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九 ご令息 ご在宅
森本君はクラッシック音楽愛好の友だ。
彼は中学生にして学究肌の変人であり、風雅の世界に遊んで已まずの趣があった。例のソクラテス指向派の悪ガキ・グループにも加わっていない。1年生の時、彼とはクラスが別だった。どこかで私がクラシック音楽が好きだという噂を聞きつけて、彼は突然私の家にやってきた。そのときの挨拶はこうだったらしい。
まことにお取り込みのところ、恐縮でございます。
私、森本と申します。ご令息はご在宅でしょうか。
あいにく私はご在宅ではなかったので、翌日私の方からLPレコードをさげて彼の家へ行った。彼の部屋でLPを聴いていると、彼の同級生が訪ねて来た。玄関へ応対にでた彼の声が部屋まで聞こえてくる。折角ながら当方、ただいま先客中でござる、すまぬが日を改めては頂けぬか。
これは彼の冗談だったのか、それとも素のままだったのか、未だに分からない。沢崎君と同じように彼もまた必要以上に友人と馴れ合う事を好まなかった。その目的の為にはこの益荒男ぶりは有効に作用していた様である。
その時森本君は、西欧古典音楽が面白そうだと思うようになった経緯を、詳しく話してくれた。きっかけはフォスターの合唱曲だと言う。
それまで彼は、合唱曲は声を合わせて美しく歌うものだ、と思っていた。突出より調和、力強さより繊細さ、直截な感情表現より抑制の美。学校での唱歌は悪くはないが生真面目に過ぎて面白みに欠ける。音楽の楽しみは文学や映画ほどの事もない。彼の本棚には世界文学全集の類いや洋画雑誌のバック・ナンバーが並んでいた。
ところがある日テレビで、アメリカの合唱団がフォスターを歌うのを聞いた。これで合唱曲に対するイメージがいっぺんに覆った。
少人数の合唱団だった。歌手達のパフォーマンスは、調和・繊細・抑制の三大美学の逆をいくものだった。彼らはイタリア・オペラのベルカント風に歌い、全員が前へでて目立とうとしていた。元気な曲、憧れをこめた曲、その曲の雰囲気に合わせて情感を豊かに表現した。快速で愉しい曲になると、ミッチ・ミラー合唱団がやるように、両腕の肘を横に突きだして、リズムに合わせて上肢をゆすった。『草競馬』の「ドゥダー・ドゥダー」は、音程をわざと外して、実際に馬をはやすかけ声そのものになっていた。
彼はこの様子を私の目の前で再現してくれた。ドゥダー・ドゥダー、オゥ、ドゥダディー。熱演やけど、えらい唾や。この合唱団はクラッシクの合唱団と紹介されていたので、最初はかなり面食らった。かけ声のところは滑稽で、思わず笑ってしまった。しかし面白い。力強い。各声部の交錯・応酬・平行移動・合流が見事だ。お上品の合唱では聞けない高揚感がある。
番組の後、彼は番組を真似て『草競馬』を歌ってみたのだそうだ。オペラのテノールのように声を胸腔に響かせて。すると今まで味わえなかった恍惚感が生じた。この時、ちょっと待てよ、クラシック音楽とは結構面白いんじゃ無いか、と直感した、と言うのである。
その後ラジオで機会があるごとにクラシック音楽を聴いている。ベートーベンは素っ気ない感じで良く分からぬ。ワグナーは金管楽器のバウワウという響きばかりが目立つ。かといって『青きドナウ』は水っぽい。川だから当然か。フォスターの時のような高揚感は戻って来ない。
そこで我が輩はお主を訪問した、と言う次第。ご理解いただけたか。
この話は私を喜ばせた。入り口がフォスターと言うのが凄いじゃないか。
クラッシック音楽に魅力を感じるきっかけというのは、華麗なオーケストラ曲である場合が多い。名曲百選というイメージで当たっている。ただし最初に聴き手を楽しませるのは、甘美な旋律の流れである。色とりどりの絹糸で織られた錦のまばゆさだ。音楽の魔力にではなく、オーケストラの機能美に刺激を受けているのだ。しかし一瞬の刺激は、過ぎ去ってしまうと、たいてい忘れ去られる。どんなご馳走だって毎日は食べられないのと同じだ。
音楽そのものに魅力を感じるのは、初恋に巡り会う少年の心に似ている。少年はすれ違う少女すべてに憧れをもち、心のなかで振り返ってみる。実際に堪えきれず、そっと振り返ることもある。どんな少女にも魅力を感じるが、次の少女にであうと、前の人のことは忘れてしまう。だがある瞬間、ただ一人の少女のことが気になり始める。彼女の容姿、仕草、声、服装、名前、住まう所。彼は恋に墜ちたのだ。ああ、君住む街角。
音楽に対しても同じことが起こる。このとき聴き手は、まばゆい錦の下に、生の繭糸の光沢や手触りを感じとっている。普段はその表面しか見ないものに、その構造や本質が見えてくる。見事な織物に仕上げられるまでのしなやかな指の動きや、作品の完成への強い意志力まで感じられる。これは謎だ。そして恍惚とさせられる刺激にもう一度出逢いたいと願うようになり、偶然的な聴き手であることを止める。
だからフォスターから、と言うのは凄い。マドンナ・美少女・コケティシュ、百花繚乱の名曲群のなかでフォスターの歌曲は、地味で目立たないタイプの少女だ。この恋いは本物だ。
偶然にも2年生は、彼と同級となった。ちょうどLPステレオ・レコードの普及期であった。二人で相談してお互いが買うレコードの曲目が重ならない様にした。と言ったって、たいした枚数は買えなかったけれど。
ちょうどこの頃、西欧の著名な音楽家が次々と来日公演を行うようになっていた。デル・モナコ、レナータ・テバルディのイタリア歌劇団、カラヤン率いるベルリン・フィルなど。前者は、英デッカ・ロンドン・レコードから次々と発売されていたイタリア・オペラ、後者は、ドイチェ・グラモフォンのベートーベン交響曲全集などの、セールス・プロモーションを兼ねていたと思う。その当時はロンドンもグラモフォンも、超メジャーなレコード・レーベルでは無かった。追い上げをねらう勢力が、日本市場のポテンシャルを見越しての日本ツアーであったのだろう。
音楽産業の攻勢が瞬く間に西欧古典音楽の愛好家を増やした。子供とて例外では無かった。だから森本君と私が共同すれば、一気に聴く音楽の幅を広げる事が可能だったのだ。当然知識も増える。この西欧古典音楽の知識の先行が、Uとの確執を、虐め教師対悪ガキという図式とは、いささか違ったものにした。
―― 九 ご令息 ご在宅 (了)
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ご令息はご在宅でしょうか
今や「ご令息」なんて言葉はコミカルな使われかたが当たり前になった
ミッチ・ミラー合唱団がやるように ↓クリック
『草競馬』の「ドゥダー・ドゥダー」は
↑クリック 伝説的カントリー歌手、ウェンデル・ホール
↑クリック ミッチ・ミラー合唱団
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デル・モナコ、レナータ・テバルディのイタリア歌劇団
↑クリック 1959年の公演映像
ヴェルディ『オテロ』
↑クリック 1963年には、カラヤン指揮で全曲盤が
カラヤン率いるベルリン・フィル
↑クリック べートーベン言えば、誰もがこれを思い浮かべます
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