ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。





橋川文三
彼に関する説明は、長くなったので、本文の末尾にまわしました。



橋川文三が編んだアンソロジー
この一巻を熱心に読んだ。





吉本隆明
彼はどこかで、現代文学とは村上春樹を読むことだ、と述べていた。
その言い方の顰みに倣うなら、現代思想とは吉本隆明を読むことだ、と言える。
読んでみて分かりにくく、それならばと、講演を聴くと余計分からなくなるという困った人である。だが新刊が出るとまた読んでみたくなり、ということをくり返すうち、いつの間にか自分が吉本の口吻を真似ていることに気づかされる。とてつもない影響力を持った人だ。
若い世代には、吉本ばななのお父さん、と言った方が通りが良いだろう。



吉本が編集していた雑誌『試行』
ちょうど私が、橋川文三の講演を聴いた頃のもの。
古本屋の店頭に並ぶと、定価よりはるかに高い価格が付けられていた。




















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以下の写真は、一枚を除き、すべて既出のもの。本文でこれらの写真をテーマとして取り上げているので、ここに再掲示する。汚い絵柄で気が引けますが。


安倍・麻生のヘラヘラ笑い
2017年3月1日
小池晃議員の質問の最中



安倍の「ヘラヘラ笑い+野次」
2015年2月19日
玉木雄一郎議員の質問の最中



安倍の「ヘラヘラ笑い+野次」
2015年5月28日
辻元清美議員の質問の最中



安倍の「ヘラヘラ笑い+野次」
2015年8月21日
蓮舫議員の質問の最中








以下『在特会』(と思われる)のヘイト・デモ

























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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その2
                   平成29年03月20日


 前回の要点を復誦しておこう。
1、安倍晋三は、森友学園問題を、国有地の払い下げ問題としてしか認識していない。あの常識外れのディスカウントに自分は関わっていないと言い通せば、それで済みだ、と思っている。
2、野党・ジャーナリズムの追求も、森友学園問題とは国有地の(不正)払い下げの問題である、という安倍の認識水準に同調している。
3、しかし事の本質は、森友学園の籠池泰典・淳子夫妻は度しがたいヘイト主義者であり、実は、安倍晋三・昭恵夫妻の思想的追随者であった、という点にある。安倍を首領とする現政権の主要構成員は旧来からヘイト主義的傾向をちらつかせてきたが、今回の森友学園問題で、正真正銘のヘイト主義集団であることを露呈させた。つまり森友学園問題とは思想的疑獄なのである。

 今回は、前回挿絵代わりに使った画像、つまり「国会における安倍・麻生のヘラヘラ笑い」と、殺せ、殺せ、と騒ぎ立てる「ヘイト集団によるデモ行進」に少しこだわってみる。前回の文章を読み返してみて、その粗雑さ、品のなさに、自ら驚くのだが、これらの画像こそ、その下品噴出の源泉なのだ。批判の対象が対象ゆえ格調高く語ること能わず、と言い訳しつつ、下品に堕ちたついでに、下品にしか語れぬことを言い切っておこう。これは「森友学園問題とは思想的疑獄である」と言うことの、状況証拠となるだろう。



安倍晋三の「ヘラヘラ笑い+野次」は、いつ出現するのか ?


 安倍・麻生のヘラヘラ笑いは、3月1日、参院予算委員会で共産党の小池晃議員が質問している時に出現した。前回のコラムにも書いたが、小池議員が次のように質問している最中のことである。
 「麻生大臣。これ、適正な対価なんですか。そういう、適正な対価なんですか、このやり方が。あのね、あなたの財産じゃないんですよ、国民の財産なんですよ。みんなね、汗水ながして税金払ってるんですよ。笑ってる場合じゃないでしょう。」
 小池議員の質問は至極真っ当なものである。笑いの対象となり得るような要素は何も含まれていない。しかるに、安倍・麻生はヘラヘラと笑い始める。突然の笑いに小池議員は立腹して「笑ってる場合じゃないでしょう」と抗議するが、それを無視して、阿部と麻生はしばしヘラヘラと笑い続ける。

 安倍・麻生は、いったい、何を、笑っているのか?
 抗議を受けても平然と笑い続けることが、何故、可能なのか?

 国会の審議中に笑ってはならないと言う規則でもあるのかね、と言う人があるならば、あの安倍・麻生の「笑いの質」は何だったのか? と問い返さねばならない。あれは、爆笑でも、苦笑でもなかった。もちろん微笑みでもない。あれは間違いなく、笑いという外観をとっているが、人の心を和ませるという笑いの本質から外れたもの、つまり「嘲笑」であった。
 安倍晋三は、審議の途中で必要以上に激昂すること度々であるというが、それがあまりにも日常的であるため、今では話題にもならないらしい。だが、今回のような「嘲笑」は今まで度々出現していて、極めて不愉快な一場面として我々に記憶されている。それは、審議の答弁の中にではなく、質問を受ける側として着席している時に「野次」とともに飛び出してくる。You Tube にはたくさんの記録がある。

★ 2015年2月19日 民主党(現:民進党)玉木雄一郎議員の質問の最中、嘲笑と共に、
  「ニッキョウソ! ニッキョウソ!(日教組)」と野次を飛ばす。
★ 2015年5月28日 民主党(現:民進党)辻元清美議員の質問の最中、嘲笑と共に、
  「早く質問しろよ」と野次を飛ばす。
★ 2015年8月21日 民主党(現:民進党)蓮舫議員の質問の最中、嘲笑と共に、
  「そんなことどうでもいいじゃん」と野次を飛ばす。

 国会には野次が付きもののようだが、いずれも、演説や質疑応答に対して「外部から」発せられるものである。野次の度が過ぎて、議事の進行が妨げられたり、あまりにも品位を欠く場合、議長がこれを制止して注意を与える。質疑応答の当事者間でも、それでは答えになっていない、とか、何度も説明したじゃないか、とか言うように、怒気を含んだ激しい言葉のやりとりが出現する場合もあるが、それはあくまで質疑応答の発展形態であり、野次ではない。だから議事録に書ける。ところが、これらの安倍の野次はまったく質が違う。質問に答えるために政府・与党席で着席している安倍によって、自分に対する質問をしている相手に向かって、質疑の流れとはおよそ無関係に、突然、発せられる野次なのである。これは議事録には書けない。つまり、安倍の「嘲笑+野次」は、「国会という場における国会議員におる質問という権威」と「質問者の人格」との両方を汚している。決して大げさな言い方ではなく、戦後70年に渡って日本の議会制民主主義が育んできた「民度のレベル」を、安倍はあざ笑っているのである。



安倍晋三の「ヘラヘラ笑い+野次」の本質とは


 ここではっきりと確認しておかねばならぬのは、「嘲笑とは、ヘイトの原初的形態である」と言うことだ。
 もう一度、上記の実例の並びを見てみよう。「安倍は、何と対面した時に、ヘイトの原初的形態である嘲笑を出現させるのか」が一目瞭然である。何の説明もいらないぐらいだ。

★ キョーサントー
★ ニッキョウソ
★ 女のくせに、男にたいしてズケズケとものを言う、生意気な女

 安倍は、日本共産党や日本教職員組合およびその構成員の、主義・主張とはおよそ無関係に、ただ「キョーサントー」であるだけで、あるいは、ただ「ニッキョウソ」であるだけで、嘲笑の対象としている。辻元清美議員や蓮舫議員の、「人となり」や質問内容とはおよそ無関係に、ただ「女のくせに、男にたいしてズケズケとものを言う、生意気な女」であるという安倍の勝手な思い込みだけで、嘲笑の対象としている。さらには、自分の勝手な思い込みを、「みんなもそう思っているはずだ」と、「大多数の日本人の思い込み」に拡大し、自分の行いは大衆の支持を得ているはずだ、と根拠もなく自惚れている。だから、小池晃議員が抗議しても、まったく意に介すことなく、平然と笑い続けることが可能なのだ。
 あの、さんざん批判されてきた、かっての軍国主義の個々人レベルにおける無知蒙昧さを、そのまま再起動させているだけではないか。これが「戦後レジームの超克」の中身なのか? 笑わせるな。『在特会』たちがまき散らすヘイト発言と同水準。どこが違うというのだ。



「左翼」と「右翼」を、超早回しで定義してみる


 「ネトウヨ」という言葉が一般化している。前回、ある日本会議の関係者が「森友学園の考えは神道でも保守でもなく、ネトウヨに近い。あれが日本会議の活動と思われるのは心外だ」と述べたという、毎日新聞の記事を引用した。私も、塚本幼稚園の『教育講演会』に講師として名を連ねた面々を「ミレニアム右翼オールスターズ」と揶揄した。だが、彼らを「右翼」という範疇で一括りにすることにはかなりの抵抗を感じている。一言で言えば、右翼と呼べるほど立派な存在ではない、と思えるのだ。
 もともと、「右翼」「左翼」という言葉は、自分が「中庸・多数派」であると思っている人が、極端に走っていると思われる少数派に付けた呼び名である。他者が勝手に付けた卑称である。自分のことを右翼という右翼も、自分のことを左翼という左翼もいないだろう。だが、私が「右翼」という言葉を使いたくないというのは、それが理由ではない。歴史的にみて、かって右翼と呼ばれた人たちが持っていた特質を、いま「ウヨク」と呼ばれる人たちはまったく持ち合わせていないから、である。では、「かって右翼と呼ばれた人たち」とは誰か。その特質とは何か。詳しく述べる余力はないが、大雑把な論点整理だけはしておこう。

 国民の大多数である勤労者が、しかもその労働によって世の中の「富」を創造する唯一の階級であるはずの勤労者が、何故このような劣悪な生活を強いられるのであろうか? この現実の過酷さに対する「義憤」が左翼の出発点である。有名な『資本論』が極めて大部に膨れあがっているのは、「経済学批判」としての厳密な(言い換えれば、ネチネチとしつこい)論理展開のそこかしこに、「(主として)イギリスにおける労働者階級の状態」が、これでもか、これでもか、というぐらい挟み込まれているからである。
 勤労者が過酷な状態にあることへの「義憤」が出発点であることは、右翼とて同じである。ただ、イメージされている勤労者の姿は、左翼と右翼ではかなり違う。左翼が念頭に置く勤労者のイメージは「都市の労働者階級」であるのに対し、戦前日本の右翼のそれは「農民」である。自らの出自は農村であり、父母を始め多くの係累を故郷に残したまま、自分だけが都会で教育を受け、ものの道理を学ぶことができた。このご恩をどう返すべきか。

 左翼は、矛盾の根源を、資本家による労働者階級の搾取にある、と読み解く。労働者とは、冨を生み出す労働を労働力商品として資本家に売り渡すことによってしか、生きながらえることのできない存在である。労働を労働力商品として売り渡す時、この労働力商品の値段は、実際に労働が消費されたときに生ずる価値よりも「低く」買いたたかれる。これが搾取のからくりであり、富が合法的に資本家に集中する仕組みである。戦うべき相手は資本家であり、さらにはこの資本主義的生産様式の上部構造である国家権力である。だから左翼は、国家の存在そのものが悪であると説く無政府主義との離合を繰り返す。戦前左翼が最も頻繁に使用したフレーズは「無政府共産」であった。
 これに対し右翼は、国家の根本原理は善である、あるいは、善であったはずだ、と考える。昔、徳をもった支配者の中でも、とりわけ徳の高い人々が朝廷という国家機構を創造した。この理想主義的国家建設は、蘇我、藤原、足利、平、源、北条、織豊、徳川、と、絶えず現実世界からの成り上がり者たちによって脅かされてきたが、侵食の度合いが過ぎると、改新、中興、奉還、維新、という風に徳の原理への復帰がなされてきた。先の御一新もこの高徳への原点回帰であったはずだ。公地公民というイメージ的原理主義に、明治期以後の農本主義の理念が被さってゆく。しかるに、今、国家の根本たる農村の困窮ぶりはますます非道く、まさに農村恐慌の状態にあるではないか。いったい、誰が悪いのか? 政治家である。日本国と天皇陛下の、徳の実現を妨げているのは、無知・無能、資本家と欧米列強のいいなりになっている、政治家どもだ。

 まことに、バス・ガイドさんの観光案内みたいな、超早回し的、左翼・右翼の解説となって、赤面至極であるが、ここでは次の二点が確認できれば良い。この二つが、右翼の根本原理であることに間違いはないだろう。

1、右翼的思想とは、国家の根本たる農民・庶民が困窮の底に喘いでいること、に対する義憤が基礎になっている。
2、右翼的思想が敵として措定するのは、政治家である。国家はその本質に成就すべき大願を保持しているが、その実現を妨げているのは腐敗しきった政治家である。



「ヘイト集団によるデモ行進」はウヨクとしての思想性を持つか ?


 さて、回り道が長くなったが、「ヘイト集団によるデモ行進」の絵柄をもう一度よく見てみよう。
 仮に彼らを「ウヨク」と呼ぶなら、彼らの思想と行動は、上にまとめた二つの右翼の根本原理と、およそは整合するはずである。

 まず、彼らの思想と行動は「義憤」に発するものなのか、という点について。
 これらのデモの主唱者は『在特会』らしい。彼らのウエッブ・サイトを見てみると、「挨拶」の冒頭に「当サイトは会名が表しますように『在日特権を日本から無くすこと』を目的に設立された団体です」とある。然すれば、誰でも、彼らがどういう事象を『在日特権』と呼ぶのかが知りたくなるだろう。そこで、サイトのあちこちに飛んでみるのだが、どのページを見ても、ゴム印で押したように「在日特権を日本から無くす」というフレーズが繰り返されるばかりで、さっぱり要領を得ない。どうやら『在日特権』と言うだけで、ビビーンと反応できる人たち向けに、サイトは作られているようだ。もう、馬鹿らしくて、気持ち悪くて、それ以上内容に立ち入る気持ちが失せてしまうのだが、彼らの「憤り」とは『在日特権』だけに向けられているのだ、ということが理解できる。
 日々社会生活を営んでおれば、行く先々で「憤り」が噴出して当然だろうに、『在日特権』だけに「憤り」を覚えて、それで気が済んでいるとは、『在特会』とは何と驚嘆すべき人格者たちの集まりであろうか。どのような人格的鍛錬を踏めば、これほどの「憤りの極端な不均等発展」が可能なのだろう。不思議でならない。
 現在の日本は、ワーキング・プア層の拡大に象徴されるように、全職種・全地域において、じわり、じわりと、貧困化が進行している。呻吟する大衆とは「歴史上の概念」ではないのだ。だが、『在特会』の主張を読んでみても、その「現代の貧困、今ここにある貧困」に対する憤りは何処にも表現されていない。一顧だにされていない。『在特会』のメンバーにも、ワーキング・プア層が含まれている可能性が高いはずなのに。ただただ、「在日に対する私憤」さえまき散らせておけば、万事OKなのである。

 次に、彼らは誰を敵と見なしているか、という点について。
 彼らのプラカードやシュプレヒコールから察する限り、彼らが「殺せ」と叫き立てている対象は、「朝鮮人」、「韓国人」、「竹島を日本領と言えない奴」、「39歳でニートやってる奴」である。長谷川豊のブログを読めば、これに「人工透析患者」が加わる。おやおや、富をため込んだ資本家や、無策無能の政治家たちは、「敵」どころか、批判の対象にもなっていない。どの切り口から入っても、ぶち当たるのは『在日』に対するヘイトだけである。

 以上を読み返してみると、わざわざ論証するだけの価値があったのだろうか、という思いに捕らわれるが、気を取り直してまとめに入ろう。
 『在特会』などという団体は、「ウヨク」などと言われるが、彼らは決して「右翼」などではない。「民族主義者」でもない。そんな風に呼べば、ああ、オレたちも一廉の人物になったのだ、と勘違いして、悦に入るだけである。東日本大震災以降、雨後の筍のように出現したヘイト主義の一流派であるに過ぎない。
 いま問題なのは、国家権力の中枢に居座る人たちが、そのヘイト主義を主導していることである。野党も、ジャーナリズムも、アカデミズムも、そのヘイト主義まき散らしに対する批判能力を喪失したままである。別に、安倍や稲田や高市などが、在特会のメンバーと同席したとか、一緒に写真を撮ったとか、雑誌の表紙になったとか、そんなつまらぬ「証拠」を振りかざして攻めているのではない。そんなことはどうでも良い。誰と会おうが、誰と一緒に飯を食おうが、誰とセックスしようが、オレの知ったことか。問題なのは、あの人たちの思想性である。日に日に膨張してゆくヘイト的思想構造である。
 アパ・ホテルの元谷も、森友学園の籠池も、在特会も、長谷川豊も、土人発言の機動隊員も、それを擁護した松井某も、みな、安倍一族の思想的追随者である。この間、首領の安倍がやたらと調子に乗っているのに鼓舞されて、追随者たちも限度を超えてはしゃいでしまった。ただ、それだけのことである。今回の森友学園の問題は、このようなヘイト主義の、連鎖の構造を浮かびあがらせた。批判の切り口はそこにしかない。単なる国有地払い下げディスカウントなどといった、ケチ臭い問題ではないのだ。



橋川文三 について


(この一節は、左欄コラムの橋川文三の写真に添えるつもりで書き始めたのだが、本文よりこちらの方が、よほど人様に読んでいただくにふさわしく思えるので、本文の末尾に添えることにしました。)

 私には右翼とかウルトラ・ナショナリズムとかに関する知識が全くない。昔、ほんの少し勉強してみたが、もうすっかり忘れてしまった。
 学生の頃古本屋で『現代日本思想大系』(筑摩書房)というアンソロジーを見つけ、無理をして買った。お金がなくなれば質屋の蔵に入り、お金が手に入れば下宿の書棚に戻る、という往復を何度か繰り返したのだが、その中の『第31巻 超国家主義』という一巻は熱心に読んだ記憶がある。編者の橋川文三に惹かれていたからだろう。橋川の名は、吉本隆明が編集していた雑誌『試行』のなかで見つけた。もちろん自分が買ったのではない。誰かが大事そうに、かつ、多少誇らしげに読んでいるのを、無理矢理ひったくったのである。

 ある日、その橋川文三が私の大学にやってきた。当時は、様々なサークルが資金稼ぎのために講演会を企画したのである。大きな階段教室は大入り満員の盛況であった。橋川の講演は、その文体と同じように、はったりの無い極めて誠実な話しぶりであった。彼は、まだ十分に煮詰まっていないのですが、と前置きして、昭和に入ってから、何故、急激に、ウルトラ・ナショナリズムが力を得たのか、と言う話をした。彼の仮説は「関東大震災という未曾有の経験をしたから」というものであった。彼は考えながら言葉を選んで喋っているように見えた。話はたびたび中断し同じ所をグルグル回った。もう少し上手く喋れるはずだったのですが、と苦笑しながら、彼は話を終えた。
 質問はありませんか、と司会者が促すと、一人の女学生がスクッと立ち上がった。今の先生の話は論理展開が不十分である、大きな災害を経験して人の考え方が変わった、などというだけでは常識論の域を超えない …… 。会場は静まりかえった。みんな同じように感じていた。でも、雑誌『試行』の気風どうり、橋川は、学生相手の講演会だからと手慣れた話をして済まそうとはせず、今ここで思索を紡いでいこうとしているのだ、とも思っていた。橋川がどう答えるのか、みな固唾をのんだ。だが、橋川は、苦笑しながら、もう少し上手く喋れるはずだったのですが、と、同じ言葉をくり返しただけだった。これで一気に緊張が緩み、会場にざわつきが戻った。
 しばらくの後、あの女学生の質問を思い返し、彼女が橋川の著作を極めて熱心に読んでいたことに気づいた。おそらく彼女は、あの会場に集まった他の誰よりも熱心な、橋川の読者だったのだ。あの立ち往生の雰囲気を破るには、あのいささか不作法な質問をぶつけるより他はない。それならば、他の誰でもなく、この私が「突っ込」んでみよう、と彼女は考えたのだろう。その気持ちが通じたから、橋川はもう一度「ボケて」みせることができた。その気持ちが伝播したから、会場は一瞬にして和んだのだ。

 橋川は1980年代の初めごろ、若くして亡くなった。その頃私は、もう昼夜を問わず、仕事、仕事、の生活に突入していて、彼の訃報にどのように接したのかの記憶も無い。彼の編んだ『超国家主義』の一冊を読み返すこともなくなった。本自体も、その後病をこじらせて大量の書物が管理できなくなったと悟った時、あまり未練も無く処分してしまった。
 今こうして橋川文三について書いていると、あの講演会のことを思い出す。名前も知らない、顔も覚えていない、あの女学生は今どうしているのだろう。それにしても、震災という体験のあと、人心の底の何かが変わり、ウルトラ・ナショナリズム的風潮を受け入れる素地ができる、という思想家の直感的指摘に、改めて感服させられる。まさに、今がそうじゃないか。40年前に、すでに橋川は見抜いていたのだ。
 また、あの講演会の一幕は、いま上手く語り得ないことの中にこそ真実があること。また、思想と思想を相まみえるには、厳しさと優しさの両方がいるのだと言うことを教えてくれた。これこそ、現代の思想的風潮の批判になっているように思える。だってそうでしょう、今では、弁舌華やかに拍手喝采を得ることや、論争で相手を言いまかすことが、理屈の正当性を証明するのだと信じられている。
 もう引用するのも厭なのだが、『在特会』のサイトには『7つの約束』というページがあって「在日側からの希望があれば、放送・出版など様々なメディアにおいて公開討論に応じます」と、さかんに意気軒昂ぶりをアピールしている。死ぬまでやってろ。

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