難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。
随筆集『狂気の沙汰も金次第』は、筒井康隆・山藤章二の第1回コラボ作品。
1973年(昭和48年)サンケイ新聞に連載され、連載終了後、即出版された。
これは、その初版時のものだと思う。
いま、ヤフオクなどに出回っている中古本は、1976年(昭和51年)の新潮文庫版である。
日本で随筆といえば、歳時記的心象を綴った「長めの俳文」の感があるが、これは違う。落語家たちが寄席の最後にやる『大喜利』のようなものだ。毎回「蒸発」「講演」「油絵」などという『お題』が出て、筒井・山藤のご両人が、特技を生かしてコントをする。そんな感じ。先攻は文章を書く筒井さんで、それに絵を付ける山藤さんが後攻、という役回りになる。お互いの出来映えを、褒めたり、皮肉ったり、の応酬になるから、ますます面白くなる。
ネットで検索したら、山藤さんのイラストが何点か手に入ったので、紹介させて頂こう。解像度が荒くて文字が読みづらい箇所がある。私の記憶で再現しておいた。間違っていたらごめんなさい。
ぜひ、現物を手に入れて読んでいただきたい。
これは、慶応ボーイの四人組ダーク・ダックス。
パチンコの台一台あたりの巾は、平均的男性ひとりの肩巾よりせまく出来ているので、肩を入れ合わないとやりにくい。
ダーク・ダックスの基本的ポーズはここから来てる!
ダーク・ダックスが肩を入れ合って唄っている姿。
当時のパチン屋の風景。確かに、台の巾は狭かったのです。
これは確か『蒸発』という題の時のもの。
ボ、坊主あたまにして オ、おなかを出さないと、やっぱり売れないナ ……
山下清は、度々、ふらりと蒸発してしまうことで有名だった。
1971年(昭和46年)没。
その直後だったので、画伯へのオマージュとなっている。
山下清の代表作『長岡の花火』
これ「ちぎり絵」なんですよ。
桂米朝さんの『軒付け』
"You Tube"で聴くことができます。
ルイ・アームストロングの歌唱で有名な『聖者が街にやってくる』をパロってます。
オー ウエンザ 銭湯!! ゴー マーチニン!!
私、この発展形を聴いたことがあります。
応援団 銭湯 コマネチ!!
これも"You Tube"でどうぞ、歌唱が始まるのは、1分10秒あたりから。
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狂気の沙汰も 金次第
もうオリンピックなんか、止めてしまえ。 その15
(2021年 3月 31日)
ちょっと、昔ばなしを
緊急事態宣言の解除と符合するかのように、全国いたる所で、コロナ・パンデミック第4波感染が拡大しつつある。まさに、このタイミングで、“聖火リレー”が始まった!
まさに狂気の沙汰。もはや論評する言葉も見あたらない。
論評不可能だから、素直な実感から話を始める。
そもそも“聖火リレー”なんて、いったい何が面白いの?
仮に今、「国民総貧困化」プラス「コロナ・パンデミック」プラス「政府の無能化・政策放棄」という複合的国家危機の渦中にあるのではなく、平和でノホホンと日常が過ごせる時代であったとしても、日本国中どこへ行ってもサッパリ見分けの付かないステロタイプの町並みのなか、貧相な松明(たいまつ)もどきを掲げてパタパタ走り回ったとして、何の絵にもならないだろう。
昔ばなしをさせてもらう。
1964年の東京オリンピックの時、私は高校生だった。ある朝、一時間目の授業が始まる前、校内放送の拡声器を通して、生活指導担当教諭のだみ声が全校に響き渡った。かく曰(のたま)わく。
今日、聖火リーレーが学校の近くを通過することになっているが、くれぐれも授業をぬけて見に行ったりすることが無いように。世相に浮かれることなく、学業に専心すること。以上。
我々生徒たちの反応はどうであったか。聖火リレーがあるて、どこでや? T病院の北側の道らしいで、西へ行ったら左手に区役所のある。ふぅーん、そうかいな。 …… で、終了した。そのまま聖火リーレーのことなどすっかり忘れて、我々は一日「学業に専心」したのである。
ところが、最後の授業が終わったあと、事態が急変する。生徒には、絶対に見に行ってはならない、と申し渡したはずなのに、その時間帯に授業のない教師たちが大挙して聖火リレーを見に行った、という情報が入ったのである。
先公ら(大阪地域における教師に対する蔑称、「センコウ」ではなく「センコ」と語尾を縮めて発音するのが正式の用法である)、嬉しそうにニヤニヤ笑ろうて、ゾロゾロ連れだって帰ってきよったらしいわ。授業サボって屋上でタバコ吸うてたAに、キッチリ見られとるんや。アホ丸出しや、鈍臭(どんくさ)ぁ。XもYも、それからZもおった、ちゅうこっちゃ。
X・Y・Z、は、ともに、普段から生徒指導に「厳しい」センコらの名前である。生徒に対して「厳しい」のなら、自らの行動に対しても厳格でなければその人格は崩壊する。
誰もが立腹した。だが、次の一言を呟き屋って、我々は嫌悪感を飲み込んだのである。
けったくそ悪いなあ、ほんま。
奇妙にねじれた人心への干渉
生徒たちは、ただ単に、教師の俗物性を嫌悪していたわけではなかった。
当時はそれが上手く表現できず、けったくそ悪いなぁ、と呟くことしか出来なかったけれど、今となってみれば、言語化も可能だ。嫌悪感の正体とは、つまりこういうことであったと思う。
1、国家レベルでの悪趣味の強要、つまり
“聖火リレー”などという不格好で、提灯行列以下の催しを、国家的行事であるから興味を持てと強制されることの不愉快さ。
2、個々人が趣味趣向を実現することへの欲望の禁忌、つまり
いったん国家的強権で興味を持てと宣伝しておきながら、個々人が関心を持ち始めると、今度は一転して、それへの興味を封じる努力せよと強要されることの不愉快さ。
この二つが表裏一体となった、奇妙にねじれた人心への干渉は、日本における国家的共同幻想の基本属性である。
半世紀以上が経過した現在でも、私があの時の不愉快さをリアルに想起させることができるのは、この「奇妙にねじれた人心への干渉」が綿々と受け継がれ、衰えるどころか、さらに増殖させられているからである。我々は日頃、絶え間なく、この干渉に皮膚を逆なでされ、平常心をかき乱されている。
オリンピックだ、万国博だ、喜べ。新幹線だ、リニアだ、新空港だ、どうだ便利になっただろう。駅周辺の再開発だ、大型商業施設だ、何たら文化センターの新設だ、カジノの誘致だ、みんなで出かけろ。大河ドラマだ、紅白歌合戦だ、アイドルだって出てるぞ、どうだ面白いだろう。
就職活動の際には黒か紺のスーツを着ろ。男子生徒の髪型はツー・ブロックは禁止する、パンチ・パーマはもちろんダメだ。女子の下着はシロか肌色、派手なストッキングは禁止する、スカートの短いのはダメだ、いや長すぎるのもダメだ。大声では言えないが娼婦を連想、つまりだ、男を誘っているように見えるではないか。(そう感じるのは、お前が「誘われたい」という欲望を隠蔽してるからだ)
そう、何にも変わっちゃいないのだ。
“聖火リレー” 今 昔
しかし、ニュース報道を観て驚いた。
「奇妙にねじれた人心への干渉」はちっとも変わっていないのに、“聖火リレーの外見”は、昔と今では、すっかり様変わりしているのである。写真で対比してみよう。
右の写真は東京新聞のニュースサイトからコピペしたものだが、記事の標題は、
聖火リレー 大音量、マスクなしでDJ
…… 福島の住民が憤ったスポンサーの「復興五輪」
記事の一部を引用しよう。原田遼という記者の署名入りである。
◆大音量で「ズチャ、ズチャ、ズチャ」
小高い丘にひっそりと立つ市営陸上競技場。ここがいわき市の聖火リレーコースの出発点となる。私は競技場から約 200メートル下り、中腹の沿道で聖火が来るのを待っていた。
最初に小型車が来て、「もう少しでランナーが来ます。大声は控え、拍手で応援しましょう」とアナウンスされた。沿道の隣にいた浦山義直さん(71)に話し掛けると、「次男がランナーの伴走者に選ばれているんだ」と目を輝かせている。
しかし、森の陰から「ズチャ、ズチャ、ズチャ」と大音量の音楽を響かせ、やってきたのは大型トラックだった。真っ赤に塗られた車体に「コカ・コーラ」の文字。リレーの最上位スポンサーだ。
◆飛沫が落ちそう
車両は「コンボイ」と呼ばれる宣伝用の改造車らしい。荷台部分の上部分にDJ(ディスクジョッキー)が乗り込み、マイクで叫んできた。「福島のみなさん1年待ちました」「踊って楽しみましょう」。DJはマスクはつけていない。沿道と距離は近く、観覧者に飛沫(ひまつ)が落ちてきそうだ。われわれには「大声を出すな」と言っていたじゃないか。
車両は早歩きくらいのスピードでのろのろ進む。並走し、10人ほどのスタッフ(マスクは着用)がダンスを披露したり、観覧客にタオルを配ったりしてくる。コロナ禍の最近は、接触を避けようと街でティッシュ配りも見なくなったけど…。
◆「これはちょっと違うんでねえか」
ほかの最上位スポンサーであるトヨタ自動車、日本生命、NTTグループの「コンボイ」が続いてやってくる。「ゆず」や「EXILE」の曲をかけ、こちらはマスクを付けたDJが負けじと声を張り上げる。いくつもの音楽と掛け声が重なり、かなりうるさい。
「これはちょっと違うんでねえか」。隣で浦山さんがしきりに首をひねっていた。「復興五輪って感じはないですね」。私がそう聞くと、「全然違う。しらけてしまう」
警察車両も合わせて30台ほどがすぎたころ、車両の影から聖火が見えた。「来た、来た」と浦山さん。すでにランナーと伴走する次男は20メートル前ほどまで迫っていた。
この記事が、悲しくも面白く読めるのは、悪い予感を抱きながら取材に出かけたものの、実際に出会ったのが、悪い予感それ以上のものであったことの、驚きと失望がそのまま表現されているからである。あまりにも酷いものを見せつけられると、コメディとして描くよりほか方法はないのだ。
宣伝用改造車「コンボイ」などが30台! だ、なんて、右翼団体のお祭りかよ。“聖火リレー”というより“協賛企業の宣伝パレード”と呼んだ方が相応しいじゃないか。いままで「商業主義に魂を売ったオリンピック」と、さんざん揶揄されてきたのだから、ここは、五輪精神の根本に立ち戻った姿を簡素にスッキリと表出するのが、一流企業のセンスというものだろう。
動画は何処へ?
だが、さらに驚かされることがあった。
上に引用した東京新聞記者原田遼さんの記事は、ブラウザのブックマークに追加してあった。この記事を書くために、再度アクセスしてみたら、あら、ちょっと変! 前の画面と何かが違うではないか?
確か、最初に見たときは、パレードの様子を映した短い動画が置いてあって、それを再生してみて、これは非道い、百聞は一見に如かず、とはこのことだ、と憤慨させれられたのだった。それで、わざわざブックマークに追加した。こんな経過だったはずだ。
でも、思い違い、ということもある。別のところで見た動画を、あの記事にあったものだと記憶違いしていたのだろう、と考え、あちこち検索てみた。
だが、どこを探しても、その動画が見つからない。
そこで、"You Tube"で“聖火リレー”と検索して、表示された動画を順にクリックしていった。
上位にズラリと並ぶのは、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」やら、大手協賛メディアの「公式」報道ばかり。どれもこれも、祝典的雰囲気でコテコテに虚飾されていて、1分間も観ておれない。「あの動画」のリアリティとは真逆のまがい物、騒々しいだけのイリュージョンである。
ところが、この「公式」報道の尽きるあたりにあった動画を開いて驚いた。本間龍・清水有高という二人の対談なのだが、その冒頭、「あの動画」は、東京新聞の原田記者自身が撮影したものなのだが、「 IOCの圧力によって削除された」と、語られているではないか。
それが、事実とするなら(実際に IOCの関係者が動いたのか、新聞社上層部の自制的判断なのか、よく分からないが、どっちにしたって同じことだ)、当方としては、意地でもその動画を探してみようではないか。ここで勘が働いた。原田遼さんのような記者なら、きっとツイッターか何かの SNSにアカウントを持ているはずだ、と。ズバリ、でしたね。
彼のツイッターの、最新投稿部分をコピペしてみよう。
これ、軍事パレード?
なるほど、経過はよく分かった。ツイッターに投稿した動画を削除せざるをえなかったわけである。だったら、本人のツイッターからのリンクは切れていても、 "video.twimg.com" のどこかにある動画自体はまだ消されずに残っているはずだ。きっと誰かが、ブログが何かに、その動画へのリンクを貼っているはずだ。
で、あっさり見つかりました。
また、別の誰かが、"You Tube"にもアップしている。
でも、これも削除される可能性が大だから、私がダウンロードして、このサイトに置いておきます。これで、誰にも消されることはありません。20秒ほどの動画です、どうぞご覧になってください。音声を
"ON" にして。
東京新聞に掲載された、もう一枚の写真もコピーしておきます。コンボイ隊列の凄まじさがよく分かります。
非道いでしょう。
“オリンピック協賛”というものの正体が露呈している。
「オリンピックに協賛する」とは、
五輪精神に共感したのでそれを支援する、というようなものではなかったのだ。
「オリンピックに協賛する」とは、
『電通』によって、
オリンピックという国家的行事の場で、
何はばかることなく、企業の宣伝活動をすることを保証されることだった、のである。
冒頭、コロナ・パンデミック第4波感染が拡大しつつある今、“聖火リレー”が始められたことを、「狂気の沙汰」と表現した。
まさに『狂気の沙汰も金次第』というわけか。
もう、二度と蘇生・復活することのない、オリンピック精神に、合掌。
お詫び
今回は、私が、オリンピック開催自体に反対している三つの理由のうち、
『その3; 女性差別、性的マイノリティ差別、を助長するオリンピック』
について詳説する予定でした。
原稿も書き進めていたのですが、まさか実施するはずは無いだろうと思っていた“聖火リレー”が、その「まさか」で実施されたこと。そして、その実態が、あまりにも非道いこと、に呆れかえって、この記事を割り込ませました。お許しのほど。
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