難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。
国道25号は、今では自動車専用の名阪国道が本流なので、旧道は(原則的には)細い山道のままで良いと思うのですが、
天理市街から福住インターまでは、名阪国道が「高低差」と「Ωカーブ」で混雑するので、旧道がバイパスのように使われてます。ここだけは2車線に整備されているのですが、名阪国道が工事や事故で渋滞したりすれば、多くの車両が迂回してきます。名阪国道を走ってきた走行感覚でぶっ飛ばすので、とても危ない。それに加えて、山間部を縫う急坂とカーブが連続する道は、ツーリングに最適なのでしょう、休日には多数の単車や自転車がやってきます。
しかるに、至る所で、路肩は人の背丈ほどにも雑草が生い茂り、道脇の樹木が道路上に覆い被さっているので、自転車も単車も軽トラも大型トラックも、みんな道路の中央よりを走ることになるのです。
名阪国道「Ωカーブ」を、地図でみると、
北側からの俯瞰写真、
南側からの俯瞰写真
『名阪国道は、一部山間部を通過します。凍結・降雪に注意を』
と呼びかけている。出所は不明だが「奈良国道事務所」「北勢国道事務所」管理していという記入がある。
図が小さいので左端だけ切り取ってみました。天理市街から福住インターとは、この山の左側斜面に当たる。
この図も出所不明だが、下り車線で死亡事故発生箇所を示したもの。
次のデータが添えられていた。
(1km辺り死亡事件数 '98)
高速全体平均(0.057)
自動車専用道路全体平均(0.094)
阪神高速(0.084)
首都高速(0.112)
名阪国道(0.314) ←高速平均の5.5倍、自動車専用道路の3.3倍
名阪国道の天理市街を抜けたあたり。
白線が剥げている。
本文で述べた「Ωカーブ 上り 3車線」のあたりは、写真が見つからなかったのですが、そこはもう、完全に剥げてます
「横断歩道 白線 剥がれ」で画像検索したら、酷い状態の写真がズラリと並びました。これはその一つ。
『本来の行政目的のために実施する事業』とは、例えば、この白線を引き直すこと、であろう。
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政府の五輪予算調査報告は、
放蕩を繰り返すダメ亭主の言い訳に似ている。
−−− もうオリンピックなんか、 止めてしまえ。 その4
(平成30年11月17日)
今回は、俎上に載せる対象物が並外れてくだらない。だから私の文章も、だらだらと長く面白みに欠けるものになるだろう。酸っぱすぎる林檎であるが、どうか、我慢して囓っていただきたい。
いえ、いえ、1725億円しか使っていませんよ ……
10月4日、会計検査院は、国の五輪予算消費が計画を大幅に上回っている、という報告を出した。開催までの7年間で1500億円、という計画であったのに、5年を終了した時点で、すでに8011億円を消費している。進捗率を計算してみると、何と 855%になる。
政府は、会計検査院に好き勝手を言わせておいては具合が悪い、国会だってあるじゃないか、と大慌てで「精査」したのだろう、10月30日に、いえいえ実際は1725億円しか使っていませんよ、という調査結果を発表した。ところが、これは、とんだ食わせ物で、説明にも、弁解にも、言い訳にもなっていない。無理矢理辻褄合わせをしただけのものである。
2020年東京五輪・パラリンピック経費として、国が直近5年間で想定を上回る約8011億円を支出したとする会計検査院の報告をめぐり、政府は30日、対象事業を精査し、実際は約2割の約1725億円にとどまるとの調査結果を発表した。想定額が分かれるのは、算出方法に複数の選択肢があるのが原因だが、事業内容や目的にはなおも不透明な部分が残っており、「五輪は金がかかる」との懸念は拭えていない。
政府は調査で
(A)「大会の準備、運営等に直接的に関係する事業」(約1725億円)
(B)「大会に直接資する金額を算出するのが困難な事業」(約5461億円)
(C)「大会との関連性が比較的低い事業」(約826億円)の3区分に分類した。
(B)や(C)には道路整備や天候の予測精度を高めるための気象衛星打ち上げの事業などが含まれ、どこまでが関連費なのか「線引きは難しい」という。過去の大会を見ても、五輪経費には、大会を機に都市の整備を進めたい行政側の思惑が反映されている。
THE SANKEI NEWS 10月30日
どうあがいても「国の負担分の1500億円」まで数値を落とすことは出来なかったようである。無益に終わった作業を、「てにをは」だけを整えて、表向きに言い換えたのがこの報告である。
それにしても、何という論の立て方だろう。
えっ、8000億円以上遣っただろう、ですって? いいえ、いいえ、1700億円と少しですよ。予算を1割ちょっとオーバーしただけですよ …… 。
この口調は、稼ぎも悪いのにまた放蕩を繰り返してしまったダメ亭主が、しどろもどろになって妻にする言い訳に似ている。天下国家の公的会計のことなのだ。1円だって不明な用途があってはならないはずである。
政府の調査報告は、放蕩の言い訳レベル
納税の申告だとか、企業に公正取引委員会が入るだとかの場合、公権力というものが、個人や企業に、どれほどの数値の精度とそれを証明する帳票類を要求するか、私などは身をもって体験している。もしそれが「厳格さの要求」であるならば、我々は粛々としてそれを受け入れる義務があるだろう。だがそれは「下々に対する公権力の、非情性が露呈した」というだけのことである。悪意ある「あら探し」である。
Aの場合はXは適用できない、だとか、BとCの合計はYを越えてはならない、だとか云った、日常生活や通常の企業活動においては、まず意識されることのない「細則」が次々と繰り出されてきて、私たちを途方に暮れさせる。一般的・常識的に言って、法的規則がどんな風に「遵守」されているか、その実態を思い起こそう。法令とか、条例とか、施行細則とかいったものは、そのすべてが厳密に実行されている訳ではない。もしそうならば、日本の道路を走行する車両は一台もなくなるだろう。露天商は消え去り、通行人は捕虜の列のように沈黙して歩かねばならない。つまり、法的規則とは、様々な場面に応じて
"フレキシブル" に運用されているものなのだ。
だが、納税とか公取の場合になると、突如、その細則に至るまで完璧に遵守されなければならなくなる。公権力から派遣された2人組は(そう、たいてい2人なのだ)、そうすることが潔癖さの証明であるかのように、供された湯茶の一口をも啜ること無く(もう、戯画・漫画のレベルである)、私たちの数時間か数日の日常を奪っておいて、何らかの些細な「瑕疵」を見つけ出し、それを手土産に意気揚々と去って行くのだ。
しかるに、公権力の総本山なら、「妻に対する放蕩の言い訳」レベルの理屈が堂々と通用してしまうのである! 「想定額が分かれるのは、算出方法に複数の選択肢があるのが原因」などと云う曖昧さが、どうして許されるのだろうか。
いつも同じことを言うが、取材した記者たちは腹が立たなかったのだろうか。お前たちも、納税者だろうが。「線引きは難しい」などと、広報官の言語に "引用符" を付けるだけが、精一杯の抵抗なのだろうか。
政府報告の原本を探してみたが ……
今回の文章の目的は、国の五輪費用負担が大幅に予算オーバーしている、という事態そのものを指摘する所にはない。それは多くのメディアが伝えているし、何の情報源も持たない私ごときが、改めて貧しい要約をする意味もない。ここでどうしても言っておきたいことは次の3点である。
1、政府がその結果を発表した「調査」には、一片の論理性も見いだせないこと。
2、五輪予算は、どのように管理されているのか。政府の発表を聞く限り、「会計監査院の報告を受けて、初めて、大幅な予算オーバーを認識した」と受け取れるが、それなら、そもそも、当初予算とは一体何だったのか? それはどのように立案され、どのように進捗管理されていたのか?
3、マスコミ報道は、ここでも政府発表を「鸚鵡返し」して記事とし、恥じることがないこと。
新聞報道がする公式発表の要約は、いかにもまどろっこしく、どれを読んでも隔靴掻痒(かっかそうよう)の感が免れない。そこで、この「政府の調査」の元資料を直に読んでみたいと思った。さんざん探しまくって、やっと、『会計検査院報告の指摘を踏まえた調査結果について』(以下『調査結果』と呼ぶ)というレポートを見つけた。
このレポート、どこにあった、と思われますか? それは『首相官邸』ホームページの、うんと奥深い所に「こっそりと」置かれていた。これじゃ国民が「読みたい」「知りたい」と思っても、なかなか目的物にたどり着くことは出来ないだろう。担当者は、通常通りの処理をしたまで、とすまし顔で言うだろうが、このレポートは「現時点で国民が最も知りたいと思っている情報」であると認識しているならば、もっと積極的な情報開示の策があったはずである。通常、ウエッブ・サイトとは、一人でも多くの人にアクセスしてほしい、という思いで作られている。意図的に隠蔽した、とまでは言わないが、「現時点で国民が最も知りたいと思っている情報」に対する誠意ある開示姿勢である、とは言えない。
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トピックス > 会計検査院報告の指摘を踏まえた調査結果について(H30.10.30)(PDF/205KB)
とまれ、リンクを貼っておいたので、この文章の先へ行く前に、一度ザッと眼を通していただきたい。
でも、真剣に読んではダメですよ。その後、仕事が手に付かなくなりますから。
………… 、ご覧になりました? 驚かれたでしょう。
【註】その後、『調査結果』の配置場所を変えたようだ。本文まで変更する気力はないが、リンクは修正してある。
ふてぶてしい容疑者的返答
『調査結果』の、「1.はじめに」のところには、こう書かれている。
指摘を踏まえ、今般、オリパラ事務局では、報告書の「各府省等が実施する大会の関連施策に係る事業別の支出額一覧(以下「一覧」という。)」に記載された、14府省等の計
286事業、計8011億余円(平成25年度〜29年度の支出額の合計)について、事業の概要、大会との関連性、大会の準備、運営等に特に資すると認められる業務の経費の規模等について調査を行い、その結果を公表することとした。
あまりにも平然と書かれているので、ぼんやりと読み過ごせば、ごく当たり前のことを述べていると錯覚させられてしまうが、よく考えてみよう。判読に困難を感じる悪文であることは、お役所仕事の通例であるから問わぬにしても、この物言いはやはりおかしい。何がおかしいかと言うと、「予算管理という、実務の雰囲気が皆無」なのである。予算執行に対して重大な質問がなされている場合、当の予算管理者なら、このような「答え方」をするだろうか。
私は長らく製造業の管理職だったが、「計画どおり生産は進捗しているか」とか「製造原価は守られているか」とか「不良率は目標以下か」とか問われた場合には、必ず「自分が管理しているデータでもって」答えていた。これは業種・業態が違っても、企画開発・営業販売・製造と部門が違っても、同じことが言えるだろう。計画の進度とか予算の進捗を問われれば、担当者は、「自分が管理している数値の『計画・予算と実績の対比』で説明する」のが普通である。
つまり、質問内容の「前段・前提にさかのぼって」答えなければならないのだ。これが「質問者が抱いている疑問・疑惑を晴らすための」誠意ある方法である。もうかってまっか? まあ、ぼちぼちですわ、などと云った、浪速商人が交わす挨拶がわりの問答ではないのだ。
しかるに、この政府(といっても、その実務部隊の姿がまったく見えてこないのだが)の調査報告は、例えは悪いが、まるで、映画やドラマでよく見る「態度の悪い、ふてぶてしい容疑者の返答」のようだ。自分から積極的に状況説明をして疑惑を晴らそう、というのではない。訊かれたことだけに答えておこう、具合の悪いことは避けて、という態度なのである。今、政府要人の稚拙な詭弁は『ご飯論法』と呼ばれているが、同様にこれも『ふてぶてしい容疑者的返答』とでも名付けておこうか。
『調査結果』レポート作成者の "モチベーション"
この『調査結果』の肝は、新聞報道にもあるように、
『C:本来の行政目的のために実施する事業であり、大会との関連性が比較的低い事業』として「 826億円」を公然と除外し、さらに、
『B:本来の行政目的のために実施する事業であり、大会や大会を通じた新しい日本の創造にも資するが、大会に直接資する金額を算出することが困難な事業』という奇妙なカテゴリーを作って、そこに、すでに消費したと指摘されている「8011億円」の7割弱(68.2%)にあたる「5481億円」を繰り込ませ、その結果、
『A:大会の準備、運営等に特に資する事業』に使った金額はたったの「1725億円」ですよ、と強弁するところにある。
加えて、「別紙」として、『会計検査院の報告書における支出額100億円以上の事業一覧』という、事業名ごとに消費金額を『A』『B』『C』へ割り振った表が、「証拠書類」であるかのように添付されている。
こんな馬鹿げた作文で、通常の判断力を持った国民を納得させられる、と思っているのだろうか。
それにしても、この『調査結果』を作成した担当者は、どのような「モチベーション」(アメリカ流マーケティング論が支配的になってから乱用された社員洗脳用概念なので、使いたくは無いのだが)で、このレポートを作成したのだろう。
先ほど、私は、「質問の前提にさかのぼって、自分が管理しているデータの、予定・予算と実績で答えるのが誠意ある態度である」と述べたが、これは何も、管理者らしく振る舞うために、あるいは、人事考課の点数を稼ぐために、そうしていたのではない。市場を寡占化し終えた巨大企業なら別だろうが、ごく普通の企業の場合、売り上げ高に対して数パーセントの当期利益を残すのが精一杯である。売り上げが計画より10%下回ったり、製造原価・仕入れ原価が計画より 5%でも高くつけば、たちまち赤字に転落する。そして、赤字が3期続けば倒産の危機にさらされる。回復可能な経営資源は健在であっても、銀行が金を貸さなくなるのである。だから、どの担当も「自分の死活を賭けて」計画・予算の予定・実績管理をしているのだ。
しかるに、この『調査結果』を作成した人物の場合はどうだろう。彼の言うとおり、『A』項目の「1725億円」だけが消費金額だとしても、7年計画の5年終了時点なのだから、161%の消費実績だった、という計算になる。「親方日の丸」どころか「日の丸そのもの」だから、倒産なんて概念も想像すらできないのだろう。だから、「管理不十分で云々(でんでん、と読むのではないぞ。安倍君)」という、形式的謝罪の一言も出てくることがないのだ。
巨大上場企業の株価だけが経済指標だと考えている「アベノミクス」(これも、マーケティング・ミクスのもじりだろう)のもと、中小零細の利益率はさらに圧迫され、非正規雇用者の実質賃金はますます目減りしている。そんな経済実態を知ってか知らずか、予算立案や予算管理の事務的能力すら欠いた者たちが、おもてなし、だとか、金メダル、だとか、国威発揚、だとか言って、はしゃぎまくっている。はらわたが煮えくりかえる。
『大会に直接資する金額を算出することが困難な事業』
などと云う "範疇" は成立しない
怒りを静めて、もう少し論を進めていこう。これ以上『調査結果』の論理不成立を解析しても、甲斐の無い行為となるので、我々の社会的常識と生活実感を対置してみる。それの方が、少しでも実質的な批判になると思う。
そもそも、「大会に直接資する金額を算出することが困難」などと云う範疇が成立するのだろうか?
例えば、何か工作機械を買って製造業を始めようとする場合、その機械を購入するだけで事業が成り立つだろうか? まず土地と建屋がいる。機械が重量物なら基礎の補強がいる。振動・騒音の対策がいる。もちろん電源の確保は必須である。油圧・空気圧の設備もいる。材料が可燃物なら消火用水を溜める地下水槽を掘らねばならない。作業者の雇用はもちろん、営業と生産管理は事業主が兼任するとしても、税理士・会計士との契約も必要だ。
工場が完成し操業が始まったとする。出来上がった工場の敷地で、社員がバーベキューをすることは可能だろう。 100Vのコンセントからスマホに充電だってできるだろう。だからといって、操業開始に要した費用が「工場運営に直接資する金額を算出することが困難」などと言えようか。
こんな例を持ち出せば誰もが失笑するだろうが、『調査結果』のいう「大会に直接資する金額を算出することが困難」とは、この例えと何ら変わるところがない。
『本来の行政目的のために実施する事業』という "範疇" も成立しない
もう一つ。「本来の行政目的のために実施する事業」とは、どういうことを言うのか。
【その2】で取り上げた、あの「屁の突っ張り」にもならない『遮熱舗装』の費用は、『A』『B』『C』のどれに含まれるのだろうか?
「別紙の」『 …… 事業一覧』を見ても、「道路」に関する「事業」は、『首都高速中央環状品川線・晴海線、一般国道 357号・14号、臨港道路南北線の整備』-「1390億円」-『B』しか見当たらない。それなら、これに含まれているのだろうか。
それとも、「まだ支出額が 100億円に達していないから」リストから除外されているのだろうか。
あるいは、「都市気候の暑気軽減のための遮熱舗装だから」カウントされていないのだろうか。
あるいはまた、それは「国道ではないから」はなから精査の埒外に置かれてるのだろうか。
私は東京の地理に不案内だから、これ以上は想像のしようもない。だが、いずれの場合であっても『遮熱舗装』が壮絶なる無駄遣いである事実に変わりはない。間違いないのは、これが「本来の行政目的」とは縁もゆかりも無い、ということだけである。
まことに卑近な例をあげるが、私の住む奈良県では、県道といえども中央分離の白線が引かれている道路は少ない。すれ違い困難な単車線となっている部分も多い。ウッカリしていると田圃に飛び込む恐れがあるから、なるべく国道を走るようにしている。だがその国道の整備具合はどうだろう。25号線の旧道を東に進めば、曲がりくねった山道となり、絶えず道路のほぼ中央を走ってくる大型トラックと出くわす。間一髪、急ハンドルで交わす。ちらりと垣間見るトラック運転者も必死の形相。だが運転手が悪いのではない。道路脇の樹木が生い茂っていて車体に当たる危険を感じるから、どうしても中央寄りを走らざるを得ないのである。
そこで名阪国道(25号線の自動車専用バイパスである)に迂回するとどうなるか。進入路の路面ペイントは剥げてしまっていて、慣れていない人なら名古屋へ行きたくとも、大阪に向かってしまう可能性がある。戸惑って速度を落とせば追突される危険がある。首尾よく東に進んでも、すぐに「最小曲線半径 R=150」の『魔のΩカーブ』が待ち受けている(ここは、ウィキペディアにも単独項目として取り上げられている。You Tubeにも動画が多数ある)。登坂車線も含めて計3車線。ところが、車線区分の白線が完全に剥げてしまっている! 自分が中央の走行車線をきちんと走っているかどうかは、完全に慣れと山勘に依存している。よく晴れた昼間ならまだしも、雨天の夜間は命がけで走らねばならない。
日本国中どこへ行っても、特に地方・郡部に行くほど、国道の整備状況は劣悪なものとなる。県道・市町村道となれば、さらに荒廃化は放置されたままである。児童・生徒の通学路になっていても、横断歩道や停止線は識別不能なまでに摩耗している。大きな事故が起こるたびに、運送会社の労務管理だとか、高齢者の危険運転などが槍玉に挙げられるが、誤(しくじ)ってしまった者を鞭打つより前に、まず「最低限、安全運転のできる国道」に整備しろ。このような地方道路の惨状を放置しておいて、「ランナー・観客も守る遮熱舗装」「現代塗装技術の粋」などと浮かれている。国家的犯罪である。
五輪予算執行に関して、政府・オリパラ事務局は部外者でしかない。
長くなるが、もう少しお付きあい頂きたい。
『調査結果』の、「4.今後の対応」は次の文章で始まる。
政府としては、これまで、新国立競技場の整備に伴う経費やパラリンピック経費に加え、大会の運営、成功等に直接資するものであり、新規・追加的に講ずる施策を、平成28年度以降オリパラ関係予算として公表してきた。今回の調査においては、これらのほか、一般の行政事業のうち、執行の結果、組織委員会等が対象となるものについても公表することとした。
私は、自分が平均的な日本語の読解能力を持っている、と思い込んでいたが、この文章を前にして、それが根拠の無い自惚れでしかないことを思い知らされた。この文章、何度読んでも理解できないのである。
分からないのだが、察するに、こう言いたいのだろう。
平成28年から、『調査結果』の『A』を「オリパラ関係予算」として公表してきた。
今後は、『B』のうち、限りなく『A』に近いものも「予算」として公表する。
もう、絶句するしか無い。
もし、そうならば、会計検査院の報告を待つまでも無く、『A』に関しては、すでに予算をオーバーしていると、事前に情報開示できたはずである。そして会計検査院に対しては「人心を惑わすような誤った報告を公表するな」と叱責できたはずである。
そうできなかったのは何故か?
1、「オリパラ関係予算」として公表しただけで、何の実績管理もしていなかった。
2、「オリパラ関係予算」とは言うものの、「オリパラ関係予算」として別枠で統括・管理したという実体がない。行政各府が立案し執行している通常の年次予算のうち、オリパラ関係とみなされるものを、内閣府オリパラ事務局が、「外部で、勝手に」オリパラ関係予算として積算しただけ。
この、2つの場合しか考えられない。
私は、「2、」だと断言します。オリパラ事務局は、五輪予算に関し、何の決定権・行使権も持っていないのである。だから予算の積算は、どこまでやっても数値の確定しようがない。国立競技場建設が 1300 と言っているのだから、それにプラスαして 1500 にしておけ。こんな風に決めたのだろう、おそらく。
政府、内閣府、オリパラ事務局、行政各府は、口をそろえて「国家の予算運営とはそういうものだ。お前は国家の予算運営に関して何も分かっていない。つべこべ言うな」と言うかもしれない。
だが、「7年間で1500億円」という計画がきちんと守られているなら、どんな管理方法をとろうが、だれも文句は言わないだろう。しかし、「司令塔」「統括者」であるべき部門が、外部スタッフ的働きしかできない仕組であるなら、五輪費用はとどめも無く拡大してゆくだろう。「3兆円を越える恐れ」のレベルではない、青天井で上昇し続けるだろう。
今からでも遅くは無い。
オリンピックなんか、止めてしまえ。
『倒産会社の会議資料』と同じ
最後に、もう一言。
この「オリパラ事務局」(奇妙な略語を使うな、この日本語の破壊者どもめ)の『調査結果』は、限りなく『倒産会社の会議資料』に似ている。
経営者は、いや個人だって同じなのだが、「過去のある時点の、最良の時代が、自己の本来の姿である」と思い込む悪い癖を持っている。経済環境・市場規模・競合関係など、すべては(たいてい悪い方に)変化しているのに、いまだ夢から覚めやらず、最盛期と同じような事業計画を立てようとする。売上げ高昨年対比 10%アップ だとか、新規事業の単独黒字化だとかいう風に。凡庸な部門責任者は、その経営者の思惑に沿うように部門計画を作文し、それを会議資料として決済の場に持ち込む。「オリパラ事務局」の『調査結果』は、この「会議資料」にそっくりなのである。
賢明な経営者なら、その会議資料の非現実性を指摘するが、多くの経営者は、不安の念を心の奥底に押し鎮め、大喜びで部門長の「やる気」を賞賛し、会議後には会食の場を設けたりするのである。一年が経過して計画が未達に終わるのは当然のことで、それが数年続くと部門長は交代させられ、首のすげ替えを繰り返すうちに、会社は恒常的赤字経営へと転落してしまうのである。企業寿命10年説、20年説、などの言葉がよく囁かれるが、それはたいていこのプロセスの結果である。
会社なら、倒産危機は会社とその構成員が乗り切らねばならない試練となるが、幸か不幸か、政府・官庁は倒産という破綻とは無縁である。だから、このような無責任が、その場しのぎの常套手段として幾度も繰り返される。その尻ぬぐいは、詰まるところ公的資金による補填によって行われるしかなく、同じような幾多の負担が積み重なって、国民全体の忍従は永遠に終了することがない。
私と同じように、ごく普通の勤め人としての人生を過ごした人なら、職種・業態が違っても「ほんと、その通り」と同意していただけるだろう。内閣府の首領たちや「オリパラ事務局」の担当者たちが、この文章を読む機会はまず無いと思われが、仮に読んだとしても、何を言わんとしているのか、全く理解できないと思う。
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−−【その4】了−−
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