ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。









































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原発推進論 −− 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 その5                      (平成28年4月28日) 


 原発再稼働の是非を考えるのに「専門的知識」は不要である。
 それは我々の生得的な才能である直感的明晰さを曇らせるだけのものである。

 と、書き出して、これは随分と乱暴なモノの言い方だな、と自身たじろぐ。知力を標榜する当サイトの趣旨とも相容れないのじゃないか。でも福島原発事故以来、専門家とか有識者とか称せられる人たちが一体どの様な働きをしてきたのかを顧みれば、専門的知識は不要、と言い切ることこそ正しいように思えてくる。確かに我々は、原子炉の中の核分裂反応や放射能の半減期といった物理学上の議論をしているのではない。原子力発電が「事業として」行われていること、それが未曾有の災いをもたらしていること、そのことの是非を問うているのだ。液晶テレビの組み立て方や食パンの焼き方を知らなくても、事業者としてのシャープやヤマザキを論評することは出来る。これと同じ事ではないのか。必要なのは、ドグマに侵されることのない無垢な精神。それに加えるに、ごく当たり前の常識だけだ。
 しかしこれから述べようとする内容は、この常識の抑制が効いたものではない。専門家とか有識者とかに対する憎悪と侮蔑が膨れあがって制御できない状態になっている。その憤りをも含めて、専門的知識は不要、と言っているのだ。

有識者とは、原発再稼働の是非を
            活断層の有る無しにすり替える人たちのことである

 

 例えば、原発再稼働をめぐる「活断層」議論。一体、あれは何だ。
 大飯原発を例に取ろう。経過を時系列にまとめるのも面倒なので、ネットから『日本経済新聞』の記事を引用する。

( 2014/2/12 )
見出し: 大飯原発「活断層でない」、規制委が報告書了承
本文 : 原子力規制委員会は12日、関西電力大飯原子力発電所(福井県)の敷地を横切る断層について、「活断層ではない」とする報告書を了承した。この問題をめぐっては有識者らが昨年9月、活断層の疑いはないとする「シロ判定」の見解を示しており、今回で最終的に評価が確定した。大飯原発の再稼働に向け最大の障害が取り除かれることになる。
 同原発の活断層問題に関しては、規制委が選んだ有識者らが2012年11月から現地調査や協議を重ねていた。一時は見解が分かれたものの、断層のずれ方や地層に含まれる火山灰の年代などを詳しく検討した結果、問題の「F―6」断層は「将来活動する可能性はない」との見方で一致。調査に加わっていない第三者の専門家による検証も経て、活断層説を否定する結論となった。
 原発の稼働の是非を判断する新規制基準は、地震や津波の対策を強化する一環として原発の地下構造の詳しい調査を義務付けた。また重要施設を活断層の上に造ることを禁じている。
 大飯原発では、重要施設のひとつである非常用取水路の下をF―6断層が横切っており、この断層が活断層と認定されれば大規模な改造を余儀なくされ、当面は運転が認められなかった。
 関電の大飯と高浜原発は、九州電力の玄海と川内原発、四国電力の伊方原発とともに、再稼働に必要な規制委による審査の進捗で先頭集団に位置している。活断層の疑いが晴れ、関電は断層調査のために掘った試掘溝(トレンチ)を埋め戻す作業に着手。再稼働に向けた準備を加速する。


 だんだんと読むのが嫌になる文章だね。おやおや、いつの間に『原子力規制委員会』は『原子力推進(●●)委員会』になったのだろう。ここで言う「有識者」とは、確か五人のオッサン連中だった。当初は、「活断層がある」派の渡辺・広内組と、「活断層は無い」派の岡田・重松組、この551蓬莱の豚まん的対立に加え、よく分からないの島崎、それに「あれは地滑りだ」の関電が入り乱れての、チィチィパッパ、雀の学校状態だったそうな。飲み屋で刺身をつつきながら「活けだ」「養殖だ」とがなりあっている図と変わりない。恥を知れ。


 【写真A】
  大飯原発の航空写真 Googleマップより
  谷部分に黄色の線を入れた










【画像B】

切り土・盛り土 と 地震による揺れ
『岡村土研』さんのホームページからいただきました








 関電は溝を掘ったらしいが、グーグルの航空写真を見るだけで結論は出せる。3号機(だろう、東から数えて)の東側を南北に貫通する谷がハッキリと認められる。【写真A】 敷地の大部分は丘の凸部分を「切土」しているのに対し、この谷を跨ぐ凹部だけは「盛土」して平坦化している。地震があれば「盛土」部分が文字通り「盛大に」揺れるのはジョーシキである。【画像B】 土建屋や不動産屋なら入社したての営業見習いだって知っている。活断層であろうが無かろうが、地滑りであろうが、そんな定義・命名はどうだっていい。盛土で谷を埋めたような所に原子炉などあってはならんのである。
 「重要施設を活断層の上に造ることを禁じている」という文言をその趣旨にそって理解するなら、「地震の際、より激しい揺れが想定される所には重要施設を造らない」と言うことであろう。それを「より激しい揺れが想定される所でも、それが活断層の上でないならば重要施設を造ってもよい」という風に曲解している。原子炉を存続させるや否や、という判断責任を「新規制基準」の側に投げ打っている。完全な責任放棄である。いや、そもそも「新規制基準」という代物じたい、そう曲解させることを前提として作られたものかもしれない。いわば自作自演の判断責任抹消プロセスと言うことか。
 「活断層」の「活」という接頭辞に注目しよう。動員するのは常識だけである。すぐに思いつくのが学校で習った「活火山」「休火山」「死火山」の区分である。これらすべて「火山」であることに変わりはない。人類がその火山活動を確認したかどうか、だけの区分である。たとえ「休火山」「死火山」であってもいつ何時ドカンと来るか分からない。それが確認できるほど人類史は長くないのだ、自然に対して謙虚になれ、と学ぶ者のモラルまで教わった。チョロっと溝を掘って、これは活断層だとか、そうでは無いとか、よく言えたもんだ。いつからそんなに傲慢・尊大になったのだ。責任放棄のヘタレのくせに。

 有識者とは、数値データをもてあそぶだけの人たちのことである


 「原発再稼働の是非」を「活断層の有る無し」にすり替えた原子力規制委員会と有識者たちは、フクシマにおいては「被曝量年間20ミリシーベルト」という数値をこねくり回して、汚染区域は安全であるという虚妄を振りまこうとしている。有識者たちは学者的な外見までなぐり捨て、権力の走狗と成り果てた。

 「年間20ミリシーベルト」という数字は、2011年の原発事故直後、政府が避難区域の線引きのため用いた暫定値であった。断じて、人が常時浴びて良い放射線量という意味ではなかったはずだ。学校の放射線基準を年間1ミリシーベルトとするよう主張したのに採用されなかったとして、小佐古敏荘氏(東大教授)が内閣官房参与を辞任したのは、この時だった。小佐古氏はもともと原発推進派の学者で、だからこそ内閣官房参与にもなったのだろうが、彼でさえ生身の人間に対しては「基準は年間1ミリシーベルト」と主張していたのである。


  記者会見する小佐古敏荘氏                 原子力規制委員会の提言を伝える『福島民報』(2013/11/09)

 それから二年半経過して、避難区域への帰還という課題に取り組まざるを得ない時期となる。するとどうだろう、原子力規制委員会と有識者たちは、突然、年間20ミリシーベルト以下なら安全だ、と言いだした。『サンケイ』の記事から引用する。

(2013/11/8)
見出し: 追加被ばく「年間20ミリ以下」で影響なし 規制委、住民帰還で提言へ
本文 : 東京電力福島第1原発事故で避難している住民の帰還に向け、放射線防護対策の提言を検討している原子力規制委員会が、年間の追加被ばく線量が20ミリシーベルト以下であれば健康に大きな影響はないという見解を提言に盛り込む方針を固めたことが8日、分かった。放射線防護対策を議論する11日の検討チームで提言案を示し月内にもまとめる。提言を受け、政府は住民帰還に向けた具体的な放射線対策を年内にとりまとめる方針。
 国際放射線防護委員会(ICRP)は原発事故のような緊急事態後の段階では、住民の被ばく線量を年1〜20ミリシーベルトにする目安を示している。田中俊一委員長も住民が不慣れな避難先でストレスを抱えて病気になるリスクもあるとし、「年20ミリシーベルト以下であれば全体のリスクとして受け入れられるというのが世界の一般的考え方だ」と述べていた。
 政府は事故後、年20ミリシーベルトを基準に避難区域を設定。ただ、除染の長期
目標は年1ミリシーベルトとし論議を呼んでいた。規制委は国際基準を再確認し提言案に盛り込む。

 この記事は何度読んでも良く分からない。すっきりしない。その理由は「じゃあ一体、年間何ミリシーベルト以下なら安全なのか」という焦点の部分が曖昧なままだからである。曖昧さが際立つのは「国際放射線防護委員会(ICRP)は原発事故のような緊急事態後の段階では、住民の被ばく線量を年1〜20ミリシーベルトにする目安を示している」という部分である。ここが最も不可解だ。確かに日常会話でも、数値を限定せず幅を持たせた言い方を良くする。二・三日中にご返事します、八割方完成しています、十五・六歳の少年、という風に。この数値幅の常識的感覚から見ると「1〜20ミリシーベルト」という数値の並びは異常である。上下の幅が開きすぎだ。
 もし20ミリシーベルトまで許されるのなら「20ミリシーベルト以下」と言い切ればよい。時と場合という条件で変わりうるというのなら「15〜20ミリシーベルト」という風に含みを持たせても良い。それと比べると「1〜20ミリシーベルト」という表現は常識的な数値感覚からずれている。何か事情があるはずだ。

 小出裕章氏はこの規制委員会の見解を批判する際、ICRPの勧告数値はこんな風に読むんですよ、と噛んで含んで説明している。私なりにまとめるとこうなる。

1、被曝はどんなに微量でも危険がある。
2、しかし原発事故を起こした日本に住む以上、多少の被曝は我慢しなければならない。その限度が1ミリシーベルト。
3、原発の事故処理や研究活動であえて被曝量の多いところで働かねばならぬ人たちもいる。その人たちは、被曝量の多いところで働くことを承知でその対価を得るのだから、我慢の限度は上昇する。この場合でも20ミリシーベルト。

 明快ですね。被曝量の多いところで働くことを自覚的に選択した人には別の基準値が必要だ、それをあえて設定するなら20ミリシーベルト、ということなんですね。20ミリまでは大丈夫、なんて言っているのではない。住民一般には適用できない数値だ。
 そこを原子力規制委員会は、ねじ曲げて、ぼやかして、自説の根拠に据えようとした。サンケイは原子力規制委員会と連んでいるから、このねじ曲げとぼやかしをそのまま踏襲している。だから何度読んでも良く分からない記事を書く。

放射能被曝に関しては、専門家など存在しえない


 ここでハッキリさせておくべきは、原子力規制委員会であれ有識者であれ、放射能被曝の人体への影響というテーマに関してはICRPの数値を読む以外に仕事は無い、ということである。
 そもそも、生活環境とか薬物が人体にどの様な影響を及ぼすか、という研究はどの様な手順を踏んで行われるのか。専門家・有識者なんて言葉に惑わされず、常識に立ち戻ってみよう。まずはデータ収集でしょう。その中から傾向を読み取り因果関係を想定する。次に再現実験。相当量の検体を何グループかに分け、環境・薬物の投与量などの組み合わせを変えて経過を観察。検体は、多数が確保でき成長の早い小動物から始め、次第にほ乳類に近づけていく …… 。こんなイメージで大過は無いだろう。でもこんなプロセスを「放射能が人体に及ぼす影響」というテーマに適用できるわけがないでしょう。人間はエンドウ豆とかショウジョウバエとは違うのだ。
 ICRPだって基準数値を策定する作業は、ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ等の過去の不幸な事例で残されたデータを読み解くことが基本となっているはずだ。これは苦渋の作業である。だから示された数値の風貌にもそれが現れる。小出さんはそれを理解しているから、このように読み解きをした。これが学者の良心というものだ。規制委員会の有識者どものやり方は正反対である。その苦渋につけ込んで数値だけを取り込み、自説の援用に悪用する。火事場泥棒のやり方じゃないか。

 「放射能が人体に及ぼす影響」というテーマに関する限り、専門家などというものは存在しえない。原子力規制委員会なんぞは、ICRPから出された数値に無理な意味を読み込もうとしているだけだ。
 その "現の証拠" を確認しよう。原子力規制委員会は立派なホームページを開設している。定例の記者会見は速記録にしてPDFに、映像記録はYouTubeとリンクさせてある。(なんぼほど銭使うたら気ぃ済むんや、お前ら) その中から2015年10月28日の映像記録を選んで見てみよう。上記の提言からさらに2年経っている。少しは「20ミリシーベルト」の屁理屈が増しになっているのか、ご確認いただきたい。
 これを選んだのは『みんな楽しくHappyがいい』さんというブログが、この規制委員会田中俊一委員長の答弁を、彼が発言したそのままを文章に起こしてくれているからです。記事の末尾に、それをコピペさせていただきます。OurPlanet-TVの白石さんという人の質問に答えた部分ですが、もう、しどろもどろ、何を言っているのか皆目分からない。20ミリで安全、と提言した張本人が、安全かどうかは個々人が判断すべき事だ、なんてもう支離滅裂。ただただ自分の発言から言質を取られまいとする保身願望だけでそこに存在しています。タイミングは16:10あたりから、それまでは大手新聞社の記者とのなれ合いで気持ちが悪いだけです。それに開始部分は4分を過ぎるまで、タイトルが映るだけ。50年前の大作映画みたいに格好つけてます。
 https://www.youtube.com/watch?v=UAV07uZH6Ow


『みんな楽しくHappyがいい』さんが文章に起こしてくれた答弁

 えっとですね、まずその前に「現存被ばく状況」という考え方ですよね。
 で、いまその?、国際的にはこういった、原子力事故などが環境を汚染する事故が起きた時には、そういう、ま、フィールドで生活するということについて、どの程度のレベルで放射線被ばくの影響をリスクを考えるべきかということなんで。
 で、それで実際に、その、放射線被ばくによるリスクです。
 別に20mSv、年間20mSvだから影響があるかどうか?ということについては、あんまり定量的な実証データは無いとは思いますけれども、まぁ、いろんな国際的ないう、ま、専門家は「20mSv以下であれば」っていうこと、です。
 それはどういうーーー根拠に基づいているか?というと、その、ま、
 「避難することによって受ける他のリスクもいっぱいありますね」っていうことですよね。
 あのーー、だからそういったいろんなことを勘案してその程度で。
 ただしこれはあくまでも参考レベルだから、「1から20の範囲内で、その時に置かれている状況を踏まえて住んでいる方たちが主体的にそれを判断して決めるのがいい」ということなんです。
 で、生涯1000mSvというのは、前のICRPの勧告で出てるなので、出てるんですけれども、日本はまだ取り入れていません。
 ま、そういうことで50年の、ま、生涯線量として年間20ミリっていうのも出てきてるのかなと思いますけれども、あのー、ま、それは事実としてそういうことがあるということです。
 それで南相馬で申し上げたのは、参考レベルの範囲内で数年間少し、1mSvを超えるような状況があったとしても、それがずーっと続くんではなくて、できるだけ速やかに線量を下げる努力をしながら、いや、せ、ま、下げる努力をしていけば、生涯線量という考え方からすれば、その一部を、ま、ある意味じゃ、ま、使ってしまうという…少し。
 他の、ここの、こういうところにいる方よりは少しそういう点で、あの、何年間かの間に少し余分な被ばくを受けるという、そういうことで申し上げたんです。

『みんな楽しくHappyがいい』
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4400.html


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 −−【その5】了−− 原発推進論 ーー 不勉強を傲慢さで補う屁理屈 目次へ