ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
これが意味するところを噛みしめるべきである。
『教育勅語』が下賜された 1890年(明治23年)には、どんな出来事があったのだろう。
1月18日 米騒動起る
「騒動」には諧謔的なニュアンスがあるが、今風に言えば「暴動」である。背伸びをして「近代国家」になろうとする政府と、押しかけ・打ち壊し・略奪で食料を得ようとする大衆。この落差を見落としてはならない。
1月21日 中江兆民ら自由党を再興
東洋のルソーと言われた。
2月1日 徳富蘇峰「国民新聞」創刊
「平民主義」を唱えた。その交友関係はすごい。
「国民新聞」第一号
3月8日 駿河台ニコライ堂開堂
建物の竣工は翌年らしい。
4月4日 ラフカディオ・ハーン
(小泉八雲)来日
耳なし芳一、むじな、ろくろ首、雪女、……
"Kwaidan" で英語の勉強をしたり、文学の面白さに気付いた人も多いだろう。
7月1日 第一回衆議院議員総選挙
(小川千甕画)
普通選挙とはいうものの、金持ちの男だけが有権者であった。
満20才以上の男女すべてが有権者になったのは「戦後民主主義」からだ。倉山君は忘れたのかな?
8月12日 藤岡市助、
初めて炭素線電球を造る
試作品の事ではない。会社を立ち上げて、量産市販品を作ったということ。白熱舎 → 東京電気 → 東芝 と発展したんだって。今の東芝はどうなってんの? 原発でボロもうけをしようとして、しくじったわけでしょ。有り体に白状しなさい。
10月30日 教育勅語発布
天皇のお言葉だから、みんな頭を垂れて拝聴したのだ。イラスト代わりに使うやつ、パロディもどきでオモチャにするやつ、不敬の輩ばかりじゃないの、倉山君。
11月10日 浅草凌雲閣竣工
ここのエレベーターを作ったのも、上の藤岡市助さんだ。
11月20日 帝国ホテル開業
もちろんこれが初代。
フランク・ロイド・ライトの作った二代目も解体されて今は無い。ほんの一部分が明治村に復元されている。
11月29日 第一回帝国議会開会
この年、新聞の紙面に写真がのるようになったが、まだ一般的ではなかった。庶民はこのような錦絵でイメージをつかんだのだ。
2月4日 北里柴三郎、
ジフテリア・破傷風の血清療法を発見
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『教育勅語なぜ悪い? 論』は、なぜ悪い? その8
平成29年08月28日
親孝行という言葉がどのように使われてきたのか、を検証している。つまるところ個人を責め苛む言葉でしかなかった、というのが私の見方である。人の心に分け入らねばならぬので、ゆっくり丁寧に書いてきた。最初は正岡子規、次に私の父親を例として。
まだ話半ばなのだが、今回は一転して、粗雑な記事を差し挟むことにする。教育勅語に関しては、非道い話が多すぎるからである。聴くつもりはなくとも聞こえてくる。気になって、ムカついて、いま書くべき事に集中できない。雑念を排して作文に集中できるほどの解脱にはほど遠いと、自分の未熟さをアッサリと認め、まず藪蚊を払っておくことにする。
教育勅語肯定論の根拠、とは何か?
教育勅語肯定論が、論理的・心理的な根拠としているのは、《勅語は、親孝行などのモラルが大切、と説いている》という一句に尽きる。ワンフレーズ・ロジック、とでも呼ぶべきか。「おやこうこう」という身近な言葉で説明できるから、解ったような気になっているのだろう。それに《道義国家》などという、きつねうどんにおける油揚げ的存在の薬味を乗せれば、即、教育勅語肯定論は完成である。パーフェクト、これが最上位のメニュー。油揚げをキャンセルすれば、かけうどん(大阪では、すうどん)になってしまう。
『親孝行』という言葉の辞書的な意味を上っ面だけなぞって、何かを理解した気分になり、持論だと曰う。忠臣蔵の討ち入りじゃあるまいし、教育勅語! 親孝行! と空疎な「合い言葉」を投げかけあって、はしゃぎまくる。考えるという行為を放棄し、怠惰な精神をさらけ出して得意満面。それで「サヨク」を批判したつもりになっている。
いささかシニカルな書き出しになったのは、シニカルな態度でしか取り扱うことの出来ない「教育勅語、なぜ悪い」論にたびたび遭遇するからである。その理屈の支離滅裂なること泡沫候補の演説並なのだが、捨て置くわけにはいかぬ。何せ、泡沫候補的知性の人たちが主流派となり、国家権力の中枢を掌握する時代なのだから。
倉山満という男がいる、らしい
一例を挙げよう。
倉山満という男がいる。「憲政史研究者」を自称している。知ってますか? 知らない? そう、知らなくて幸いです。この男、『倉山満の砦』という仰仰しいホームページを作ってます。これがとても気持ち悪い。トップページに自分の顔写真をデカデカと貼りつけてます。自分の顔を、ですよ。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、合計4枚。どれも斜め左から撮った写真。この角度がいちばん写りが良い、と信じているらしい。この顔写真入りのアイコンは、間違ってもクリックしてはなりません。もっと大きな顔写真がデーンと出現します。これが大変な衝撃です。しっかりと感覚受容器官にフタをして身構えていても、その程度のバリアなど簡単に突破されてしまう。
以前批判した、長谷川豊が思い出されるじゃないの。【注1】
長谷川の方は写真6枚だったが、倉山の方は写真がデカい。自己顕示欲は両者同等とみた。二人は同類。東アジアの標準的な醜男(ぶおとこ)であるにも関わらず、自分のことを大変な男前だと信じて疑わない。この偏執狂的ナルシズムは、自己愛などと言った生易しいものではなさそうだ。心の奥底に押さえこんだはずの劣等感が膨れあがり、徐々に内圧を高めていて、写真に撮られるという瞬間に心の隙間から裏返しになって噴出した、というのが唯一可能な解釈である。フロイトやユングに頼らなくとも、これくらいの解析は可能だ。
良いですか、キチンと警告しましたよ。これだけ言ってもサイトを覗いてみたい人は、自己責任でどうぞ。
urlにリンクを張っておきます。イヤだけれど。
https://office-kurayama.co.jp/
【注1】『改憲論』および『改憲論者』の徹底的批判−その14
はしゃぎまくる中年男
さて、この倉山が、『逆・教育勅語』なるものを作っている。
これも、リンクを張っておこうか。
http://www.kurayama.jp/post.php?id=779
世の論者、曰く「戦前の日本には教育勅語という危険な思想が蔓延していた。」と。
どうやら教育勅語で明治天皇が臣民にお命じになったことは危険思想らしい。
そこで、「逆・教育勅語」というのを考えてみた。
一、親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。
二、兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。
三、夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。
四、友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。
五、自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
六、広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
七、職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。
八、知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
九、人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」と言えば許されます。
十、社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
十一、法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
十二、勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。
なんだ、戦後民主主義の行き着く先ではないか。。。
ついでにアメリカンデモクラシーとか、グローバリズムとか、儒教思想(実は韓非子)も混ざっている。
たぶん上の「逆・教育勅語」は、マッカーサーとスターリンと宮沢俊義の合作に違いない。
ちなみに原文です。
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html
この男、一体、何をはしゃいでいるのだろうか?
「砦」だとか「大学では絶対に教えられない歴史講義」だとか、さんざん勿体を付けておいて、いざ開陳してみればこの文章だ。形容する言葉に窮するが、あえて一言を選べば、舌足らず、であろうか。きちんと表現してゆこうとする意志力の希薄なこと、うわごとレベルである。「大学で教える」どころか、小学校の作文の授業すらまじめに受けてこなかったのではないか。唯一伝わってくるのが、この男、何かが嬉しくて、浮かれ、はしゃぎまくっているのだ、という雰囲気である。
何をはしゃいでいるのか? 当方で想像するしかない。
この男、「サヨク」にトラウマ級のコンプレックスを持っているのだが、その「サヨク」を言い負かすことの出来るロジックを思いつき、それが嬉しくて浮かれている
…… 、大方そんな辺りではなかろうか。
実際、このはしゃぎまくりに伝染したした人は、感染源の倉山と同様、大変な「サヨク」コンプレックスに捕らわれているようである。例えば、千葉麗子という女がそうだ。「サヨク」を「パヨク」と言い換えて有頂天になっている女だ。こちらもリンクを張っておこう。今日は、大サーヴィスである。
http://best-times.jp/articles/-/4705
倉山の理屈が成立しない理由
しかし、残念ながら。倉山の理屈は成立困難なのである。
倉山は、『教育勅語の十二の徳目』を基にこれを書いている。「ちなみに原文です」のリンク先は、明治神宮の教育勅語紹介のページである。そのページには三つの資料があるのだが ……
イ; 勅語原本の写真。
御名御璽が入っているが、実際には類似のものが数多く存在する。だから、これは写しの一つだろう。別に「正本」である必要はないのだが、如何せん写真が小さい。イラスト代わりの扱いで、文章は判読不能である(特にカタカナ)。したがって、倉山はこれを読んではいない。
ロ; 【教育勅語の口語文訳】として、『国民道徳協会』こと佐々木盛夫の訳文。
この訳が恣意的な誤訳であることは、すでに『その2』で詳しく指摘した。しかし倉山は、この訳もスルーしている。
ハ; 【教育勅語の十二の徳目】。
このリストは教育勅語そのものではない。教育勅語の抜粋にも要約にもなっていない。このことは、『その4』で詳しく述べた。ところが倉山は、これを教育勅語だと言うのである。ふざけるな。「憲政史研究者」を名乗り、『逆にしたらよくわかる教育勅語
- ほんとうは危険思想なんかじゃなかった』などという書籍までだしておきながら、勅語本文は読んでもいないことを奇しくも露呈してしまっている。いい加減な想像で言うのではない。この本はアマゾンでも売っていて、その内容紹介にはこう書かれている。それが証拠である。
「教育勅語」とはたった12徳目からなる簡潔・明瞭な国民として当たり前の「心がけ」であり、かつては世界各国から羨望の目で見られるほどであった。これを廃止し忘れさせようとしたのは日本の弱体化を狙う勢力の陰謀だった!
ここでも『陰謀論』が出てくるが、今は立ち入らない。
何度も言ってきたが、『教育勅語』は、《国民として当たり前の「心がけ」》を説くような軟弱なものではない。「戦争になれば、天皇のために死ね」とフィジカルな意味での死を臣民に迫るものである。繰り返しになるが、『その1』で書いた、私の『教育勅語』要約を引用させていただく。
1、皇室が徳をもって治め、臣民は忠義と孝行でそれに応える、これが日本である。
2、教育とは、この忠義と孝行を身につけることである。
3、十一の具体的実践項目で忠孝を体現し、緊急時には己を捨てて永遠なる皇室を守れ。
(下線部の原文:一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ)
4、国民は、この忠孝の行動によって天皇の臣民となる。それは祖先から伝わる忠孝の再現でもある。
5、以上は皇室の祖先が残された教訓である。すべての臣民はこれを遵守すべき義務をもつ。
「サヨク」を批判したつもり、らしいが …… 、
勅語の「父母ニ孝ニ」をいじって、「親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。」などといった「逆」を作って遊んでみたとして、今なら『不敬罪』に問われることはない。「戦後民主主義」の時代なのだから。ところが倉山の文章を読んでいると、「なんだ、戦後民主主義の行き着く先ではないか。。。」と、戦後民主主義が気にくわないようなことが書いてある。戦後民主主義の生ぬるさにどっぷりと浸り、その恩恵を享受しておきながら、口先では戦後民主主義はダメだと言う。一体、どっちなんだ、お前。
もし、教育勅語がそんなに良くて、戦後民主主義が気にくわないのなら、教育勅語を「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざるものとして扱え。それが正しい態度だろうが。歴史認識と美意識の首尾一貫性を保持せよ。そんなこと、考えてみたことも無かったのだろう。正直に白状したまえ。
つまり、お前の、教育勅語評価、日本民族主義ぶり、大日本帝国好み、など、すべてウソ、偽物だと言うことだ。では、何のために、まともにその正文に踏み込んだこともないのに、勿体ぶって教育勅語など持ち出してくるのか。理由はただ一つ。「サヨク」に対する嫌悪感を示すため。ただ、これだけである。
トラウマとなっている「サヨク」の抑圧から逃れられるのなら、何をしても良い。
これが、お前の行動原理である。
しかし、だ。「親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。」などと主張している「サヨク」など、一体、何処にいる?
「サヨク」は、教育勅語が、お前らの言うように「臣民の道徳心向上」に働いたのではなく、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の中心思想の通り、多くの臣民を無意味な死に追いやったという歴史的事実に於いて、教育勅語を否定している。
また、戦後の日本が、国家という資格で教育勅語の無効化を決定しているのに、事もあろうに、公僕の長たる国会議員や閣僚や総理大臣までもが、教育勅語は正しいと思っている、などと言い出すことを批判しているのだ。
こんな風に、倉山満は「教育勅語」を出汁にして「サヨク」を批判したつもりで悦に入っているが、
1、教育勅語以外の、似て非なるものを持ち出してきて、それを教育勅語だと言いくるめ、
2、世の中の何処にも存在しない架空の台詞を捏ち上げ、それを「サヨク」の主張だと放言している。
しかもこの2点は、それと分かっていながら確信犯的マキャベリズムで強弁しているのでなく、ただ単に、ズボラで、不勉強で、恥知らずで、美意識のカケラも持ち合わせていないから、何も分からずにそうしているだけの事である。
何だ、ヘイトスピーチと同じ、じゃないか
本来なら、こんな相手と関わり合うこともないのだが、わざわざの手間暇をかけているのは。以下のことを指摘しておきたいからである。
批判という行為に赴くときには、必ず守らねばならぬルールがある。規則より以前の、基本的なモラルに属することである。それは、批判を始める前に、まず批判の対象を聴き手や読者の前にきちんと提示する、という手順のことを言う。
批判の対象が人であるならば、Aさん、貴方のしたこと、主張していることは、こう言うことですね、間違いありませんね、という確認である。だから批判の文章の多くは、対象者の話した事を報ずる新聞記事や、対象者自身の書いた文章などの引用から始まる。これを済ませて始めて、批判の道に踏み込むことが許される。
倉山も大学卒らしいが、大学のゼミで習うのは、この議論の仕方・論文の書き方のルールであったはずだ。私じしん、熱心なゼミの参加者であったとは言えないが、それでも、このルールだけはしっかりと身についている。だからこのサイトでも多くの批判を書いてきたが、必ずその人の主張を確認するところから始めている。
ところが、倉山はこれをしない。
「戦後民主主義」「アメリカンデモクラシー」「グローバリズム」「儒教思想」「韓非子」「マッカーサー」「スターリン」「宮沢俊義」 …… 、たった3行に、これだけ沢山の批判の対象を並べておきながら、何の説明も、引用も、定義も、しようとしない。概念を並べて、ただ気にくわない、と言うだけである。宮沢俊義さんも、急に名前を呼ばれて、訳が分からず困惑していることだろう。どうして私が、マッカーサーとスターリンの横に並べられなければならないのだろう? 歓迎されていない雰囲気だけは、よく分かるのだが …… 、
倉山のやり方を、もう一度整理しよう。
A: 批判対象を勝手に捏ち上げ、無造作にばらまく。
B: それを、キライだ、イヤだ、間違いだ、と決めつける。
C: キライだ、イヤだ、間違いだ、と言うことを、正確には述べない場合もある。斜に構えた嘲笑的な口調で、おれはコイツらが大嫌いなんだ、という気分を醸成し、なっ、分かるだろう、と読み手に同意を求める。
D:なっ、分かるだろう、という仄めかしに擦り寄ってくる者を仲間だとみなす。
このプロセス、何かに似ていないか?
そう、ヘイト・スピーチとそっくりなのである。
現の証拠、倉山は、引用した「逆・教育勅語」のなかに、そのままヘイト・スピーチとして使用できる文言を、こっそり紛れ込ませているではないか。一つは生活弱者に対するヘイト、もう一つはニートに対するヘイトを。
「七、職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。」
「十一、法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。」
国家権力の中枢が、ヘイトに力を与えている
倉山満だけではない。長谷川豊も、元谷外志雄も、森友学園の籠池夫妻も、みな同じ論法を使う。
このような《超・俗論》は何時の時代にもあった。居酒屋や床屋の待合いで、ごく普通に聞くことができた。だがそれらは、所詮、その場限りの酒席の戯言、他愛の無い床屋談義に過ぎなかった。それらが、意見・感想という分限を弁えず、「持論」から「政治的見解」にまで成り上がり、社会的な力を持つようになったのは、ごく最近のことである。
理由は明白、国家権力の中枢がヘイトを擁護しリードするから、である。
森友学園問題は、安倍晋三の必殺「手のひら返し」で、籠池夫妻だけが悪者に仕立て上げられるという奇妙な結末を迎えているが、つい先日まで安倍晋三が籠池夫妻の思想的擁護者であった事を忘れてはならない。
米国では、大統領が「白人至上主義者を積極的に批難しない」として叩かれている。日本では、首相自身がヘイト主義を先導している。それなのに、野党もジャーナリズムもだんまりを決め込んだままである。嗚呼。
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