をからかっているのだ、と思ったからだ。そのあとノックは真面目な口調に戻って、「 …… と、呼んでほしいと総理はかつて申されたことがありますが、」と続けた。つまりノックは、我が掌中にある漫才ネタ(緊張と緩和)を、総理大臣相手に演じてみせたわけだ。
佐藤はユーモアセンスのカケラもない男だったから、立腹したに相違ないのだが、それを何とか収めたのが、その次の発言である。「しかし場所だけは選んでください」とは、ノックに対する精一杯の反撃であった。
ここで確認すべきは、マスコミ・マスメディアを味方に付けることに熱心であった佐藤栄作も、「自分自身を商品として売り込むことには、まだまだ抵抗感を感じていた」という事実である。
さて半世紀の後である。岸信介の孫に当たる安倍晋三の場合はどうか。
70年安保、佐藤の時代には、「新左翼・学生運動」とのガチンコ勝負がまだ残っていた。だが安倍の時代には、大人しいデモをして歩いたり、演説にヤジを飛ばすだけでも「あのような人たち」と、完全に別人種扱いされるようになってしまった。
安倍の場合、安全保障関連法だけでなく、強行採決を繰りかえしても、モリ・カケ・サクラと疑惑が連続しても、さほど支持率は低下しなかった。彼が総理大臣を辞めたのは、一身上の都合による依願退職であった。
安倍は、国民総痴呆化祭りの五輪を誘致し、リオの閉会式では、マリオに扮して土管から現れて見せた。ヨシモトの舞台に登場し、桜を背景に反社勢力の人間ともツー・ショットを撮りまくった。大叔父(おおおじ)にあたる佐藤が、あれほど嫌った「自己自身の商品化」も、嬉々として引き受けてみせる。引き受け、と言うより、自らやりたがっているように見える。
【10】まとめ ヘゲモニーを掌握したのは、どちら側か?
学術会議の先生たちは、この様な安倍晋三を冷笑してきたに相違ない。
だが安倍は、この俗物性を武器に、市民社会の「ヘゲモニー」(Hegemonie;主導力)を掌握してきたのである。
もちろん安倍は「ヘゲモニー」なんて言葉は使わないだろう。しかし、マーケティング論のハウ・ツーものぐらいは読んでいるだろうから、安倍晋三という政治商品の売り込みには極めて熱心であった。そして実際、ブランドの好感度化やシェア拡大に成功してきていて、それでもって、いや、それだけで、政権を持続させてきたわけである。これが、彼の現実への対処法であった。
一方、学術会議の先生たちは、アカデミズムが世間に対して影響力を喪失するのに、何の対応もしてこなかった。市民社会におけるヘゲモニー掌握に何の関心も持っていなかった。だから、菅義偉が任命拒否に踏み切るより以前に、すでに負けは決まっていたのである。
二例あげた、反論・批判の脳天気さは、この負けを認識していない脳天気さと同根である。
いかん、また 10,000文字を超えてしまった。
今回は、この「ヘゲモニー」(Hegemonie;主導力)という概念を明確化した、アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci;1891〜1937)の政治思想について書くつもりでいた。それで5周年総括が上手くできない疲労感を乗り切ろう、と考えて書き始めたのに、例によって、雑念が前へ、前へと割り込んできてしまった。
このような、要点を先送りにする悪い癖こそ、改めねばならないだろう。
これが正しい総括かも、(笑)。
−−【その9】了−−