ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
これが意味するところを噛みしめるべきである。
平成27年10月07日
『 安倍晋三が醸成する「日本」の概念 』 その1
二枚の気持ち悪いポスター
今回『安全保障関連法案』の採決に至るまで、公明党は自民党にぴったりと歩調をあわせてきた。もともと創価学会は現世利益至上主義の仏教教団だから、公権力の一隅に収まることに無上のエクスタシーを感じたとしても不思議ではない。でも、何もそこまで擦り寄ることはないだろう、と思うこと度々なのだが、その白眉をなすのは、平成24年、衆院選に向けてのポスター・デザインであろう。よくも、まぁ、これほど似かよったことをするものだ、と我々を驚かせてくれました。
そう、覚えておられるでしょう、これ、です。
私の住むのは戸数百五十戸ほどの田舎町であるが、このポスターが、ニョキッ、 ニョキッ、と町内に出現したときは、さすがに驚きました。驚きが少し収まると、最大級の不愉快さが沸き上がった。しかし、ほとんどの人が顔見知りの町内である。ポスターに石を投げつけたり、破いたりしては騒動になる。私は我慢してやり過ごすことにした。まぁ、少しの辛抱だ。選挙が終われば撤去されるだろう。
ところが、それからほぼ三年たつのに、この二つは未だに掲示されている。自民党の『日本を、取り戻す。』の方は、石破の加わった『別バージョン』まで追加されている。よほど気に入っているのだろう。
よし、それならば、一度きちんと批判しておこう、というのがこの稿の趣旨である。ネット上では、公明党の『日本再建』はほとんど黙殺され、自民党の『日本を、取り戻す。』の方があちこちで嘲笑的に取り上げられている。が、私は生真面目にやってみよう、と思う。だって、このポスターの振りまく思想性は、実は、極めて悪質なのだから。
このポスターを見たとき驚いたと言ったが、そりゃ当然でしょう、突然、日本再建、とか、日本を取り戻す、とか宣言されても、こちらには、日本が崩壊してしまった、とか、日本が誰かに乗っ取られてしまった、とかいうような認識は全くないのですから。確かに、問題山積みで疲労困憊している風ではあるが、まだまだ平常心を保って頑張っているじゃないか、我々は。それを、勝手に、壊れた、盗られた、と言いふらすとはどういうこと? 無礼千万、不届き千万。一体、何もって、かくなる戯言を吐くか?
自民党の広報文は コピーライター が書いた?
当事者はどういうつもりだったのか? 検索してみると、自民党のホーム・ページのなかに、このポスターのお披露目の記事が残されていました。
新ポスターを発表「日本を、取り戻す。」 平成24年10月25日
自民党は25日、新ポスターを発表しました。
ポスターには、安倍晋三総裁と石破茂幹事長の迫力ある表情が並び、キャッチコピーの「日本を、取り戻す。」は、総裁選挙のポスターでも使用したものです。
民主党政権によって壊されてしまったこの日本を、自民党が1日も早く再生する。諸外国に対し、断固とした覚悟を示せる「強い日本」、デフレから脱却し、経済が活性化する「豊かな日本」、この国に生まれたことを「誇りに思える日本」を取り戻す決意を示しています。
ポスター発表記者会見を行った高市早苗広報本部長は、「私たちの決意を伝えるため迫力あるポスターを目指した」と述べました。
10月末には全国の地方組織に発送し、来月早々から全国の街角に張り出されます。
引用元; https://www.jimin.jp/news/activities/129562.html
「迫力ある表情」だなんて笑ってしまいますね。刷り上がったポスターを前に、どうにも褒めようのない石破の表情を見て、石破幹事長迫力ありますねぇ、と苦し紛れに誰かが言ったのだとしたら、一発逆転賞ものですね。それだ、それでいこう! と尻馬に乗るやつがいて、それでこの広報文の「コンセプト」は決まったのでしょう、きっと。
でも「キャッチコピー」は頂けません。だって、広告屋の用語でしょう、それ。自民党は政党だろ? これ選挙向けのポスターだろ? たった一言の言い切りフレーズだし、おまけに抽象的すぎるから、それで「公約」と言いづらいのなら、せめて「スローガン」と言いなさい。自民党の内部で、この言葉使いはおかしいぞ、と指摘する人は一人もいなかったのだろうか?
それにしてもこの広報文、読みづらい、分かりにくい。論理的整合性を欠いている。
読む側で整合性を組み立てようとすると、二通りの読み方が出来る。
A)「民主党政権によって壊された日本」「強さを失った日本」「豊かでなくなった日本」「誇りに思えなくなった日本」と列記されている4つの日本を取り戻す、と言っているのか?
B)「民主党政権によって壊された日本」を取り戻すのだが、その中身が「強さを失った日本」「豊かでなくなった日本」「誇りに思えなくなった日本」という3項目である、と言っているのか?
いったい、どちらなのか? と、問いただしてみても、おそらく高市には答えられないだろう。安倍に聞いたら、また苛ついて、そんなこと、どうでもいいじゃないか! とヤジを飛ばしそうですね。
でもね、これはとっても大事なことだと思う。党の正式な広報なんですよ。読む人は、そう言うもの、として読むのだ。脱線・失言OKの時事放談じゃないんだ。
口から出任せ出放題、雰囲気が伝わればOK、とにかく政敵批判の「キーワード」を並べておけ、が彼らのスタイルで、文章の整合性などまじめに考えたことなど無いだろう。政治家でなく、マーケティング戦略家なのだから、仕方ないのか?
キーワードの欺瞞性
しかし、ですよ、
もし、彼らの言うとおり、今の日本が「強さを失しない」「豊かでなくなり」「誇りに思えなくなって」いるとするなら、それはずっと以前の自民党政権の時代にすでにそうなっていたのであって、民主党政権の3年3ヶ月でそうなったのではない、というのが庶民の素直な実感である。
民主党政権の成立で一番慌てふためいたのは、おそらく官僚どもで、だから、鳩山に対して官僚どもは一切協力・協働しようとはしなかった。鳩山が何か仕掛けても無視し、黙りでやり過ごしようとした。あの「事業仕分け」を思い出せ。それどころか検察は、鳩山・小沢に対して脱税容疑を持ち出して援護射撃。次の管は原発事故への対応に忙殺された。原発政策といのは歴代の自民党政権が推し進めてきたもので、管はその尻ぬぐいを押しつけられたのだ。あの時、お手並み拝見とばかり、自民党は管に協力しようとはしなかった。ただただ醜い。そして野田は何を血迷ったのか、原発再稼働、TPP参加、を俎上に載せて、自民党政権への復帰を準備した。
つまり、この3年3ヶ月、民主党は何も出来なかったのだ。何も壊しはしなかったし、何も売り渡したりしなかった。それは百も承知のはずなのに「民主党政権によって壊されてしまったこの日本」と言う破廉恥さ。
でも、これは自民党の常套手段である、とも言える。本音を言えば、今更驚くほど、こちらも初心ではない。私が指摘したいのは、自民・公明の二政党が放ったキャッチコピーの「理屈の立て方」である。
それは、
1) かって日本は「すばらしい理想形態としての日本」であった。しかるに、
2) それが何らかの理由で「疎外された日本」になっている。だから、
3) もう一度「すばらしい理想形態としての日本」を回復させる。
という、論理構造を持っている。
あれ、これは奇妙に懐かしい論法だな、と感じません?
そうです、これは「疎外論」そのものなのです。この疎外論的論理構造は、今までの歴史の中で何度も繰り返し登場してきた論法で、その度に、人々は大いに惑わされてきた、という、曰く付きのやり方なのだ。特に、六全協(1955年 日本共産党第6回全国協議会)以後、マルクス主義陣営が対立・分裂・統合を切り返すなかで、玉入れ競技の赤玉・白玉のごとく、論争者の頭上を飛び交ったものなのだ。
さて、安倍は、どんな風にこの疎外論を展開しようとしたのか?
それは、次回に。
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