ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。













「る」類を以て集まる、の例
橋のたもとで、やくざ風情の男が、
諸肌脱いで凄んでいるところか?

『新版いろはたとゑ廻双六』
(しんぱん いろは たとえ まわりすごろく)
(国立国会図書館所蔵)
京かるたの絵札を並べて双六に仕立てたもの。それの「る」の段。

全体はこれ。識別できるかな?

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高田保の似顔絵(清水崑 作)

あるサイトに『ブラリひょうたん』が少しばかりアップされていた。一つだけコピペさせてもらいます。
「闘争」
 けんかに哲学は役立つまい。選挙に知性はどんなものか? 闘争という言葉がしきりに使われるが、それだとしたら頭よりも勇気、精神よりも押しの強さということになる。
 条理だった賢明な演説は人を感心させるが感動させはしない。だから選挙のときには効果がないのだそうである。この前のとき私はある候補者が壇上で、ワイシャツの胸を開き毛むくじゃらを会衆に示しながら「さあここで諸君と命の取引だ。この命売ります。どうぞご投票を願います」とやったのを見て成程とおもった。会衆は感心しなかったが感動したのである。ゆうゆうたる成績で彼は当選した。街頭で「命売ります」の看板をかけた失業青年よりもこの代議士の方がこの商売では先手だったことである。
 選挙戦術で最も大切なことは相手が群衆だという事実である。群衆に知性はない。この説に対しては早速抗議が出るかもしれぬが、むかし映画が活動写臭といったころの有名な弁士が節回しよろしく「月は泣いたかロンドンの花ふりかかるパリの雪」という文句を語ったものだった。場内のだれもがうっとりと酔ったように聞きほれていたものである。これは群衆だからであって、必ずしも無知な連中だけが集まっていたというわけではない。反省してみたまえ。立派に知性の持主である君自身が、芝居小屋の中に入ると下らん新派劇に泣かされて帰ってくるじゃないか。群衆の一人となったからである。
 群衆を説得しようとおもったらイソップ物語がいい、哲学は全く不要である、といった哲学者が西洋にいる。事実あるときのいきり立った国民をなだめるためにローマの執政官はその手を用いた。胃袋だけがうまいしるを吸うのに憤慨した手と足がストライキを起こしたところ、たちまち衰弱して手も足も動けなくなったという今も有名なあのおとぎ話である。なるほどあの「命売ります」の演説も立派におとぎ話だったわけである。
 ある人が来て、今度の国会は国会でなくしてもらいたいものですなといった。同感ですなと私は答えたのだが、現在のような選挙でそれを望むことができるだろうか。闘争的気配が濃くなるらしいのを見ると、さらに国会的なものが出来上がるだけだという気がさせられる。これを防ぐためはに、いかにも国会議員らしい人物には投票するなという運動を起こすより外はあるまい。

前後の記事から、1948年(昭和23年)頃のものだと思われる。「群衆に知性はない」なんて言い切ってます。過激ですね。これ新聞連載のエッセイだったのですよ。
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→【註2】




















































ウラディミール・ホロヴィッツ

ピアニストには3種類の人間しかいない。ホモか、ユダヤ人か、さもなくばヘタクソだ。
これは、ホロヴィッツが言った、と伝えられているジョークである。ユダヤ社会には、自らに向けられた偏見や架空のイメージでさえ、ジョークとして取り込んでしまうほどの強かさがある。
元谷が、「歴史を含む学問の世界」なんて威張りながら展開しているユダヤ陰謀論なんぞは、とっくの昔にユダヤジョークに取り込まれている。次を読まれよ。『良いニュース』と題されたユダヤジョークである。

 シモンは公園のベンチに腰をかけて反ユダヤの新聞を読んでいた。そこに彼の友人が通りかかって、その様子を見て驚いた。
「シモンじゃないか。どうして、そんな反ユダヤの新聞なんか読んでるんだい。ユダヤ・クロニクル紙を読むべきだよ。」
 シモンは答えて言った。
「ユダヤ・クロニクルを読むと世界の国々で起こっているユダヤ人に対する迫害のことやイスラエルで起こっている色々な問題について書いてあるだろう。でも、この反ユダヤの新聞を読むとな、良いことがいっぱい書いてある。ユダヤ人はすべてのお金を握っているとか。ユダヤ人は銀行を支配しているとか。ユダヤ人は報道機関を牛耳っているとか。ハリウッドはユダヤ人の手の中にあるとかね。やっぱり、良いニュースを聞くのは一番さ。」


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→【註3】




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『改憲論』および『改憲論者』の徹底的批判 −− その14
                   平成29年02月23日



また、お前か! 長谷川豊!!


 2017年01月18日
 いいぞ! 元谷外志雄会長! APAの対応は何一つ間違っていない。
 またもどうしようもない「戦後の大ウソ教育に洗脳されきった」変なコメントやサヨクメディアの論調が目立つな〜と思っていたら、見事、元谷会長がはねのけたので拍手を送りたいと思います。
                     −−−『本気論 本音論 長谷川豊公式コラム』より


 元谷外志雄の「南京虐殺はなかった」発言に、そうだ、そうだ、その通りだ、とはしゃぎまくる御仁がたくさんいるが、その中でも、これの浮かれ具合は尋常でない、と思ったら …… 、
 ぅん? 長谷川豊? 何だ、また、お前か。懲りない奴だ。
 いろはかるたの「る」、類を以て集まる、の絵札に使えるぞ、お前ら二人。

 長谷川よ、確か、お前、出張旅費をちょろまかしたのがバレて某テレビ局を辞めた、アノ長谷川豊だよな? えっ、そんな古い話を持ち出すな、だと? まぁ、いいだろう。出張旅費なんて、どれほど水増ししたって、たいした金額にはならない。ここでとやかく言うほどのことでもあるまい。
 だが、お前の性根が腐りきっているのは、後になってからグスグズと自己弁護を始めたことである。自分は潔癖である、どこにもやましいところは無い、と言うのなら、放送局を辞める前に言うことだ。ほとぼりが冷めた頃を見計らって、お咎めの及ばぬ位置に退いてから、あれは、ああだった、こうだった、と弁明を始める。いまさら相手は反論しないだろう、と読んでの行為じゃないか。形容する言葉が見当たらないほどの愚劣さである。確信犯的「根性なし」としか言い様がない。

 だが長谷川よ、"SEALDs"が解散したとき、お前は、汚い言葉で罵った。この連載の『その2』でねんごろに批判しておいたが、こっちの方は今でも許せない。
 その後、お前は、事もあろうに、人工透析患者を殺せと、言った。これはもっと許せない。
 そんなお前が、元谷の「南京虐殺はなかった」発言に大喜びしてはしゃぎまくるのなら、一度、コテンパンに叩いてやる。



架空の敵を捏造して、無限の憎悪を吐出する。これが長谷川豊のすべて


 2016年9月19日
 自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!


 あちこちから叩かれて渋々この見出しの記事を削除したらしいが、しつこく弁解を繰り返すのは、出張旅費ちょろまかしの時と同様である。その弁明も削除したらしいが、ウェブ魚拓というサーヴィスがあるらしく、お前の発言はネットのあちこちに散在していて、イヤでも目に止まる。見るだけでも悍ましいが、引用しておこうか。

 2016年9月20日
 自堕落な生活を送り、暴飲暴食を繰り返し、身体検査でも引っかかり、医師から繰り返し注意されているにもかかわらず、何一つ改善せずに、何一つ真剣に聞き入れずに、繰り返し更なる暴飲暴食を繰り返し、さらに医師たちから厳重に注意されても、運動一つほとんどせずに … 挙句に、人工透析患者になったハナクソ同然のバカ患者が年間500万円の治療費を全額税金から支給されてタダで受けられ、障がい者1級に認定され様々な恩恵を全部「税金で」支給され挙句に障がい者年金まで支給されている、という現実に対して、おい、おかしいだろ、と。おい、狂ってるだろ、と。


 こんな言いぐさを、お前は、こんな風に自己解説している。
一部のモンスターペイシェントに対しての怒りをコラムにぶつけた」だけ、だと。

 笑わしてくれるじゃないの、長谷川さん。「 …… に対して怒りをぶつける」なんて、お前の大嫌いな「戦後の大ウソ教育に洗脳されきったサヨク」の常套句ですよ。アメリカ兵が「鬼畜米英」と叫んで突撃を繰り返す映画を観るようで、漂う違和感が尋常ではない。
 使えるモノなら何でも使う、というのなら、お前は単なる無節操者だ。
 サヨクの常套句であることを知らなかった、と言うのなら、サヨクのこともよく分からぬままサヨクを批判しているわけで、お前は無鉄砲な馬鹿である。

 長谷川よ、お前は、"SEALDs"の主張や行動から何のメッセージも受け取らなかった。そのかわり、彼らを「煽動された一部の若者」と貧しく規定し、嘲笑の対象とした。同じように、人工透析患者の現実を何も見ることなく、人工透析患者を「自堕落な生活の結果」であると決めつけ、憎悪の言葉を浴びせかけた。
 こういう操作を、日本語では「捏上(でっちあげ)」と言う。
 「一部のモンスターペイシェント」ですと?
 誰のこと、それは?
 何処にいるの、そんな人?
 見たことも、会ったこともない人たちを、あたかも実在するかの様に想定し、その存在が「日本を亡ぼす」と恐怖感を煽り立てる。長谷川よ、お前の言動は、あの軍国主義下の「非国民のあぶり出し」と同じだ。お前こそ「大虐殺」を実行しうる心理的根拠の体現者であると思い知れ。

 「でっちあげ」で思い出したのだが、むかし高田保という劇作家がいた。私が物心つく頃にはすでに故人であったので、正直言って彼のことは良く知らないのだが、『ブラリひょうたん』という新聞コラムがあったことをわずかに覚えている。それが単行本になったものが一冊、我が家にあったのだ。その『ブラリひょうたん』のなかに、こんな一文があった。探してみたら、小学館『日本国語大辞典 精選版』の「でっちあげ」の項に、例文として引用されているのが見つかった。半世紀ぶりの再会である。

 『でっち上げ』は右翼の方策だそうだ。『つるし上げ』の左翼手法といい対照になるが。

 どうです。大笑いでしょう。半世紀以上も前の、たった一行が、長谷川の本性を言い当てている。現在は言葉の本質的な意味で、右翼も左翼も存在しえない時代である。だから、「でっち上げ」も「つるし上げ」も半ば過去の亡霊となった、と思っていた。しかるに、元谷とか長谷川とかが、セッセと「でっち上げ」の甦生を画策している。
 長谷川よ、たまには国語辞典ぐらい読んでみたらどうか。言いたくもないが、お前の書き散らす文章は、日本語になっていないぞ。憎悪の吐出と罵詈雑言を除いたら、何が言いたいのか意味不明だ。「話し言葉風に書く」とは「話し言葉をそのまま書く」ことではない。「!」ばかり多用していると、コミックしか読んでいないことがバレてしまうぞ。まず「綴り方」の練習をしろ。自分の書いた文章をゆっくり読んで、何が表現できているのか点検してみろ。それを半年も繰り返したら、多少の客観性が身につくだろう。
 客観性と言ったついでに、自分の容姿に対しても、もう少し客観性を持て、と言いたい。東アジアの平均的な醜男であるにもかかわらず、なぜか自分をたいそう男前であると信じ切っている。超ハッピー自惚れ中年男でいるのは、お前の勝手だが、記事を検索していて、お前のブログだとは気づかずにお前のページを開いて、突然、デーンと出現するお前の顔を拝まされる側の身にもなってみろ。



現政権主流派の本音を代弁し、権力に にじり寄る


 元谷外志雄とか、長谷川豊とかいった人たちの弄する詭弁に遭遇するのは、極めて不愉快なことである。
 人は誰でも、他者を嘲ったり、罵ったりした経験を持つだろう。しかしその後、少し冷静さを取り戻すと、貶めたのは実は自分自身の精神であったことに気付く。そこから悩みが始まる。忘れようとしても、何度も、何度も、自己嫌悪が吹き上げてくる。長い時間をかけ、なんとか心の傷を押し固めて、人は社会的恒常性を獲得してゆく。大人になる、とはこう言うことだ。
 しかるに、元谷とか、長谷川は、飽くことなく他者に対する嘲りの言葉を次々と吐出する。そうすることで、快感を味わっているかのようだ。それを見せつけられると、とても気持ちが悪い。人間がどこまで卑屈になり得るかの悪意ある実験、としか思えない。度の過ぎた神の悪ふざけ? もし私が一神教の信者なら、創造主の意思を諮りかねて、棄教という窮地に追い込まれるであろう。
 彼らの言辞は、所詮「ヘイトスピーチ」水準のものである。アジアとか、サヨクとか、社会的弱者を、仮想敵に仕立て上げ憎悪を煽り立てる。何らかの論理を内包していれば反論の余地もあるが、一欠片の論理性も読み取ることが出来ない。だから、理念とか思想の問題として言うなら、聞かなかったことにして放っておくしかないのだ。

 しかし、黙っているわけにはいかぬ。これとは別の、はっきりとした理由がある。
 彼らを、単なる政治談義好きの爺ィだとか、おっちょこちょいの中年男だとか思ってはならない。彼らの本質は、その飽くことなき「権力掌握指向」にある。元谷は、安倍晋三の後援会『安晋会』の副会長であるし、長谷川は『日本維新の会』から公認を得て次の衆院選に出るという。彼らは絶えず権力の中枢に躙り寄ろうとする。何によってか? 安倍晋三をはじめとする現政権主流派の、本音を代弁することによって、である。
 安倍晋三をはじめとする現政権の主流派にとって、これほど便利な存在はないであろう。現時点では、ずばりと本音を吐露することが憚られるような事柄が多々ある。もう言いたくて、喉元まで出かかっているが、迂闊にしゃべれば、野党やジャーナリズムが火の付いたように騒ぎ立てるであろう。そこでまず彼らに代弁させておく。その理屈に一般大衆を慣れさせておくのだ。彼らが調子に乗って「言い過ぎた」場合、収拾がつかなければ切り捨てれば良い。つまり、体よく「露払い」をさせているのだ。



放談に露呈する「次の」シナリオ


 一例を示そう。
 アパホテルの客室には、『アップルタウン』という雑誌が置いてあるらしい。ネットでも幾つかの記事が読める。毎号、元谷が政治家などを招いて対談を行っているが、今月は『トランプ大統領誕生を機会に憲法改正へ』と銘打って、片山さつきと喋っている。内容は、題名から推して知るべしだが、もう好き放題喋ってます。終わりに近い部分から引用しよう。

元谷: 歴史を勝者が作るのはやむを得ないとはいえ、今の日本の状況では、アメリカをはじめとした連合国が日本や世界に植え付けた自虐史観とは異なる主張をすると、それに歴史修正主義のレッテルを貼って亡き者にしようとします。しかし歴史を含む学問の世界では、新しい知見があればどんどん考えを変えていくのが常識でしょう。歴史だけ変更を否定するのは、非常におかしなことだと思います。
片山: 代表は日本の保守のオピニオンリーダーのお一人であり、安倍首相のビッグサポーターとして知られていらっしゃいますから。
元谷: 私は安倍首相と考えが近いというだけです。韓国で問題になっているように安倍首相に入れ知恵をしたわけではありません(笑)。


 片山に煽てられて、安倍政権のフィクサー気取りでいるのが笑えます。しかし笑ってはいられない。『攻撃的兵器を装備して 抑止力を高めるべきだ』と小見出しの付いた最後の段では、世間を震撼させるような事を喋っている。

片山: 歴史認識を含め、日本人も先の大戦の軛に繋がれているのです。だから安全保障・防衛の議論がタブーになっています。私は防衛担当の主計局主計官だった時に防衛予算を減らしたと怒られましたが、制服組の方々と細かく効率の良い予算配分を相談して決めたのです。イラクへ派遣する自衛隊の装備は安全を考えて原案よりも増やしたほどですよ。今回治安が悪化している南スーダンに派遣する自衛隊にも、しっかりとした装備が必要です。
元谷: 自衛官が危険に晒される原因は現行憲法にあります。武器使用に関して警察官と同じ正当防衛の要件を必要とするからです。この問題を多くの人に理解してもらって、憲法改正を進めなければなりません。また現在の東アジア情勢を見るとアメリカの核の傘は幻であり、次に核攻撃を受けるのはやはりまた日本ということになりかねません。国内外の反対もあり核武装は無理ですが、せめてドイツやイタリアなどと協定しているニュークリア・シェアリング(核の共有)を導入するべきだと、私はいつも主張しています。
片山: 大蔵・財務省時代にアメリカとの交渉は何度も経験しましたが、共和党政権の方がぎりぎりの要求と自分達の妥協点を明らかにして落とし所を示してくるので、話がしやすかったですね。
元谷: やはりトランプ政権時代が日本にとってはチャンスでしょう。抑止力としては攻撃用兵器を持つことが一番効果があるのですが、ここにも日本には憲法上の制約があります。盾だけでは防衛はできません。鉾も必要です。これも憲法改正が急がれる理由です。
片山: プリエンプティブアタック(preemptive attack)は正確には未然防止的攻撃という意味なのですが、これを先制攻撃と訳したのが間違い。本来は防衛のために他の方法がない時にちゃんと認められているものです。そのためにはステルス機も必要で、だから日本はF35の配備を決めたのです。


 国会で、防衛大臣稲田朋美が、南スーダンにおける戦闘について質されて、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と答えたという。実際に自衛隊が戦闘行為を行っているのなら(戦闘に巻き込まれた、と表現しても実態に変わりはない)、もっと本質的な議論が闘わされるべきである。まるで禅問答じゃないか。
 野党の追及にまったく緊迫感が感じられないのは、今に始まって事ではないが、この点に関する限り、野党の議員連中は「根拠のない安心感」に捕らわれているのではないか、と疑ってしまう。つまり、

 もし、南スーダンにおける戦闘で自衛隊員に死傷者が出たとしたら、その時こそ「そら見ろ、憲法第9条を蔑ろにするから犠牲者が出たのだ」と声高に主張しよう。国民の多くは「そうだ、その通りだ」と怒りを込めて賛同し、世論は平和憲法堅持の方向へ向かうだろう

 今まで何度も、まさかそこまで脳天気ではないだろう、と野党を買い被ってきたが、十年一日、寝言のごとき護憲論を繰り返し、ジリジリと後退戦を強いられてきた結果を見れば、こう疑って当然であるように思える。だが、まことに残念ながら、南スーダンにおける戦闘で不幸にして死傷者が出ても、絶対にこのような展開にはならないだろう。
 元谷と片山の対談をよく読んでいただきたい。彼らは、はっきりとこう言っている。

 もし、南スーダンにおける戦闘で自衛隊員に死傷者が出たとしたら、その原因は、
1、現憲法によって、自衛隊が十分な装備をすることを妨げられているからであり、さらには、
2、現憲法によって、自衛隊が先制攻撃を禁じられているからである。だから、
3、憲法を改正して、軍備を増強し、核武装で抑止力を強めることが必要で、さらには、
4,憲法を改正して、先制攻撃(未然防止的攻撃)ができるようにすべきである。


 これは、元谷や片山の「思いつき」ではない。安倍晋三をはじめとする現政権の主流派が、立場上公式の場では云々安倍晋三をこれを、でんでん、と読むらしい)することはないが、楽屋裏の気楽な場面では日常的に交わしている会話そのものなのである。一旦緩急あらば、臆すること無くそう言えば良い。既に、彼らの間では、半ばマニュアル化された文言となっているはずだ。
 稲田は、心の中で、このマニュアルを何度も復唱している。だから、どんな追及を受けても、平気なのだ。野党なんて、禅問答で煙に巻いておけば良いさ。いざ、と言う時の、心構えはもう出来ているだから。
 野党もジャーナリズムも、現政権主流派が握りしめている「次のシナリオ」を暴こうとはしない。それとも、一切の読心力を失っているのか …… 。

 元谷は、片山に煽てられて、気分良く「持論」を述べているつもりでいるが、実は、安倍晋三をはじめとする現政権の主流派によって、喋らされているのである。現政権という権力に守られている、という安心感で慢心している。だから、批判されればされるほど、元気づくのである。


やっぱり出たか「反ユダヤ主義」


 これとは逆に、安倍晋三をはじめとする現政権主流派の、守備範囲外のことで批判されたら、元谷はそそくさと「持論」を撤回する。権力の抑止力の外にいる、つまり、盾を失った、と感じるからだろう。
 この対談には、実は、削除された部分があるのだ。『ユダヤのグローバリズムにアメリカ国民が反撃』という小見出しがあって、そこで元谷はこう述べていた。

 ベトナム戦争にせよイラク戦争にせよ、アメリカの戦争の背景には常に軍需産業や国際金融資本の存在があります。国際金融資本とはつまりユダヤ資本です。アメリカの情報と金融と法律はユダヤに握られており、グローバリズムは彼らにとって大きなメリットがあります。莫大な利益をタックスヘイブンの国に移動して、税金を払わなくて済むのですから。そしてユダヤの多くが民主党支持です。

 もう何度繰り返されたか分からない、噴飯物のユダヤ陰謀論である。すでに、ジョークにしかならないステロタイプ的ユダヤ人像。それを元谷は、嬉々として繰りかえす。こんな「認識」を自ら「歴史を含む学問の世界」なんて言って憚らない。
 元谷は昨年、カナダのホテルチェーン「コーストホテル」を買収し、その客室にもこの「Apple Town」を置いている。当然のことながら、ユダヤ系コミュニティから批判されたのである。あの「南京大虐殺は無かった」では、「正しい日本の歴史を知らせるため、対応を変えることは考えていない」と居丈高に居直ってみせたのに、この「ユダヤ陰謀論」では「私が記したことが反ユダヤ主義的思想という誤った印象を与えしまったことは残念」と釈明して、そそくさと当該部分を削除したのである。
 謝るのなら素直に謝れば良いのに、「誤った印象」などと、まだ読む側の読解力の不足を言い立てている。
 いさぎよさ、こそ日本男児の美意識ではなかったのかな?
 日本の恥とは、お前のことだ。



  →【註1】http://www.benricho.org/karuta/sugoroku-Kyo.html
  →【註2】http://books.salterrae.net/amizako/html4/takada_hyoutan.html
  →【註3】http://www.eonet.ne.jp/~jebnagusa/C2_10.htm

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 −−【その14】了−− 『改憲論』と『改憲論者』の徹底的批判 目次へ