難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           















人生幸朗・生恵幸子といえば、1970年代のはじめ頃、京都花月(新京極にあった)の舞台を思い出す。

会場は大入り満員で、2階の一番奥、舞台をはるか下に見下ろす列に、やっと空席を見つけることができた。観客の多くは若者で、お目当ては売り出し中の中田カウス・ボタン。1969年に始まったMBS『 ヤング おー! おー! 』あたりから、芸人のアイドル化が始まっていたのである。

彼らの出番はまだ先なのに、場内はざわつき始めていた。番付では人生幸朗・生恵幸子がトリ、その一つ前がカウス・ボタンだったが、幸朗・幸子が先に登場した。場が荒れてしまっては漫才にならないからである。しかし、観客の意識はすでにカウス・ボタンに向いていて、人生幸朗のボヤキも気合いの入らぬまま終わってしまった。

この頃、幸朗・幸子の漫才を、新鮮味がないとか、マンネリであるとか、評する人たちがいた。的外れの批評はいつの時代にでもある。贔屓(ひいき)筋は、幸朗・幸子の「型」が「今日はどう演じられるか」を味わいにくるのである。日替わり定食風の時事放談を望んでいるわけはないのだ。

その後、幸朗の晩年に向かう10年間、幸朗・幸子の漫才は神がかり的に面白くなる。

直立不動。ボヤキにエンジンがかかり、長いクレッシェンド(だんだん強く)を登り始めると、次第に顔面は紅潮し、汗が噴き出てくる。幸子が「デボチンに汗かいてェ」と突っ込む。幸朗は度の強い眼鏡をかけていた。本来なら眼鏡は、演者の感情表出の妨げになるから不利に作用するのに、幸朗の場合、眼鏡のおかげで、本当に怒っているのか、楽しんでボヤイテいるのか、ふざけているのか、観客にはよく分からない。外見は典型的なガンコ爺ぃ。幸朗が次第にシュールな存在に見えてくる。

幸子が、「このヨダレくり、あんけらそー、」と罵りを連発すると、これがサゲへのきっかけとなる。幸子はなかなかの美形で、声も良い。それなのに何の遠慮もなく金切り声を張り上げる。

ボヤキを止め、立ち尽くし、もじもじする幸朗。お母さんにこっぴどく叱られている子供のように、体が小刻みに揺れる。一瞬にして、幸朗が相方・亭主という現実的存在に回帰する。ここから、ササッとサゲに入る。

まだ若かった私は、退屈な人生論や難しい宗教説話からはなく、幸朗・幸子の漫才などで、「老いとは何か」を学んでいった、と思う。老いとは、ただ単に老化すること、劣化すること、ではない。「老いることによって初めて獲得できるもの」だってあるのだ。

幸朗の没後、幸子は単独でテレビに出て、声帯模写が上手い太平サブローを相方に見立てて、往年の漫才のさわりを再現していた。数分の短いものだがとても面白かった。演じ終えた幸子の眼には涙が浮かんでいて、観ていた私もチョット泣いてしまった。あまりにも懐かしかったからだが、サブローの先輩漫才師に対する敬愛の念がうかがえて、それに感動したこともある。
(敬称抜きで、ごめんないさい。)





まぁ皆さん、聞いてください



人生幸朗・生恵幸子が出演していた頃の「京都花月」ポスター



(右)太平サブロー
(左)太平シロー

この並びは、
W・ヤング
海の向こうの
ジョン・ベルーシ & ダン・エイクロイド、
古くは、
アボット・コステロ、などを連想させる。

W・ヤング


John Belushi & Dan Aykroyd


Abbott & Costello






 本文を書くときは、ひどく憂鬱で難渋するのに、このコラムになるとスイスイと筆が進んだ。
実は、最晩年に神がかり的に面白くなった漫才として、人生幸朗・生恵幸子のさらに先輩に当たる、砂川捨丸・中村春代についても書いたのだが、行の短いコラムでは読みづらいので、今回はペンディングにしておく。五輪担当者への批判など早く終わらせて、自分の好きなことが書きたい、とつくづく思う。


写真だけでも貼っておこうか。
捨丸は、アメリカ巡業をしたさい、税関で衣装・小道具類類を、これは何か、と問われ、
「ジャパン・チャップリン」
と答えて相手を納得させた、という逸話を残している。





本家チャーリー・チャップリン






『新国立競技場問題の真実
 無責任国家・日本の縮図』
著:東京新聞 森本智之さん




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五輪計画とその計画数値は、
愚者たちによる作文にすぎなかった。
   −−− オリンピックなんか、 止めてしまえ。 その3
                  (平成30年10月15日)



 五輪担当者は平気でウソをつく。一人や二人のことではない、どいつもこいつもがウソをつく。それも、都合の悪いことをチョットごまかす、とか、あえて触れないでおく、とかいった程度の生易しいウソではない。あの「大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい」という悪魔の格言を地で行くような、大ぼらをぶちかます。

 ジャーナリズムは、それを「そのまま」報道する。そこには批判精神の一欠片(ひとかけら)も含まれていいない。「既存施設を改装して使う、運営費はチケット収入や国際オリンピック委員会の予算などで賄う」という浮き世離れした発言を、「そんなきれい事でことが進むわけがないだろう、五輪の現実を直視したまえ」と窘(たしな)めることもなければ、「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」などという、我々の生活実感からかけ離れた放言にもとんと無反応である。猛暑、猛暑、また、猛暑、用事がなければ表に出るな、水を飲め、エアコンをつけろ、昨日も熱中症の搬送が○○人 …… 、と他に伝えるニュースがないかのごとく連呼しまくるのは、毎年の事ではないか。それとも、最近の記者は、四六時中エアコンの効いた部屋に閉じこもって "Twitter" やら "YouTube" やらでネタ探しをしていて、暑ささえバーチャル・リアリティと思っているのだろうか。


ウソが露呈しても、ジャーナリズムは無反応。平然としている。


 さて、いよいよ大ウソがばれ始め、五輪担当者どもは動揺し烏合の衆と成りはてる。経過報告にも、お詫びにもならないような、木で鼻をくくるような記者会見が行われる。ても、ジャーナリズムの報道姿勢は平静を保ったままだ。「貴殿から80万円で請け負いました塀の改修工事、予定より多くの材料と手間がかかりましたので、 800万円を引き落とさせていただきました。あしからず。」と言われていると同じなのに、平然としている。一例を見てみよう。

 東京五輪・パラ経費3兆円超か
 検査院、国支出8千億円と指摘  不透明な事業も


2020年東京五輪・パラリンピックをめぐり、会計検査院は4日、平成29年度までの5年間に国が支出した関連経費が約8011億円に上ったと明らかにした。これまで国の負担分は会場整備費を中心に1500億円としていたが、大きく上回った。検査院は30年度以降も多額の支出が見込まれるとしており、大会組織委員会と東京都が見込む事業費計2兆100億円を合わせると、経費の総額は3兆円を超える可能性が出てきた。

 組織委は大会に直接関係がある経費を総額として公表してきたが、検査院は各省庁の関連施策費も集計。新国立競技場のセキュリティー対策事業など五輪に直接関わる経費も除外されており、検査院は国や組織委に大会との関連性を精査して経費の規模の全体像を示すよう求めた。
 これまで公表されていた大会経費の国の負担額は、新国立競技場の新規整備費1200億円、パラリンピック経費300億円の計1500億円。しかし、検査院が各省庁の関連施策費を集計した結果、1500億円を含めて25〜29年度に8011億9千万円を支出していたことが分かった。
 省庁別で最も多かったのは国土交通省の約2605億円で、経済産業省の約1993億円が続いた。施策別では「暑さ対策・環境問題への配慮」の約2322億円、「アスリート、観客らの円滑な輸送および外国人受け入れのための対策」の約1629億円の順。
 大会経費をめぐっては、都が1月、都が負担する関連経費が8100億円に上ると公表。直接経費6千億円と合わせ、五輪総事業費を1兆4100億円と見込み、組織委の予算6千億円を加え、総額は2兆100億円とされた。
 だが、今回判明した国の支出額や試算対象外だった費用を加えると、総額は2兆8255億円となり3兆円に迫る。
 検査院は新国立競技場の旧整備計画が27年7月に白紙撤回されたことによる損失額についても調査。契約不成立による支払額など68億5930万円のうち、30億8983万円が国費負担だったと明らかにした。
 内閣官房の大会推進本部事務局(オリパラ事務局)は「内容を精査した上で、どのような対応が可能か検討していきたい」とした。

                             ---- 10月 4日(木)産経新聞

 今までに何度も「昨今のニュース報道は、公式発表を、その文言のまま記事に置き換えただけだ」と指摘してきたが【註1】、これも「会計検査院の発表」を「そのまま記事にした」だけである。例によって「 …… が、分かった」という常套句が出現する。

これまで公表されていた大会経費の国の負担額は、 …… 計1500億円。しかし、検査院が各省庁の関連施策費を集計した結果、 …… 25〜29年度に8011億9千万円を支出していたことが分かった

 「分かった」の主体が「会計検査院」なのか「サンケイの記者」なのか、さっぱり分からないのだが、誰であるにせよ、これは、平然と「 …… が分かった」と言って済ますことの出来る内容ではないだろう。

 国家機関が策定した計画、8年間かけて1500億円支出する計画が、最初の5年間ですでに8000億円以上を使い切っている! 何だ、これは? 単純に割り算すれば、消費進捗率 855%。すでに最初の1年で総予算以上を使い切っている勘定になる。

 こんなデータを見せつけられたら、
 そもそも原初の計画とはいったい何だったのか? 
 どこの誰が予算の進捗管理をしてたのか? 
 なぜ計画以上の金がどんどん使えるのか?
 決済権限はどこにあるのか? 
 オーバー分の財源はどのように手当されているのか? 
 予算の予定と実績の差異に関して報告義務はないのか? 
 「会計検査院」が調査するまで分からなかったことなのか?
 エトセトラ・エトセトラ …… 、
 驚きと怒りとともに、数々の疑問が群雲のように沸き上がって、人生幸朗さんでなくても、「責任者、出てこい!」と叫びたくなる。

 「会計検査院」担当者やサンケイの記者に、今さら「国家公務員の魂」やら「ジャーナリズム魂」を要求しても始まらないかもしれないが、せめて「一般的庶民のごく当たり前の感覚」ぐらいは持ち合わせておくべきだろう。それとも「お上のご意向」は「承る」だけで、一片の異議も差し挟むべきでないという「新常識」が徹底されているのであろうか。
 記事を内閣官房の大会推進本部事務局(オリパラ事務局)は「内容を精査した上で、どのような対応が可能か検討していきたい」とした。で終わらせることの出来る感覚は、尋常なものではない。安倍晋三を首領とする国家権力の中枢が、「真摯に受け止める」と「検討する」とか言えば、我々下々は、ハッハァー、と平伏するしかないとでも言うのだろうか。


驚くのは、まだ早い!


 驚くのは、まだ早い。この「会計検査院」報告には、サンケイがきちんと記事にしていない部分があるのだ。

 新国立競技場の整備費が 790億円不足 民間から借金の仰天

 東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場の整備費用が約790億円も不足することが、会計検査院の調べでわかった。5日のNHKが報じた。

 新国立競技場の整備費は約1600億円で、財源は「国」「都」、整備の事業主体である「日本スポーツ振興センター(JSC)」のスポーツ振興くじの売上金で、割合は2対1対1とされている。
 これについて会計検査院が調査したところ、JSCは昨年度、新国立競技場の整備費や国立代々木競技場の耐震改修工事などに支払う資金がショートし、すでに約50億円を民間金融機関から一時的に借り入れていた。
 さらにJSCは今後2年間で約790億円の資金不足を見込んでおり、民間金融機関からの借金で賄う方針だというから驚きだ。返済は長期にわたる見込みだ。
 新国立競技場はオリパラ終了後、民営事業化される計画だが、それまではJSCが維持管理費を負担することが想定されている。民営化が遅れれば不足する資金はさらに膨れ上がる恐れがある。

                             ---- 10月 5日(金)日刊ゲンダイ


 この記事は最初、 "NHK NEWS WEB" のサイトで見た。しかし早々に削除されてしまったので、それを引用している "日刊ゲンダイDIGITAL"の記事をコピーした。
 『日刊ゲンダイ』はいわゆる「駅売りタブロイド夕刊紙」である。記事の多くは自力で取材したものでなく、大手他社やその他諸々から引用して紙面を作っていると言われ、『日本新聞協会』へも加盟も拒否されている。その「はみご」(仲間はずれにされた子、を意味する関西語)扱いされている新聞の記者が、きちんと「一般的庶民のごく当たり前の感覚」で記事を再構成していることに注意しよう。

 新国立競技場の整備費が 790億円不足 民間から借金の仰天
 さらにJSCは今後2年間で約790億円の資金不足を見込んでおり、民間金融機関からの借金で賄う方針だというから
驚きだ

 ごくフツーの人間なら、この記者君のように、「仰天」したり「驚」いたりして当然だろう。この記事は、そういったきちんと人間的感覚の備わった文章になっている。さらに注意するなら、この「駅売りタブロイド夕刊紙」の記事のほうが、サンケイをはじめとする『日本新聞協会』加盟の由緒正しきものより、数等「新聞記事らしく」読める、という事実である。その理由はこうだ。

 サンケイの記者は、「会計検査院」の報告を「自分なりに要約する能力」を持ち合わせていないように思える。配布された資料やら、ボイスレコーダーやら、自分のメモやら、から、適当にチョイスして並べただけ、なのだろう。やたら込み入った図表まで添えながら、結局、何がどうなっているのか、さっぱり要領を得ない。
 「経費の総額は3兆円を超える可能性が出てきた」と言うのは、彼なりの慎重を期した推論なのだろうが、結局「経費の総額が3兆円を超えるレベルでおさまる」かのような、ぼんやりとした印象をばらまいてしまっている。たいそうに過ぎると「体制批判的」に見えるからもしれぬ、というビビりと、上司のチェックの癖に忖度している様子がうかがえる。
 しかし、報道内容を冷静に読む限り、私には、総費用が3兆円レベルにおさまるようには思えない通常の感覚の持ち主なら、誰だってそう思うだろう。サンケイの記者は、楽観的見通しにすがって困難点を先送りにする五輪関係者の悪癖を、気づかぬうちに模倣してしまっている。

 一方「日刊ゲンダイ」の記者は、あれやこれやを述べようとはしない。論点を「新国立競技場の整備費」一本に限定している。このテーマなら、ごく普通に新聞を読み、テレビのニュースを観ている人なら、およその経過を記憶しているはずである。

「新国立競技場の立て替え」は、当初、1300億円の予算でスタートした。だが、ザハ・ハディッド案の具体化には3000億円かかる「ということが分かり」、擦った揉んだの末、阿倍の一声で計画は白紙撤回。やっとの事で新設計案採用の1625億円プランを策定した。だが多くの国民は、この「1625億円案」も、従来案と同様、取りあえず議論を収拾し、異議を封じるための単なる作文ならぬ「作数字」ではないのか、という疑惑を持っている。私の記憶では、たった一月やそこらの短い期間で、でっち上げた計画案ではなかったか。

 「日刊ゲンダイ」の記者は、この一般大衆の「ぼんやりとした不安」にズバリ回答を与えている。そう、皆さんの不安が的中しましたよ。1625億円なんて、やはり甘味料だけの「黙らせ飴」だったんですね。今のところは「 790億円」だなんて不足額を小出してますが、この「90」で止めて「 800億円台に乗ることを必死で押さえた」という作為が丸見えの数字ですね。そのうち、不足はずるずると増え「不足1000億の大台」を越え、あれよ、あれよという間に、当初の「3000億」に近づいていくでしょう。ザハ・ハディッド案を選んだのが誤りだった、だなんて、異国のおばさんの案が悪かった、みたいな雰囲気まき散らして、悪いのはテメエらの無能力じゃないか。


東京新聞 森本記者のまとめた「新書版」を読む


 前回、オリンピックなどは「もともと私には全く興味の持てない事柄。いまさら事実探索をする気もない」と書いていたが、この日刊ゲンダイの記事が、私を怠惰から目覚めさせた。特に「民間からの借金」という言葉が、五輪担当者たちに対する憎悪を噴出させた。
 私は、中小・零細の製造業を渡り歩いた人間であるが、どの会社でも金融機関からの借り入れにおいては、間違いなくオーナ−社長が「個人保証」を要求されていたことを知っている。会社が成長し、高額納税企業として「地域一流」のレベルまで信用度を高めても、金融機関からのこの要求は変わらなかった。ある社長は、約手に押印するときは今でも手が震える、と言った。もし、これが返済出来なかったら、首つりだからね …… 。JSC『日本スポーツ振興センター』の文科省からの天下りどもは、「民間からの借金」にあったって「個人保証」などしたであろうか。

 私は、近在の図書館へ走り、初めて「体育・スポーツ」の書棚の前に立った。そして『新国立競技場問題の真実 無責任国家・日本の縮図』という新書版を手に取った。東京新聞森本智之さんという若手記者が書いた本である。数十ページをパラパラと立ち読みして、その場にへたり込むほど驚いた。まさに「無責任国家・日本の縮図」という副題の通りである。抜粋や要約など、とうてい不可能なほど、無責任、また、無責任の連続なのだ。

 2011年、東日本大震災の混乱のさなか、『公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会』は "IOC"に『立候補ファイル』を提出する。その翌年 3月、 "JSC"は「国立競技場の再整備」に向けて、第1回目「有識者会議」を招集する。会議の口火を切ったのは、 "JSC"河野一郎理事長であるが、開口一番、すでに「8万人規模」が既定の事実であるかのような発言をしている。森本智之記者の本から引用しよう。河野はこう言った。

 規模については、8万人規模をスタートラインに。参考資料の『国立霞ヶ丘競技場の8万人規模ナショナルスタジアムへの再整備に向けて(決議)』を見ていただきたい。これが公に目にされている最近のものであり、これを根拠としたい。オリンピック、パラリンピック招致申請ファイルにも同様の記載をしている。(同書16p.)

 この発言は解りにくい。だいいち『国立霞ヶ丘競技場の8万人規模ナショナルスタジアムへの再整備に向けて(決議)』とは、いったい何だ?

 実は、ラグビーのワールドカップ日本開催が決まった後、超党派の国会議員が40人ほど集まって『ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟』なるものを結成している。国会議員どもは群れるのが好きだから、『日本会議国会議員懇談会』だとか、『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』だとか、ことあるごとに泡沫的徒党集団を形成しているが、これもその一つなのだろう。まぁ、ラグビー好き議員の親睦会か、せいぜい啓蒙グループ程度のものであろう。どのような持続的・恒常的活動をしているのか不明である。
 ここが、2011年 2月に、「国立競技場は老朽化が激しく、世界のナショナルスタジアムとひかくしても設備面で劣っているから、ラグビーW杯をはじめ、今後開催されるであろう国際競技大会のため再整備すべきだ」という内容の(決議)をした、というのだ。 "JSC"の河野は、これを取り上げて、「これが公に目にされている最近のものであり、これを根拠としたい」と言っていたのだ。

 ぅん? ぅん? ちょっと待てよ、いくら国会議員の集まりだからといって、これはきわめて私的・親睦的なものじゃないか。そこが(決議)をしたからといって、それは、国家レベルの事業に対しては、何の強制力も拘束力も持たないはずである。そんなものは、所詮、格好をつけた「お戯れ」でしかない。そのレベルのものを河野は「これが公に目にされている最近のものであり、これを根拠としたい」と言ってのけるのである。
 ウィキペディアを見ても、『ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟』という項目はあるが、上で述べた程度の概略と、構成員の名前が列挙されているだけである。実質的な活動内容は何も書かれていないし、『国立霞ヶ丘競技場の8万人規模ナショナルスタジアムへの再整備に向けて(決議)』という小項目も見当たらない。

 だが、その構成員名簿を見れば、河野が、これほどまでに強引なごり押し論を述べる理由が想像できる。

  最高顧問:森喜朗 
    顧問:安倍晋三麻生太郎 

 松田優作でなくとも、「なんじゃこりゃぁ〜?」と叫んでしまう。
 森喜朗が『日本ラグビーフットボール協会』の名誉会長であることを思いだそう。つまりは、森喜朗の名誉欲と虚栄心、それに、安倍晋三の「オリンピックしたい病」が合体したことが、国立競技場巨大化の源泉だった、という流れが見えてくる。


有識者と呼ばれる 無能たちの群れ


 有識者会議は、その後何回か行われたらしいが、その発言内容たるや、見るも無惨なものばかりである。

 サッカーW杯の開催条件は「収容人数8万人以上」であるから、8万人の規模は死守しよう。
 ハイ、ハイ、そうしましょ、そうしましょ!

 コンサートにも使えるように全天候型屋根付きにしましょう。
 ハイ、ハイ、そうしましょ、そうしましょ!

 可動式観覧席を。バリア・フリーの設備を。アンチ・ドーピング設備を。商業施設も併設しよう。世界基準のホスピタリティ機能(例の、おもてなし、というやつか?)を。
 ハイ、ハイ、そうしましょ、そうしましょ!

 今までで最大の五輪会場は北京だった。それよりも大きい史上最大級のものにしよう。
ハイ、ハイ、そうしましょ、そうしましょ!

 風致地区指定で、15メートル超の高層建築は立てられない。そんな条例など変えてしまおう
 ハイ、ハイ、そうしましょ、そうしましょ!


 で、幾らぐらいかかるのかね、それだけ盛って?

  …… 、実は積算能力のある人は、一人もいなかった、のである。

 有識者会議は全会一致でコンペの募集要項を決議するのだが、議事録の「工事費概算」の項目には、

     総工事費は    億円をみこんでいる。 

と、書かれてあったそうである。

 えっ、私のタイプ忘れじゃありません。金額数字が空白のママ決議したのですよ!
 後日、誰かがそっと、その空白に「1300」という数字を書き加えたらしい。何の根拠があっての数字かは知らぬが、官僚や天下りは、文書の改竄・捏造はお手の物だから、日常的感覚で「いつものように」やったのだろう。

 私は冗談を言っているのでもなければ、ふざけているわけでもありません。ウソだと思うのなら、ぜひ、森本記者の書いた『新国立競技場問題の真実 無責任国家・日本の縮図』を読んでみてください。美しい日本、誇りある日本、に絶望されること、請け負いです。


 つまりは、五輪計画とは、時代劇によくあるような圧制者・暴君による無謀な築城と同じこと。支配者も指揮官たちも無能者ばかり。進捗を促には、現場を叱咤すること以外に方法を持たないだろう。
だから現場・現業は常に奴隷的労働を強いられることになる。
現に、死者まで出しているではないか。

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 −−【その3】了−− 

        オリンピックなんか、止めてしまえ。 目次へ