ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
これが意味するところを噛みしめるべきである。
通天閣?
本文と何の関係が?
本文の中頃に出て参ります。
私の育った家は、通天閣の北方約2キロの所にありました。物干しからは、通天閣の鉄骨が徐々に組み上がって、だんだんと背が高くなっていくのが見えました。通天閣は古いが、私はもっと古いのです。
1900年の統計によると、
半導体売上げの世界市場シェア上位4社は次の通り。
1)NEC
2)東芝
3)モトローラ(米)
4)日立製作所
この日本3社で、
世界市場の30%のシェアを占めていた。
1999年、NECと日立の DRAM 部門が合併し、エルピーダメモリとなる。まさに、本文で述べているマーケティング戦略の図式通り。だが、その後どうなったかは、この欄の一番下をご覧ください。
"H" のモーターのライバルたち
当時は、ドイツ語風に「モートル」と言った。通天閣のネオンも「モートル」でしたね。
(左)モートルの貞 田宮次郎さん
『悪名』大映 1961年
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平成27年 10月 23日 人件費を悪と考える経営 その2
前回は、企業が雇用者をどのように働かせようとしているのか、40年前(1970年代後半)と現在とではそれがどのように変化したか、それをガソリン・スタンドを例にとって説明した。この明らかに堕落の方向への変化は、マーケティング理論がもたらしたもの、と述べたが、その点はまだ十分に展開していなかった。今回はその続きである。
QCサークル運動
マーケティング理論の侵入以前に、日本の企業で(特に製造業で)盛んに行われていたのは、QCサークル活動であった。日科技連のホーム・ページには、1970年に『QCサークル綱領』を発刊、とある。私はその頃は大学生で、たまたま読んだ『赤旗』か何かで『QCサークル』という言葉を知った。その記事はQCには否定的な論調だった。労働者は労働組合が組織するべきもので、QCサークルは資本家側からの労働者の囲い込みであり、労働組合運動の切り崩しを謀るものだ、といった〈階級史観〉に立ったものだった、と記憶する。つまり、国労・動労に対する鉄労、全逓に対する全郵政、のアナロジーして捉えられていたわけだ。
その後長期にわたり、労働者の労働組合からの離脱が底を打つことなく進行するが、その一方で、QCサークル運動は広く深く浸透していった。しかし『赤旗』が言った様に、QCサークルが労働組合を侵蝕したからそうなったのではない。労働組合はただ自滅して行ったのだ。
私は先の材木屋の後1980年代の初め、奈良盆地のほぼ中央にある社員数250名ほどのメーカーに転職する。役職は製造部門の購買課長。入社して間もない頃、会議から戻ってきた製造部門の部長が、今年の方針が決まったぞ、全社の基本方針としてTQCに取り組むことになった、と嬉しそうに言った。その翌日だったか、部長が言うには、購買は課長がいなくてもやっていけるだろう、だから君は、現場へ降りてQC指導をやってくれないか、と。
TQCに取り組む事が方針となった以上、それで成果を上げることが部門評価の鍵となる。営業部門は小回りの利く連中がそろっているから、QC活動の〈成果〉なぞ何とでも作り上げるだろう。だが工場は違う。地場産業から急成長した会社で、製造現場は古株の社員が支配していて、言わば治外法権状態。迂闊に手を出せない。ここは一つ新米管理職にやらせるか。そんなニュアンスを嗅ぎとったが、面白そうなので深く考えることなく受諾した。
それからの悪戦苦闘は、人生で一番楽しく仕事をした時期として思い出される。話してみたい事例はたくさんあるが、今はそこに立ち入ること止める。QC活動の何たるかを典型的に示す例は、その頃伝聞した話から選ぼう。
以下の話を、何で読んだのかは覚えていない。しかしかなり有名な話で、あちこちでこの引用に出会ったように記憶する。
時代は1980年代の半ば頃。場所は九州にある半導体の工場。全国各地に工場を持つ大手電機メーカーの工場の一つ。だが、この工場での半導体生産は一つの悩ましい難題をかかえていた。このメーカーでは同じ種類の半導体を全国の何カ所かの工場で作っていたのだが、同じ生産設備、同じ作業標準で生産しているにもかかわらず、何是かこの九州工場だけ不良率が高かったのである。これが長らくこの工場の改善課題となっており、当然QCサークルのテーマにもなっていた。いろいろと対策が講じられてきたものの、いっこうに改善されなかった。
ある日の朝、一人のパート社員が最寄り駅を降り立つ。工場に至るまでに一度踏切を渡るのであるが、この朝はあいにく列車の通過に遭遇する。踏切の手前で待つ彼女の前を、長い貨物列車が通過していく。ガタン・ゴタン、ガタン・ゴタン、と地響き立てて。この時、彼女に閃くものがあった。その日、QCサークルのリーダーに彼女はこう告げる。工場の敷地の側を国鉄(もうJRだったかもしれない)の線路が走っている。そこを頻繁に通過する列車の振動が悪さをして、不良率を高めているのではないか、と。
さっそく線路と工場の建物の間に細長い堀が作られる。貯められた水で通過列車の振動を吸収する作戦である。堀が完成した。すると、半導体不良率は一気に他の工場と同じレベルに低下した。
この逸話は純粋に人を感動させるものを含んでいる。積年の不具合、その改善のきっかけがパート社員の閃きであったこと。一介のパート社員の提言を、上司がきちんと受け止めていること。堀を作って水を貯めるという解決案の見事さ。そして即実行に移す工場管理者の機敏さ。
私は何度かこの逸話を朝礼などで紹介したが、いつも聞き手は熱心に聞き入っていた。この話には不良原因の意外な謎解きの面白さがある。しかしそれ以上に、聞き手の表情から、彼ら彼女らが〈理想の職場〉を思っているのだと、私は話しながら感じた。
さて今日、QCはどうなった? 確かに、今でもQC活動は行われている。しかし出版物やネット上の情報量から見て、かっての隆盛を極めるといった勢いは失ってしまったように思える。経営側の
"飽き" の感覚とか、労務管理の道具への矮小化(QCによる改善提案件数を現場管理者のノルマにするとか、提案件数の多い少ないで部門の評価を決めるとかいうような)が災いしたのだろう。しかし最大の理由は、全産業分野における、マーケティング戦略手法への雪崩を打つがごとき方針転換であった。
マーケティング理論の侵入
マーケティング理論の方も例題には事欠かない。ここでは〈マーケティング戦略セミナー〉などと銘打たれた経営者・管理職向けのセミナーがぼちぼち出現し始めた頃、ある講座で実際に聞いた話を選ぼう。私もまだ、マーケティング理論の用語・手法などには全く不案内な時分だった。えぇー、そうかなぁ、と、かなりの違和感を持って聞いたので良く覚えている。講師はこんな話でセミナーを開始した。彼の口調を思い出しながら書く。
皆さんは、大手電機メーカー "H" のモーターって、ご存じですよね。いぃえ、実際に現物を見たことは無くても、Hはモーターの大手メーカーであることはじゅうじゅうご承知ですね。(受講者から、通天閣のネオン・サイン、という声) そう、そのHのモーターに関する話です。
Hでは長らくモーターの生産と販売を続けてきました。何せ、あの日本鉱業の坑内で使うモーターから出発した部門です。当初から機械の信頼性には抜群のものがありました。その後一貫して成長を続け、あの大戦中でもその勢いが鈍ることはありませんでした。言わば老舗のなかの老舗。
さて現在、モーターはすでに成熟期にある製品となりました。品質的には安定しているし、研究開発の投資も少なくて済む。大層な販促・宣伝をしなくとも色々な電動機器の部品として確実に売れてゆく。売上げも利益も昨年対比増の実績が続いている。だから危機意識など感じる事はなかったそうです。みんな大船に乗った気持でいたのです。
ところが最近、マーケティング調査をしっかりとやってみると、驚くべき事実が判明したのです。Hのモーター売上げは、実は順調に伸びてはいなかった。T、M、N、F、Y、等の競合他社はもっと大幅に売上げを伸ばしていた。エレクトロニクス化の波は、産業・交通・生活のあらゆる分野に浸透していて、電動モーターのマーケットはそれこそ等比級数的に拡大していた。しかしHはマーケットの実態を見ていなかったので、昨対増で安心しきっていた。その間に、モーターの全市場に対する自社製品の割合、つまり市場占有率(シェア)は情けないまでに低下していた。
これ以降Hは考えを改め、マーケット全体を視野にいれたマーケティング戦略を、経営の基本に据えるようになったのです。
では、Hが取り入れた〈マーケティング戦略〉とはどう言うものか、と講師は本題に入っていった。しかし、さすがに30年も前のセミナーだから、こまごまとしたマーケティング手法の解説はまったく覚えていない。だが、この市場占有率(シェア)を重要視するという論点に関しては、よく覚えている。私の感覚とはあまりにも不適合だったので、逆に忘れることが出来ないのだ。それは、こうだ。
今の日本において各産業分野のシェア分布を見ると、5社から10社ぐらいの企業が市場を分け合っているのが分かる。いわゆる "棲み分け" ですね。トップ・グループの2〜3社、二番手グループで3〜5社、といった具合に。でも、これではダメだ。もっと市場占有率を高めなければならない。こんなドングリの背比べでは、市場における主導権、つまり商品構成(プロダクツ・ミックス)と販売価格の決定力を手にすることが出来ない。要は、貴方の会社が市場を実質的に支配出来るようになるまで、シェアを高めることです。
おそらく、多くの受講者の表情に戸惑いが表れたのだろう、講師は急に語気を強めた。
アメリカを見なさい、アメリカではすでにそうなっている。
では、そのレベルまでシェアを上げるにはどうすれば良いか。
先ずは、M&A(合併と買収)。自社がシェア1位なら、3番手もしくは4番手あたりと組んでガリバー型寡占を構築し、2番手以下の疲弊を待つ。自社が2位・3位なら、さらに下位の会社と組んで先ずはシェア1位を目指す。
平行して取り組むべきは、ヴォリューム・ゾーン商品のシェア拡大。そのための徹底したコスト・ダウン戦略。その最大の攻めどころは労務費体系の見直し。ここで講師の語気はさらに強まる。
良いですか皆さん、日本は世界一人件費が高い国なのですよ!
このセリフを講師は何度も繰り返した。さらにこう付け加える。
企業の人的構成を考えてみましょう、3%〜5%のハイタレント・マン・パワーさえしっかりと育成出来れば、残りの90%以上は、マニュアルで動くのです!
QCサークル活動 vs マーケティング理論
確かにQCサークル運動においても、最初のアウト・プットは〈作業標準〉を作る事にあった。これもマニュアルであることに変わりはない。ただしこのマニュアルは、作業者自身が造り、幾つかの "M"
(マン・マテリアル・マシン・メソッド)の変更がある度に、作業者自身が作りかえて行くものであった。ここでの作業者は、ただ指示された通りに動く作業者ではなく、自分自身で判断し、目標設定を行い、表現能力と伝達能力を備えた〈人間〉であることが当然の前提となっている。サークル・リーダーは、彼にとっては周知の知恵であっても、いったんサークル活動を通して、グループが作った作業標準にするという手順を踏んだ。なぜなら、みんなで作ったルールなら、管理者がやいのやいのと言わなくとも、みんな自主的に守ろうとすることを知っているから。
こういう宝物のような作業者が自前で作る〈作業標準〉を、マーケティング理論は不要だ、と言い放つのだ。実際、マーケティング理論の普及に呼応するかのように、1986年に労働者派遣法が施行され、以降ほぼ毎年、緩和、さらなる緩和の方向へと法改正されてゆく。
それまで工場の労務担当者は、パート社員から退職の意向を聞くと、必死になって留意に努めたものである。それが、えぇ、止めるてぇ? ええがな、止めたらええがな、替わりはなんぼでもいてる、別にパートやのうたって、ハケンでも、バイトでもええ、外人でもかめへん、(大阪弁で言ふたら、ほんま、憎たらしおすなぁ)と変化してゆく。
外人でもかまわない、と考え出すと、ええぃ面倒くさいと、工場そのものを海外に移転することを始める。
かくして、会社・事業所・工場、等々におけるほとんどの仕事を〈マニュアルさえあれば誰にでも出来る単純作業〉と無理やり言いくるめることによって〈人件費の低減と変動費化を図る〉ことが企業の基本姿勢となった。そのことの不合理性を指摘する声があっても、こう言い返せばすんだ。だって、そうしなければ生き残れないんだ …… 。ほんま(本当)かいな?
こういう理不尽を、日本は30年間繰り返してきた。
ここまで書いてきて、やっと標題の『人件費を悪と考える経営』を論ずる入り口まで来た。
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