壱拾弐  憎悪のねじれ        



 U女史の『音楽史』は、模造紙の上にフェルトペン(マジック・インキと言った)に書かれ、円筒形に丸められて教室にやってきた。
 7・8枚の模造紙が教室の前面に貼られた。どの紙も下の方は、くるくると巻き上がり読めない。おそらく去年も一昨年も、いやもっと前からその模造紙は使い回されてきたのだろう。
 黒板上だけでは場所が足らず、教室の幅いっぱいまで左右にはみ出した。右上がりの行、右下がりの行、不揃いな文字、音楽用語はカタカナとアルファベットが混在し、そのアルファベットも活字体・筆記体が入り交じっている。乱雑というより稚拙。
 生徒たちがざわめき出す。模造紙1枚あたり5分強で書き写さなければならない勘定だ。とても時間内に書ききれる量ではない。だいいち中央から後ろの席では判読出来ない。さすがに異議を唱える生徒がでてくる。
 先生、後ろでは読めないんですけれど …… 。
 U女史、間髪入れずスマッシュで返す。だったら、前へ出てくればいいじゃないの。

 教科書・板書・講義、この基礎教育ツール3点セットは、伝統的な世界標準である。このセットを適当に組み合わせれば授業らしくなる。しかしUはこの3点セットを全て投げ捨てて、授業を教育勅語や建学の精神と同じ「高札」レベルに引きずりおろしてしまった。この罰当たりもの。時間にして約90年の後戻りだ。
 私は長い間ずっと辛抱していたのに、とうとうU相手に問答を仕掛けてしまった。その模造紙はとても書き写す気になれなかったからである。鉛筆を動かしていないと、なぜ書き写さないと絡んでくるに決まっている。私は決して反抗的な子供ではなかった。しかし一見反抗的に見えたらしい。それを許さぬ大人たちが、棒で蛇をつつくように私を追い込んで、反抗に向かわせていたのである。

 先生ここは日本の教室です。なぜ作曲家の名前を日本語のカタカナで書かないのですか。
 うん? おまえ何が言いたいの。ちゃんと原語を調べてきてあるんだから、書きなさいよ。
 原語? それが原語ですか。読めない生徒だっていますよ。だからさっきから騒いでいるじゃないですか。目に入りませんか。
 だったら質問すればいいじゃないか。
 貴女の授業で今まで誰か一人でも質問しましたか。読めない生徒はたくさんいるんだ。仮に質問し始めれば延々と続きますよ。
 私が質問を禁止したとでも言うの。
 これが質問の出来る授業か、そんな雰囲気か。白々しい事を言わないでください。
 だから何時私が質問を禁止した? 無いだろーが。

 生徒が間違って覚え込んでもいいんですか。国によって発音が違いますよ。
 何言ってんだおまえ。ベートーベンはベートーベンじゃないか。
 じゃ、モーツァルトの事をモザゥ、ドホルザークの事をドホルジャックと書いても、テストでは正解なんですね。
 ああ、そう言う読み方があれば、丸をあげるよ。
 あんたに点をもらっても仕方ないよ。入試があるんだ。高校入試ではペケにされる。原語を書くついでに何故日本での通称を書かないのですか。
 入試は入試だ。そこまで責任が持てるか。私がせっかく原語で書いてるんだから素直に写せばいいじゃないか。何をひにくれた事を言ってるんだ。
 じゃ、聞きますが、原語というのは作曲家の生まれた国の言葉ですか、それとも英語のことですか。
 原語は原語だよ。
 確かにドホルザークのRの上にはカタカナの「ソ」、Aの上にはカタカナの「ノ」に似た印が振ってあるから確かにチェコ語だと思いますが、そのチャイコフスキーは英語表記でしょう、それじゃ。ロシア語の文字じゃありませんよ。
 何がだ?  ……  これでいいんだ。何処がおかしい。

 私は間違いを攻めているのではありません。書いたものを貼るにしても、少しは説明があれば分かりよいと言っているのです。
 私のやり方に文句を付けるのか。ああいいだろう。少し説明してやろうか。きちんと聞けよ。そこを間違えたらテストは零点だ。このクラス全員が零点だ。じゃあここから、シューベルト。作品として野ばら、教科書にも載ってる。魔王。それから未完成交響曲、これ彼の最後の交響曲だ。
 えーっ、未完成は最後の交響曲ではありませんよ。事情があって他人の机に長い間眠っていたのだ。これ有名な話でしょう。映画にもなった。 
 馬鹿言え。途中で死んでしまったから、未完成になったんじゃないか。
 馬鹿は貴女だ。なぜ人の言うことが聞けない。
 私に向かって馬鹿と言ったわね、馬鹿と。教師に向かって馬鹿と、おまえ只じゃすまないよ。

 Uが少し説明してやろうと言うので、クラス全体が拝聴モードになったのもつかの間、未完成は最後の交響曲というくだりで、私の周囲がざわつきはじめた。
 そのころアルルの女・ソノシート組の面々は、シューベルト第9番『グレート』のことをよく話題にしていた。私が映画館のワールド・ニュースの一件を話していたからだ。みんなは口々に、一度きちんと『グレート』を聴いてみたいものだ、と言い交わしていた。だから第9番『グレート』は第8番『未完成』の7年後という作曲の順序を、すでに諳んじていたのである。
 それでなくても彼らは、レポート40点という仕打ちに怒り心頭に達している。そこへもってUは明らかに間違えているのに、未完成は最後の交響曲と言って譲らない。彼らのなかで、それでもやはり先生は偉いのかもしれない、という最後の幻想が崩れさったようだ。

 何だこのクラスは、集団で騒いで。静かにしろ。

 Uはヒステリックに叫ぶが、誰も黙らない。
 森本君が立ち上がる。彼は周りを静めると、第8番ロ短調が未完となった経緯のレクチュアを始めた。Uが制止しても、まあ聞いてくださいよ、先生、とさらに話を続ける。彼はこんな時でも普段の口調と全く変わらない。筋金入りのオタクであるから、音楽史家の名前や年号などまで正確に覚えていて、なかなかの説得力である。

 やかましい。黙れと言ったら、黙るんだ。

 同じクラスに番長の一番弟子、T君がいた。このころまで番長グループは生徒間で頂点に立つことに執心していたので、教師に対しては無接触・無交渉を通していた。Uの行為に対してもずっと無関心を装っていた。そのT君が、森本君の折角の説明を遮ろうとするUに、本気で腹を立ててしまった。彼は机をがたつかせて立ち上がる。

 生徒の言うことやったら、聞かれへんちゅうんか、おばはん。
 生徒は囚人か。学校は刑務所か。
 教室で生徒は喋ったらあかんのか、このヒスばばあ。

 T君はここで口を噤み、身体を静止させ、眼力にパワーを集中させる。彼は喧嘩の技術をすでに身につけている。たちまち他の生徒の気持ちを束ね、おかしな返事をしたら、お前に向かって突進するぞと、相手に威圧をかける。静まり返る教室。
 しかしこれはUに幸いした。Uは自力で事態を納めることは出来なかったであろう。彼女は自分の非を絶対に認めないだろうし、今日は生徒も引く気持ちがない。彼女はこれ幸いと、こんな侮辱を受けたことは生まれて初めてだ、こんなクラスで授業なんか出来ない、ひねくれものばかりだ、覚えてやがれ、と悪態をつくと、さっさと職員室へ戻ってしまった。
 一瞬、快哉を叫ぶ思いがなかったとは言わない。しかしすぐ、これから続くであろうゴタゴタの連続を思い、強烈な憂鬱にとりつかれた。もう黙っていたい、しかしここで黙ると負けてしまう、どの様にして収拾するのか、大変な徒労だ。ふと気が付くと、多くの生徒がこんな騒ぎの直後だというのに、音楽史をせっせとノートに書き写している。なんやお前ら、 ……
 
 長いあいだ心の底に納めていた動物的な憎悪が、むっくりと起きあがる。何やら無性に腹が立つ。誰でもいいから殴り飛ばしたい。手先の震えるような感触。果たして感情は制御できるのか。

 しばらくすると担任が間抜けた面をだし、私を指名して、職員室まで来るようにと言った。
 殴るなら、こいつが先だ、と心に決めて歩き出す。呼ばれていない森本君が黙ってついてきた。



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 ◆◆◆ 2024/04/12 up ◆◆◆



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ドホルザークのRの上にはカタカナの「ソ」



えーっ、未完成は最後の交響曲ではありませんよ
1822年10月D759『未完成』着手
25歳
1828年3月D849『グレイト』完成
1828年11月 没 31歳


映画にもなった

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"Leise flehen meine Lieder"
(1933)
「秘めやかに流れる我が調べ」
『セレナーデ』の歌詞から
邦題『未完成交響楽』

映画の終盤、ハンガリーの伯爵令嬢カロリーネとの恋に破れたシューベルトは、楽譜の終わりの部分を破り捨て「我が恋の終らざる如く、この曲も終らざるべし」と書く
もちろんこれは創作

未完のままになった理由は諸説紛々 
でも、もともと多くの草稿を未完のまま放置している