ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。




日本会議』の機関誌
『日本の息吹』平成25年4月号 




『日本の息吹』平成26年3月号
本文で取り上げているのはこの号 

絵が小さいので読みづらいが、三行ならんだ標題の二行目が「義眼を」……  。










『二十四の瞳』のスティル・ショット

初登校の日。映画の中ではこんな風に整列するシーンはないが。


12人の生徒の名前と顔を確認する大石先生。あだ名までキッチリと聞き取っている。 


『汽車』を歌いながら 


浜辺で。この後生徒たちの仕掛けた落とし穴にはまって、先生負傷。


子供たちは歩いて先生のお見舞いに。その時の記念写真。『二十四の瞳』と言えばこのショット。 


先生のご主人。遊覧船の船員である。
演ずるは若き日の天本英世。



修学旅行の船上。屋島から金比羅さんへ行くのだ。


ご夫妻。この映画では夫婦間の描写は最小限に押さえられている。


教え子たちの出征を見送る。


戦地から帰還するも、磯吉は盲目になっている。田村廣広は『清作の妻』でも出征兵士を演じていた。ただしそちらは日露戦争。 

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『日本会議』の正体を暴く その2  (平成27年 12月 5日)


 『その1』の後半で、『日本会議』とそのエピゴーネンたちは、日本、日本、と「日本的なるもの」を奉っているが、実は日本と日本文化のことなどちっとも大切に思っていないのではないか、という疑惑を述べた。
 今回は一歩進めて、「日本的なるもの」を守り育てるどころか、逆に、彼らこそ「日本的なるもの」を抹殺してきた張本人である、という歴史的事実を示す。推察とか論証でない。単に事実を示すだけなので話は簡単だ。

 もう一度、彼らのばらまく「日本的なるもの」のイメージを確認しよう。以前『安倍晋三が醸成する「日本」の概念 その2』で簡単に触れたが、彼らの機関誌である『日本の息吹』の表紙に再度ご登場願う。
 あれ、またイラストですかと、怪訝に思われる向きもあろう。私とて、彼らの主張する確固たる「日本の概念」を俎上にあげて論を進めたいのだ。しかし何度も述べたように、彼らの言う「日本」の概念は、嫌中・嫌韓・嫌左翼・嫌反日・嫌占領体制などの、嫌悪感を喚起させるだけのイメージ用語の「対概念」でしかなく、何ら実体のない空疎なものである。彼らの垂れ流す文章のどこを読んでも、どのように読んでも「これが私たちの日本です」という概念を見出すことができない。それが出来ない以上、表紙のイラストが発散するイメージを対象とするしかないのだ。
 とまれ『日本の息吹』は彼らの機関誌である。その表紙の、毎号飽くことなく繰り返される「日本の風物詩的景色のなかにニコニコ顔の子供たちを配した」イメージこそ、彼らが幾多の敵から守ろうとしている「日本的なるもの」である。こう言いきっても文句は出ないだろう。

『日本会議』の特性 曖昧なイメージ 、曖昧な言葉使い


 平成25年4月号の表紙は、小学校の入学式後の記念撮影風景である。それと対をなすように、平成26年3月号には卒業式の風景が選択されている。
 生徒たちの幼さから見て小学校の卒業式だと判断するのが順当だろうが(ここから話は本題からそれ、どんどん横道に入っていく。お許しあれ)、おや、制服を着用しているぞ、もしかして中学生か? と混乱が生じる。でも、男の子は半ズボンだ、半ズボンなら小学生か? と思いきや、女の子はセーラー服である。小学生にセーラー服はないだろう? と、混乱は続く。それとも、私なんぞのビンボー人にはうかがい知れぬ、ハイソ階級のお受験校か、と思ったりもするが、そうすると一気に時代は現代となり、他の号がすべて「古き良き時代の日本」のイメージで一貫しているのに、ここでその統一感を破ることになる。
 前回、このイラストを引用したとき「気持ちの悪いステロタイプ化」と印象を述べたが、良く見てみると、見る者にそう感じさせてしまうイメージの混濁があるのだ。

 何も好んで揚げ足取りをしているのではない。常々「曖昧なイメージと曖昧な概念で理屈を組み立てることが『日本会議』の特性なのだ」と思っている所へ、こんなものを見せつけられて、ああ、イラストよ、お前もか、と驚いているのだ。
 と、書いている間にまた一つ発見しましたぞ。この絵の上部に記事の標題が三本並んでいるが、その中の一つにはこうある。
  
 「義眼」を外して真実を見よう ―『菊と刀』の呪縛を解く/高橋史朗

 義眼、外して、見る? これはどう考えても、「色眼鏡」を外して見る、でしょう? 「義眼」とは「眼球が萎縮して視力を失った場合や、眼球を失った場合に眼窩や眼瞼の形状を正常な状態に保つ目的で用いられる(Wikipedia)」もの。つまり(とダメを押すのも気が引けるが)義眼とは視力を失った人が使用するもので、装着しようが外そうが、使用者にはもともと視力が無いのだ。障害者に喧嘩を売るつもりなのかね、高橋さん。
 それに『菊と刀』を例題にすることは止めたほうが良いよ、高橋さん。『菊と刀』をごく普通に読み解けば、君たちの言い分の貧困さが余計に際だってしまうぞ。そちらに論点を移すと先に進めなくなるので、今は立ち入らないけれど。
 
 この表紙を描いているのはイラストレーターの竹中俊裕という男。「義眼をはずして」の高橋史朗は教育学者(!)。それに『日本会議』の綱領とか宣言を書いている氏名不詳の男(だろう、多分)。加えて日本国内閣総理大臣安倍晋三。彼らに共通するのは、きちんと筋道を立てたモノの言い方をしないこと、である。曖昧なイメージ、曖昧な言葉使い、曖昧な理屈をつなぎ合わせて、何かを主張しているつもりになっている。
 振り返ってみると、学校でも職場でも地域社会でも、そのような人たちはたくさんいましたね。まこと相手にするのに骨が折れたものだ。無邪気なのではない。何事につけ面倒くさいことが嫌いなだけ、なのである。どんなに重要なことでも「聞きかじり」と「うろ覚え」で済ませてしまう。一所懸命に努力する人にはコンプレックスを隠し持ちながら、揚げ足取りの機会を覗っている。そして不思議なことに、そんなもの同士が仲良くグループを作るのである。(切りがないから、本題に戻る。)

絵に描いたような日本の風景 の実際を探る


 さて表紙のイラストに戻ろう。気持ち悪さは押さえ込んで、もう一度見てみよう。
 小学校の卒業式である。子供たちはきちんと整列して背筋を伸ばしている。誇らしげでありながら、別れの悲しさも押さえきれないでいる。歌っているのは『仰げば尊し』であろう。まさしく「絵に描いたような日本の風景」である。
 ただしこれは「絵」である。日常から切り取った「一コマ」である。この前後には持続的な子供たちの日常が連なっている。その「日常の実際」はどうだったのだろう。それをできる限り正確に復元したい。それには映画が便利である。幸い日本には優れた古典的名画が数多く残されている。

 私たちの年代の者なら、昔の日本、小学校、卒業式、子供たちの歌、とイメージが連鎖すれば、すぐに思い浮かぶ一本がある。本サイト自己紹介のページで「私の好きなもの」をずらりと並べたが、その中に「自転車に乗る女優さん …… ただ一人小豆島の道を行く 高峰秀子」の一行を入れておいた。
 そう『二十四の瞳』(1954年 松竹 木下惠介監督)である。
 瀬戸内の海と小豆島の村や山を背景に、子供たちが学校唱歌を斉唱しながら歩く。新任の先生はモダンな美人。優しくて利発で、旧弊に捕らわれた地域の人たちも心を許すようになっていく。典型的な日本の風景と心情を凝縮させた映画だ。こんな認識が長らく私にはあった。
 後年改めて観てみると、まさにその通りであった。ただし改めて気付かされたことが何点かある。第一に、二十年近く歳月の流れを追った大河ドラマであること。第二に、この映画は〈ミュージカル〉なのだ、ということ。極めて日本的なものであるけれど。この〈ミュージカル〉という切り口で映画を紐解いてみる。

【『二十四の瞳』で流れる二十四曲の歌 】


 最初に『昭和29年度 藝術祭參加作品』続いて『文部省特選映画』『優秀映画鑑賞會 第一回特選作品』と字幕が出る。タイトル・バックに流れるのは『仰げば尊し』。本編は小豆島の風景・風物の描写から始まる。バックはスコットランド民謡の『アニー・ローリー』。
子供たちの一団がこちらに向かって歩いてくる。音楽は『村の鍛冶屋』。歩いてくる子供たちが歌っているのである。字幕が出て、物語が「昭和三年四月四日」から始まることを告げる。
 これ以降この映画では、ほとんど絶え間なく唱歌が流れる。バックに流れる楽器演奏、バックに流れる斉唱、出演している子供たちの斉唱(一回だけソロあり)、と三通りの使われ方をしている。以下、使われている唱歌を出現順に書き出してみる。粗筋は書かないが、曲が出てくる場面だけは簡単に記しておく。同じ曲が何度も使われているので、二回目以降の出現は省略する。ただし映画に熱中すると、メモがお留守になること度々であった。ゆえ漏れとか前後の間違いがあると思うが、ご容赦のほど。

大石先生(高峰秀子)は岬分教場に赴任する。第一学期に出てくる曲は『故郷』『汽車』(ただし旋律は『ちょうちょ』と同じ)『七つの子』『ひらいたひらいた』。
 二学期に入ると『あわて床屋』。怪我をした大石先生に代わって男先生(笠智衆)が教えようとするのが軍歌の『千引の岩』と唱歌『ちんちん千鳥』。ただしこの二曲は生徒たちから無視されてしまい、男先生大いに腐る。子供たちが大石先生のお見舞いに向かう道中で『朧月夜』。
 五年後(昭和八年) すでに満州事変、上海事変が起こっており不況が深刻化している、という字幕。バックは『春の小川』。五年生になった生徒たちは本校に通うこととなり、再び大石先生が担任になる。唱歌も子供たちの成長にあわせて『荒城の月』『港』『讃美歌312番 いつくしみふかき』。
(たぶん翌年の)秋、修学旅行の船上などで『金毘羅船々』『浜辺の歌』『埴生の宿』。
 卒業式。故郷を去る子供たちの乗るバスを見送る大石先生。ながれ続ける『蛍の光』。

 ここで画面は突然出征行列の俯瞰映像となる。幟と手旗の長い行列は軍歌『日本陸軍』を斉唱している。大石先生は教師を辞めており、かっての教え子たちを前にして、ただ泣くことしか出来ない存在になっている。
 さらに八年後(昭和十六年) 思い出の曲として『七つの子』が流れるが、それを押しのけるように軍歌『露営の歌』が割り込んでくる。出征兵士の胸の名札が大写しになり、カメラは顔にティルトしてゆく。これが合計五回繰り返される。みんな大石先生の教え子たちである。大石先生も隊列を見送る一人として日の丸を振っている。軍歌『暁に祈る』。
 さらに「四年後」(昭和二十年) 軍歌『若鷲の歌』で出征兵士を見送る隊列には、かっての教え子たち似た子供がいる。遺骨の帰還。大石先生の夫も戦死。玉音放送にはアイルランド民謡『庭の千草』。以上で全二十四曲。
 
 戦後(昭和二十年) 大石先生は教職に復帰する。軍歌が出現する以前の唱歌がここで復活する。『アニー・ローリー』『朧月夜』『蛍の光』『七つの子』『浜辺の唄』。エンディングは『仰げば尊し』。

日本的情景が消滅したのは何時か、何が日本的情景を抹殺したのか


 もうお分かりいただけたでしょう、山や海を背景に子供たちが文部省唱歌を歌いながら歩くという、日本的情景が消滅したのが何時だったのか、また、抹殺したのが何であったのか。『日本会議』と安倍晋三一派が復帰を渇望している時代と、『日本会議』と安倍晋三一派が復活を試みている思想こそ、まさにそれだ。
 
『日本会議』は「大東亜戦争の敗北」を受け入れることを未だに拒んでいる。また、敗戦後から今日に至るまでの我々の営みを「戦後レジーム」だとして退けようとしている。さらにまた「降伏することは恥だ」と兵士たちをとことんまで追い込み何万という無益な死を強いた、その責任を「英霊」という言葉で不可視化しようとしている。まぁいいだろう。勝手にそう主張するがいい。あくまでお前たちの主張なんだから。
 ただし、そのように主張したいのなら、お前たちの賛美する時代と思想が「日本的なるもの」を徹底的に抹殺してきたのだという事実を、いさぎよく認めよ。あたかも「日本的なるもの」の擁護者であるかのように振る舞うのは、今すぐに止めよ。お前たちは「捏造」という言葉が大好きなようだ。だが、これこそ捏造ではないのか。

 予定では『二十四の瞳』をもう少し詳しく解析するつもりであった。〈ミュージカル仕立て〉になっていること、〈学校唱歌が繰り返し歌われる〉こと、〈重要な出来事が直接的には描かれない〉こと、〈後半、大石先生はただ泣くだけ〉であること、等々。木下惠介がそこに込めた〈意味〉は何か。しかし横道に入りこんだおかげでそこまで書けなかった。次回は、そこから。


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 −−【その2】了−− 『日本会議』の正体を暴く 目次へ