ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
これが意味するところを噛みしめるべきである。
私の『十二の徳目』の読み方が、特異なものではなく、きわめて標準的なものであることは、『尋常小学校修身書』の中身を確かめれば、お分かりいただけると思う。
これが表紙
児童はまだ字が読めないなら、初めは絵だけのページが続く
「16」で初めて文字が出現するが、それは
テンノウ
ヘイカ
バンザイ
次の「17」で、
有名な木口小平の逸話が登場
キグチコヘイハ
テキノタマニ
アタリマシタガ、
シンデモ
ラッパヲ
クチカラ
ハナシマセンデシタ。
続く「18」で、
突如「よい子」が出現
トラキチノ
ナゲタマリガソレテ、
オトナリノ
ショウジヲ
ヤブリマシタ。
トラキチハ、
ワルイトオモッテ、
アヤマリニ
イキマシタ。
如何でしょう。
いきなり、
天皇のために死ね、
そのために徳目を積め、
という展開になっています。
木口小平は、
絵画になり
五味清吉:画
銅像にもなりました。
島根県 浜田市 浜田護国神社
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『教育勅語なぜ悪い? 論』は、なぜ悪い? その4
平成29年05月10日
『教育勅語の十二の徳目』なるもの
明治神宮のホームページを、トップ > 明治神宮とは > 明治天皇様について > 教育勅語、とたどっていくと、『教育勅語の口語文訳』として、佐々木盛雄による『国民道徳協会訳』が出現する。その下には『教育勅語の十二の徳目』なる表が掲げられている。
『国民道徳協会訳』と同様、この表もネットのあちこちで引用されているようだが、これの出所が何処なのか、私には分からない。だがこの表、「教育勅語はごく当たり前の道徳を説いた無害なもの」というイメージをぷんぷんと発散させている。えっ、教育勅語って、そんなモノだったの? と驚かされること『国民道徳協会訳』以上である。少し点検しておこう。
面倒だが、その表を切り抜いて、勅語の原文と逐一対比してみる。もちろん原文には「箇条書き番号」など無いが、便宜上(1〜12)の番号を振っておいた。
【教育勅語 原文】
1 父母ニ孝ニ
2 兄弟ニ友ニ
3 夫婦相和シ
4 朋友相信シ
5 恭儉己レヲ持シ
6 博愛衆ニ及ホシ
7 學ヲ修メ業ヲ習ヒ
------------------
8 以テ智能ヲ啓發シ
9 コ噐ヲ成就シ
------------------
10 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
11 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
12 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
個々の単語がどの様な現代語に置き換えられているか、は問わないでおこう。
問題の第一は、『十二の徳目』を全て同一レベルに並べている事である。はたして原文は、そのような項目の羅列になっているのだろうか? 私の読みでは、この十二項目は、三つの部分に分けられるように思う。その切れ目の部分に破線「 ---- 」を入れておいたので、その区分に注意して読んでいただきたい。
「1」から「7」までは、父母・兄弟・夫婦、等々に関する、極めて具体的な徳目が並べられている。目の前にあって、コレと指し示す事が出来る対象に対する徳目、つまり吉本隆明の云う「自己幻想」「対幻想」領域に属する徳目である。道徳の教科書風であり、誰にとっても解りやすい内容である。教育勅語には良いことが書いてある、なんて宣う御仁は、たぶん、この部分だけをチラ見して、教育勅語を理解したことにしているのだろう。
しかし「8」・「9」に進むと、少し分かり難くなる。智能・コ噐、と徳目の「抽象化・高度化」がなされているからである。智能とは知能と同じであり、とりわけ難解な言葉ではない。徳噐とは聞き慣れぬ言葉であるが、徳を身につけた器(うつわ)という意味であろうから、これも意味は想像できる。だが、それまでの、父母・兄弟・夫婦、と言った具体的な実体にまつわる徳目から、抽象的概念で思念するしかない徳目に移行していくことの意味が、読み手・聴き手にはすぐには理解できない。
「8」の冒頭には、「以テ」という言葉が接続詞として挿入されている。「以テ」とは、口語的に言い換えれば「それで、それによって」となる。つまり、「以テ」より前に書かれていることを前提として、「以テ」の後に書かれていることが結論として導き出される。それまで徳目を平面的に並べてきた文脈が、「以テ」の出現によって、論理的・構造的になることが予告される。ここで、「きちんと読み解こう」とする真面目な読み手・聴き手の緊張感は、いやがうえにも昂められることになる。
そこで提示されるのが、智能・コ噐という「抽象化・高度化」された概念なのだ。抽象化・高度化とは、観念化・曖昧化、でもある。いささか漠としている。それまでとは違って分かり難い。ちょっとしたストレスが生じ、読み手・聴き手は、次はもっとハッキリとした言葉が欲しい、と願う。この、読み手・聴き手に「理解のお預け」を食らわせるのは、説教師の常套的レトリックである。
こんな風に手順を踏んで、「10」・「11」では、徳目を一気に「共同幻想」領域に引き上げる。公益・世務、國憲・國法、と、対象の抽象性はさらに高められるわけだが、「進テ」「常ニ」という限定の言葉が、直前に振られる事によって、あたかも具体性に回帰したような印象を、読み手・聴き手は抱いてしまう。いったん見通しの付かない霧のなかに連れ込まれているので、これで分かったような気になるのである。
そのトドメの一行が、最期の「12」の徳目として提示される。
一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ、天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
二度目の「以テ」が出現することに注意しよう。この「以テ」は、「これまでの徳目の羅列は、すべて、この12番目の徳目獲得のための前提なのだ」と告げている。だから私は、『その1』で教育勅語の要約を書いた時、この部分を「十一の具体的実践項目で忠孝を体現し、緊急時には己を捨てて永遠なる皇室を守れ」と、まとめたのである。
誤読の余地は無い。そうとしか読みようが無い。教育勅語の本文は、『十二の徳目』を横一列に列挙したりしていない。しかも、その最終的到達点である第十二項目の意味は、有り体に言えば、「戦争になれば、天皇のために死ね」とフィジカルな意味で臣民に迫っているのであって、「正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう」などと「日常の心構え」を説くような軟弱なものではないのである。
教育勅語の中身など、どうでもよいのだろうか?
私は、教育勅語の思想性は容認できない、という立場にたつ人間である。そんな私でも、読んでみると、勅語の文章は実に良く練られていると感じる。格調高いとまでは言わない。だが、読む人に誤解を与えるような、あやふやな表現が無いし、レトリックの巧みさ、表出力の確かさは、非凡なものである。
だから、教育勅語に肯定的な意義を見いだし、その復活を主張するほどの人なら、勅語の「価値」は十二分に認識しているだろう、と思うのは当然だろう。勅語の何たるかを他者に伝えようとする場合でも、勅語の「価値」を損なうような要約や翻案は、絶対にしないはずだ、と。
ところが実際はそうではない。あれほど、教育勅語、教育勅語、と叫ぶ割には、彼らの勅語の中身の扱いはうんと「ぞんざい」である。明治神宮のホームページがそうであるように、誰も彼もが、無反省に『国民道徳協会訳』と『十二の徳目』を引用する。勅語の「核の部分」を、日めくりカレンダーとか、新興宗教の簡便なパンフレットとかにある、「人生訓」レベルに引き下げて平気な、あの劣悪なる代物を。教育勅語! と叫んでみることだけが大切で、中身など別にどうでも良い、と考えているだろうか? 不思議である。いったい教育勅語復活待望論者たちの脳髄は、どんな構造になっているのか?
森友学園問題が報道された時、最初に感じたのは、幼稚園児に教育勅語を「唱和」させている光景の異様さ、であった。戦後生まれの私でさえ、『勅語』とはそんな風に扱うべきものでないことは理解している。
教育勅語の写しは御真影と共に奉安殿に収められていて、四大節と呼ばれた祝祭日に、校長か教頭によって代読された。その間、教師と生徒は、直立不動、頭を垂れて拝聴するのである。映画などで繰り返し観た、あの光景の通りであろう。勅語とは、文字通り『勅』(みことのり:天皇のお言葉)であって、「建学の精神」とか「社是・社訓」の類いではない。日常の挨拶代わりに使えるものでも無ければ、スローガン、キャッチ・フレーズでも無いはずだ。
しかるに、我が国の内閣総理大臣夫人は、森友学園を訪問したさい、何の違和感を感じることも無く「園児らのかわいらしくもりりしい姿を見て、感涙にむせんだ」のである。『ヘイト発言、人の倫理性に対する攻撃 その1』で引用した『産経WEST』の一部分を、再び引こう。
「夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ … 」。園庭に2〜5歳の園児約150人の大きな声が響く。
教育勅語(正式には「教育ニ関スル勅語」)は、明治23(1890)年に発布され、第2次世界大戦前の日本政府の教育方針の根幹となった文書。なぜいま、教育勅語なのか。
「子供に学んでほしいことは何か、とつきつめたとき、その答えが明治天皇が国民に語りかけられた教育勅語にあったからです」と籠池泰典園長(61)の答えは明快だ。
あどけない幼児が大きく口をあけ、難しい言葉を朗唱する姿を初めて見た人は一様に驚き、感動する。安倍首相の昭恵夫人もそのひとりだ。
昭恵夫人は昨年4月、同園の視察と教職員研修のため訪れたとき、鼓笛隊の規律正しいふるまいに感動の声を上げた。さらに、籠池園長から「安倍首相ってどんな人ですか?」と問いかけられた園児らが「日本を守ってくれる人」と答える姿を見て、涙を浮かべ、言葉を詰まらせながらこう話したという。
「ありがとう。(安倍首相に)ちゃんと伝えます」
−−−−『産経WEST』(2015年 1月 8日)【関西の議論】服部素子
これは森友学園が「騒動」として報道されるより、ずっと以前の記事である。森友学園の籠池泰典、内閣総理大臣夫人安倍昭恵、それに産経の記者服部素子までが、三つ巴になって、訳もなく感動しまくっている。もう支離滅裂、教育勅語! と叫ぶだけでトランス状態に陥っている、としか思えない。
教育勅語が実際にどの様に扱われてきたのかという、オーセンティック(authentic)な関心や心配りは皆無。教育勅語の思想的中身などそっちのけ。そして何より指摘されるべきは、訳も分からぬまま教育勅語を唱和させられている園児たちへの、教育者としての配慮が一切感じられないことである。何年かの後、あの子供たちが社会的意識に目覚めた時、訳の分からぬまま教育勅語を唱和させられていた自分を、どう扱って良いのか戸惑うはずである。ましてや、その姿がマス・メディアに流されていた、とあっては。
「あどけない幼児が大きく口をあけ、難しい言葉を朗唱する姿を初めて見た人は一様に驚き、感動する」だと?
大人の感動だけが関心事なのか、あんたら?
教育勅語の理念は、成就されたことがあったのか?
このあたりで、教育勅語復活待望論者に問い糾しておきたいことがある。
1890年(明治23年)の発布から、1948年(昭和23年)の廃止に至るまで、教育勅語は教育の基本理念を示してきたと言われるが、その間、勅語の精神に則って見事に学校教育がなされたという歴史的事実は本当に実在したのか? と。
例証する必要もないだろう。誰でも良い、身近にいる古老を捕まえて、訊いてみるが良いのだ。教育勅語をうやういやしく押し戴いていた時代、貴方たちはどの様な教育を受けたのですか、と。彼らは何を語ってくれるだろうか。おそらく、軍事教練やら、学徒動員やら、集団疎開やらの、話は聴けても、教育勅語に関しては、頭を垂れて拝聴した記憶以外何も出てこないだろう。
何でも良いから教育勅語について覚えていることを話してください、と迫れば、茶目っ気のある人なら、こんな「替え歌」を教えてくれるかもしれない。教育勅語は歌ではないから、フシは付かないのだけれど。
朕、思わず屁を垂れて、汝、臣民、臭かろう。鼻をつまんで御名御璽。
このバリアントは無数にある。広く人口に膾炙していたのである。教育勅語そのものは覚えていなくとも、たいていの人は、このパロディならスラスラと口を衝いて出てくるはずである。現に、私の親がそうだった。元旦は紅白饅頭がもらえる、という楽しみがあったらしいが、子供たちは、こんなパロディで教育勅語拝聴の堅苦しさを緩和していたのである。
これが教育勅語の子供たちへの普及の実態である。
そのことは、教育勅語復活待望論者だってよく知っているはずである。
にもかかわらず、教育勅語! 教育勅語! と騒ぎ立てるのはなぜか?
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−−【その4】了−− 『教育勅語なぜ悪い? 論』は、なぜ悪い? 目次へ