ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
これが意味するところを噛みしめるべきである。
国会議事堂を襲うゴジラ(1954)
ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。これが意味するところを噛みしめるべきである。
四国電力のホームページにある『高レベル放射性廃棄物の処理・処分方法』。「絵に描いた餅」を絵に描いたような代物。
3コマ目「ガラス固化体は当初、表面温度が300度C以上になり、冷却のために30〜50年間安全に貯蔵する」なんて説明意味不明。
4コマ目『高レベル放射性廃棄物地層処理施設』は (計画) でしかないと書いてある。何や、考えてるだけ、かいな。あほくさ。
『電気事業連合会』の作ったグラフ。このエクセルで作ったみたいな下手くそなグラフが原発推進論者のネタらしい。
上のコーピーの一例。だれのコピペかは忘れた。メモする気にもなれぬ。
大島堅一教授 (立命館大学) の作ったグラフ。政府が提出した資料をもとに計算したという。原発、高こついてまっせ、水力・火力の倍でんがな。
米国企業系「ブルームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナンス」(BNEF)のまとめた数値。
風力・太陽光のコストは今後どんどん下がるというから、そのうち原子力が一番高くなるだろう。
小出裕章 (元京都大学教授) が作った『原子力村』の見取り図。
『原子力マフィア』とまで言っている。
「平和のための原子力」を掲げたアメリカ合衆国の郵便切手(1955年発行)
アイゼンハワー国連演説の2年後に発行された。
日本では『原子力平和利用博覧会』なるものも開催された。
この絵は北海道根室の獣医さんのブログからいただいた。
URLは本文(右欄)の末尾にあります。
『東京新聞』 (2015/4/8)
『朝日新聞』(2011/7/31)
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原発推進論 −− 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 その1
(平成28年3月22日)
何を血迷っているのか、関経連
3月9日(水)、大津地裁は滋賀県の住民29人の訴えを認め、高浜原発2基の運転を差し止める仮処分決定を出した。
3月17日(木)、関西経済連合会が記者会見を開きこの決定に難癖を付けた。
『朝日新聞デジタル』から引用する。
《標題》 怒る関経連「なぜ一地裁の裁判官が」 高浜原発差し止め
《本文》 関西電力の高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定を、関西経済連合会の森詳介会長(関電会長)や角和夫副会長(阪急電鉄会長)らが17日、批判した。
角副会長は17日、関経連の記者会見で「憤りを超えて怒りを覚えます」と切り出した。「なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」と述べ、「こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」と訴えた。再稼働で電気料金が値下げされると、鉄道事業の電気代が年5億円安くなるとみていたという。
森会長も同じ会見で、「値下げができなくなったことが関西経済に与える影響は小さくないと考えており、一日も早く不当な決定を取り消していただかなければならない」と話した。
沖原隆宗副会長(三菱東京UFJ銀行特別顧問)も「理解できない」とし、佐藤広士副会長(神戸製鋼所会長)も「(大津地裁のように)裁判がいろんなところで次々に起こり、電気の安定供給に不安が出てくるのではないかと懸念している」と話した。(諏訪和仁)
http://www.asahi.com/articles/ASJ3K514KJ3KPLFA00D.html?iref=comtop_pickup_04
「憤りを超えて怒りを覚え」たのならさっさと反論したら良かろうに、一週間以上も経ってからの記者会見とは、何と間延びした対応か。おおかた「地裁の仮処分など、執行停止とか異議の審理で簡単に覆るさ。福井地裁の前例があるじゃないか」と高を括っていたのに相違ない。ところがどっこい、執行停止と異議の審理にあたるのが、9日の仮処分決定を出したのと同じ裁判長だと分かって(これが16日のはず)急に慌てだしたのではないか。
あるいは関経連の会長が関電だから「何とかせねば」と愚者の集いを繰り返して、やっと記者会見という場を設定したのかもしれない。又あるいは「中央ばかりに任せておかず、関西でも努力しろ」と(永田町だか霞ヶ関だかは知らぬが)ハッパをかけられて、やる気のポーズを示したのかもしれぬ。
こんな風にいろいろと邪推してみたくなるのも、諏訪さんという記者のまとめた十行ばかりの記事から、記者会見の「ぎこちなさ」が伝わってくるからだ。記者は取材したものの、インパクトに欠ける発言ばかりで記事にまとめづらく、仕方なく出席者の発言を羅列してお茶を濁した、と言うのが私の読み方である。
経営者にも脱原発派はたくさんいるはず、なのに ……
「原発再稼働」とは極めてデリケートな主題である。会社とか学校とか地域社会において、うかつには「原発再稼働」を話題にできない、下手をすると自分の居場所を失う、という意味においてデリケートなのである。
人が十人も集まれば、必ず「再稼働推進派」と「反原発・脱原発派」がいるはずである。これが「支持政党は何か」というようなテーマなら、まだ「好み」とか「時流」とか「議員の人柄」とかの要素で緩和される余地が残されている。えっ、あなた支持政党はキョーサントーですか、えっ、そちらはコーメートー、これはまた、意外ですなぁ、あっはっはっ、と笑って済ますこともできる。しかし原発再稼働はそうではない。推進と反対は絶対に相容れることのない対立である。「再稼働か、廃炉か」という二者択一は、その人の世界観・価値観に基づいて選択される問題となっている。世界観とか価値観、つまり〈私の本音〉は、然るべき場所でしか吐露できないものである。だから通常我々は、会社とか学校とか地域社会においては、原発再稼働に関する考えを述べたりはしないのである。
この事情は企業の経営者においても変わらない、と思う。確かに学校の先生やお医者さんや労働組合員などと比べるとその割合は低くなるであろうが、企業の経営者だって「反原発・脱原発派」の人はたくさんいる。私がこう断言するのは、現にそういう人たちをたくさん知っているからである。関経連の構成員だって同じ事だろう。ただ関経連の内部で「反原発・脱原発」を口にしたって、失うものはあっても獲得するものが何もないから黙っているだけ、なのだ。関経連という場所は、企業の利害に関わって存在する組織であることがはっきりしていて、〈私の本音〉を述べ合うような場所ではない。
17日の記者会見で雁首並べたお歴々だって、自分たちの組織の構成員には様々な考えの人がいることを知っているはずである。知っていながら、まさか表立って反対するヤツはいないだろうと、「関経連として」仮処分批判の会見を行っているのだ。「構成員の全体に諮る」というような手順を踏んだとは思えない。
自分たちが「時流」におもねるのは勝手だ。しかし暗黙の了解で構成員全員の意志を「時流」に屈服させるという手口は愚劣である。お歴々は自分たちの愚劣さに気付いているはずだ。だから会見は、威勢の良い演説とならず、ぎこちない喋くりに終始したのだ。
阪急も地に堕ちたもんだ、逸翁も泣いておられるぞ
気持ちが及び腰である分、口調は勇ましくなり、言ってはならない事を言ってしまている。社会的に責任のある立場の人なら、踏み込んではならない領域に踏み込んでいる。気付いているのだろうか?
「なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」とはよく言えたものだ。これ、べらんめえ口調に翻訳すれば「地裁の裁判官ごときが国の御政道に楯突くな」となる。いいのですか? 三権分立などくそ食らえ、と仰っているのですよ! 「こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」に至っては、かっての『国家総動員法』と同じものを作り、万事政府の決定どうり進めよ、反対意見など抹殺できる体制にせよ、と言っているのだ。
この角和夫という男、阪急電鉄の人間じゃないか。阪急電鉄? おまえのとこ、客商売じゃなかったのか? 電車や百貨店の利用客の約半数が「反原発・脱原発派」であろうことを考えてもみなかったのか? それとも食料品や日用品のメーカーではないから不買運動など起こるまい、と考えたのか? 「電気代が年5億円安くなるとみていた」だと? それなら聞くが、高浜再稼働の時点で「運賃を値下げします」とでも言ったのかよ! これだけ原油価格が下がれば、お前たちが掲げているコスト比較表(左欄に二例あり)を基準にしたって火力の方が安上がりのはずだ。ただ原発を再稼働させたいだけの屁理屈の上塗りを止めよ。「憤りを超えて怒りを覚え」るとまでいうのなら、沿線に原発を誘致してその側に分譲住宅でも作れ。一棟だって売れはしないぞ。原発を「自分の問題として考える」とはそういうことだ。
企業の、それも巨大企業の経営者なのだから保守主義者であって当然だろう。しかし会社名の末尾に「 …… ホールディングス」が付くようになってから、彼らはごく当たり前の経営感覚を喪失してまったように見える。その代わり不勉強と傲慢さという気質を獲得したようだ。お客を大事にするから企業は儲かるのだ。中央権力におべっかを使ったって一銭の儲けにもならないぞ。安倍晋三の下手な口真似は止めて、一度小林一三氏の墓掃除にでも行って、墓前で先達の声を聞くことをお勧めする。関西に住む者ならたいてい逸翁のことを知っている。不勉強な私だって多少のことは知っている。彼は一貫してお客の心を凝視していたと思う。喜怒哀楽をもった生身の人間としてのお客を。
原発推進派の屁理屈を類型分類してみる
関経連の雁首はさておき、次に典型的な原発推進論を取りあげて、より具体的に批判を加えて行こう。と思って幾つか当たってみたのだが、どれもこれも似たり寄ったりでなかなか一本に絞れない。そこでまず原発推進論を開陳している人たちに共通する特徴を列挙してみよう。気付いたそのままを並べていくので、あまり厳密なものにはならないだろうが、呆けた理屈に大まじめに向かうのも疲れるばかりだし、その程度の力の入れ具合でちょうど良いだろう。
では、屁理屈の類型分類、スタート。
1、反原発・脱原発を主張する人たちを馬鹿扱いして蔑む。
「原子力というだけで過剰にアレルギー反応を起こす」とか「原発というだけで反対する」とか言う風に。本人たちは「反原発・脱原発派」に限定して馬鹿扱いしているつもりだろうが、実際は「人間全体」を見くびり卑しめていることに気付いていない。
2、それに対して自分たちは、現代日本の置かれている状況を総合的に踏まえて原発の優位性を主張しているのだ、と威張る。
「発電コストの低減、技術力の維持向上、地元社会への貢献などを総合的に判断して」とか「日本の産業が国際的競争力を失ってはならない」など。何だ、書店で平積みされている色刷りペラペラ『ビジネス書』のタイトルを並べただけじゃないか。時折、アダム・スミスだとかマックス・ウェーバーとかの名前をあげるから、オヤッ、と思うけれど、彼らがそんなこと言ったかしら(?)と首をかしげざるを得ない引用となっている。下手な要約をしたネタ本に頼るから、そんなことになる。
3、安全性に関しては他人の説の受け売りである。
それも十分に読み込まず、聞きかじっただけで満足しているようだ。なるほどと思わせる具体策は無く、どの項目も「万全の管理体制を敷く」に行きつく。つまり「担当者が必死でがんばる」と同義である。工場や現場で安全対策に苦慮した者なら、何重にも安全対策が必要のモノほど危険なのだと知っている。本当に安全なモノとは、何の安全対策もいらないモノのことである。
4、廃棄物処理に関しても他人の案の受け売りである。
驚かされるのは救いがたい楽観主義である。汚染物質は再処理して容量を減らし、固めて、地中深く埋め、30年だか300年だか監視するんだそうな。至る所で、漏れたり、垂れたり、溢れたり、している事は何も言わない。何人寄っても「もんじゅ」は動かず、止まったままで二十年。
5、人を納得させるに足るデータを示さない。
6、自分で検算しない。
電力会社とか外郭団体とかが、水力・火力・原子力など種類別の発電コストを発表している。原子力が他よりほんの少しばかり安上がりな棒グラフに仕上げてあるが、あんな下手な作文を誰が信用するものか。原価計算という仕事に取り組んだ専門家でなくとも、ごく普通の会計処理のイロハを知っている者なら(つまり、勤め人でも経営感覚をもった人なら誰でも)、製品の品番別製造原価などはかなり恣意的に(企業の言葉で言うなら、戦略的に)算出されることを知っている。全社的に発生する費用や償却費負担などをどの様に割り振るかで結果は大きく変わってくる。
さらに原発に関して言うなら、本来なら製造コストに含めるべきものが、多項目に渡って除外されているのではないか? いわゆる『原子力村』の維持にかかるコスト、地元への補助金、事故処理の費用や補償費、廃炉や核廃棄物処理に関わる費用、等々のうち、どれだけが費用として計上されており、どれだけが電力会社の負担になっており、どれだけが原発発電のコストに加算されているのか、さっぱり分からぬ。金額的補償の対象にすらなっていない被害も膨大なものである。
これらすべてを見ないことにして、まるでスマホの契約コースを右左見比べるように、ほら原子力の方が安上がりですよ、といっているのが原発推進派である。
7、官僚・設備メーカー・電力会社からなる『原子力村』に言及しない。
原発が停止できない最大の理由は、『原子力村』を存続させたいから。ただこれだけである。官僚支配の国においては、新しい組織を作ることはとても簡単である。自分たちの居場所を増やすことに反対するヤツいない。最初はほんの少し予算を配分するだけで良い。しかし「今年存在している組織を、来年は止めにすること」はひどく難しい。組織間の相互扶助原則を壊すような動きを一切しないのが官僚機構である。安倍はそのためにこき使われているに過ぎない。
8、原子炉の維持とは核兵器製造能力の維持でもある、という歴史的事実に言及しない。
原始、原子力とは原子爆弾のことであった。「原子力の平和利用」と言いだしたのは米大統領のアイゼンハワーである。これは核兵器の開発競争に歯止めをかけようとしたものであったが、その後世界は「核の抑止力」によって危うい均衡を保つ冷戦時代となる。そして原子力発電所は「人類にエネルギーの恩恵を与える」という幻想を振りまきつつ「核の抑止力」の後方部隊に位置づけられた。つまり「原発を稼働できる」とは「原爆を作る能力を保持する」ことなのである。一旦緩急あらば、即、平和利用から軍事目的に先祖返りする。これがどの国も原発を持ちたがる理由である。
9、万一他国と交戦状態となった場合原発は真っ先に攻撃対象となること、に言及しない。
「国内の原発が戦争やテロなどで攻撃を受けた場合の被害予測を、外務省が1984(昭和59)年、極秘に研究していたことが分かった。原子炉格納容器が破壊され、大量の放射性物質が漏れ出した場合、最悪のシナリオとして急性被ばくで1万8千人が亡くなり、原発の約86キロ圏が居住不能になると試算していた。研究では東京電力福島第一原発事故と同じ全電源喪失も想定していたが、反原発運動が広がることを懸念し公表されなかった。」『東京新聞』(2015年4月8日)
同じ内容は、『朝日新聞』(2011年7月31日)でも報道されている。
このように原発は戦争時に攻撃対象になるというリスクがある。にもかかわらず安倍らは原発再稼働に躍起なっている。何故このような矛盾した行動がとれるのか? じつは心底では「日本が攻撃されることない」という安心感に浸っているからである。そう考えないと辻褄が合わない。ならば、昨年彼らは「他国からの侵略危機、日本防衛の必要性」を強調したが、それは嘘だった、ということになる。『安全保障関連法案』を成立させるための〈扇動〉でしかなかった。「原発再稼働への突っ走り」は「安全保障関連法案必要性の嘘」の証明になっている。話はややこしいが、安倍の政策が混乱しているから、そうなるのである。
でも戦争は起こらなくとも、テロの危険が無くなるわけではない。高村薫さんの『神の火』(1991年)を思い出す。あの本では、たった二人の男が易々と原発に侵入し、プロメテウスの火を解き放つのだ。
10、福島原発事故に関して、安倍晋三の責任追及をしない。
2006年第一次安倍内閣のおり、共産党の吉井英勝衆院議員が国会で、日本の原発の約六割はバックアップ電源が二系列しかなくしかも老朽化していることを指摘し、調査と対策を求めた。しかし安倍は「地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、
…… 経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているものであり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである」と、その意見を一蹴した。吉井氏の提言は一回きりのものではなかったようだ。私が調べた限りでも合計三回行われている。安倍はそのすべてを退けている。しかし周知のように、福島では津波ですべての電源が喪失し、あの大惨事に至ったのである。
11、やたら横文字の術語を使いたがる。
関係している会社組織や本人の肩書きも横文字であることが多い。彼らが原発推進を語りたがるのは、時代の権力中枢に寄り添い、時代の本流の中にいると偽装して、自分が代表者である泡沫的コンサルティング会社に箔を付けたいがためである。実力を持たない者がやりそうなことだ。
準備運動はすんだ。さて、どいつを取りあげようか?
左欄の獣医さんのブログは
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