ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。




ヘイト主義者たちは「六千人という数値が合わない」ことを発見して、鬼の首でも取ったかのように浮かれまくっているが(あの状況でいったい誰が正確な数値のカウントなど出来るのか)、歴史をまじめに学ぶ能力を持たないから、虐殺されたのは朝鮮人だけではない、という事実に気付きもしない。朝鮮人であれ、日本人であれ、普段から虐めまくっていた相手の逆襲を恐れて、あるいは混乱に乗じて、次々と襲いかかる人たちがいたのだ。




まず『亀戸事件』
1923年9月4日夜、関東大震災の混乱に乗じて、南葛 (なんかつ) 労働組合の幹部河合義虎ら組合員9人と自警団員4人、それにアナルコ・サンディカリズム系の労働組合員平沢計七を、警察と軍が虐殺した事件。
革命的労働運動の拠点であった南葛飾地方の労働運動の弾圧をはかったもので、警察は10月10日まで発表せず、日本労働総同盟をはじめとして糾弾運動が起った。

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)


亀戸事件の被害者 平澤計七



同じく 川合義虎



南葛労働組合の組合員たち


被害者の名前と年齢。みんな若者たちだ。どれほど無念だったことか。





次に『甘粕事件』
関東大震災後の1923年9月16日に東京憲兵隊?町分隊長甘粕正彦らが無政府主義者大杉栄らを計画的に殺害した事件。大震災による戒厳令のもとで亀戸事件など軍隊・警察による社会主義者迫害が続いたが、甘粕は東京憲兵隊特高課の森慶次郎曹長と大杉を探索し、この日大杉が妻伊藤野枝と神奈川県鶴見に弟の勇を見舞い、7歳のおい橘宗一をつれて帰宅するところを東京憲兵隊本部に連行し、3人を絞首し、死骸を構内の古井戸に埋めさせた。
(世界大百科事典 第2版)


虐殺された大杉栄

よく「アナキスト」と言われるが、優れた思想家であった。ファーブル『昆虫記』の翻訳者でもある。
男前である。


大杉栄と同時に殺された伊藤野枝

彼女の実践的思想、生き方など、まことにあっぱれ。ほれぼれするよ。
美人だ。
安倍晋三とか古賀俊昭とかが、一番嫌いなタイプの女性だろう、おそらく。


殺害の張本人 甘粕正彦

註:月亭可朝さんではありません


映画『エロス+虐殺』
1970年 吉田喜重監督
『甘粕事件』をモチーフにした映画。でも傾向映画じゃないよ。幻想映画、ファンタジーである。現代への批判意識もたっぷり含まれている。

左より
岡田茉莉子さん
細川俊之さん
楠侑子さん


そのフランス語版ポスター
こっちの方は、まさにエロスだね。
さすがフランス。



甘粕正彦は懲役10年の刑を受けたが、数年で出所。その後、
1930年(昭和5年)、満州に渡り『甘粕機関』を作る。
1931年(昭和6年)9月の柳条湖事件より始まる満州事変の際、ハルピン出兵の口実作りのため奉天に潜入し、中国人の仕業に見せかけて数箇所に爆弾を投げ込んだ。その後、清朝の第12代皇帝宣統帝の愛新覚羅溥儀擁立のため、溥儀を天津から湯崗子まで洗濯物に化けさせて柳行李に詰め込んだり、苦力に変装させ硬席車(三等車)に押し込んで極秘裏に連行した。その他、満州事変に関する様々な謀略に荷担した。
(ウィキペディア)


映画『ラストエンペラー』
1987年
ベルナルド・ベルトルッチ監督
こちらはリアリズムの映画だ。
ラストエンペラー溥儀の孤独と悲哀が見事に描かれている。

この映画に、満州で暗躍する 甘粕正彦が登場する。


演ずるは、坂本龍一。
彼は作曲も担当して、アカデミー作曲賞を獲得した。

溥儀を演じたジョン・ローンは、甘粕役の坂本教授に、二人は相いれない関係にあるのだから、普段から仲良くしないように心がけよう、と言った。そのため、撮影のあいだ、二人はほとんど口を利かなかった。




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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その5
                   平成29年10月10日



 前回「いまや、政治家たちの行動原理は、いかにして主流派の側に属するか、という一点にしか存在しない。だから政治情勢が流動的局面を迎えると、とたんに離合集散の動きが活発化する。まさに今がそれでしょう」と述べた。さらに「そんな彼らが、自分が現政権に対する反逆者ではなく、主流派志向の政治家であることの、身分証明として開示するのが、ヘイトである」とも述べた。
 この後半は少し分かりにくい表現になっている、と思う。言い換えれば「ヘイト主義者である事を表明することで、主流派・多数派に与(くみ)する」ということである。
 まだ分かりにくいか …… 、よろしい、下手な言い換えはやめて、さっそく実例に入ろう。引き続き、小池百合子の場合を例題とする。


小池百合子における、ヘイトの研究 − その3


 小池は、毎年九月一日に東京都墨田区横網町公園で営まれる、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った。前回はこのことを批判した。批判の基軸は、「民主主義が掲げる理念のもと、苦労に苦労を重ねて、やっとここまで育んできた『社会的倫理性』を、いとも簡単に破壊した」という点にあった。
 だが小池は、突然思いついて追悼文を止めたのではない。その前段があったのである。

(東京新聞 2017年8月24日 朝刊)
標題:関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る
本文:
 ……(前略)……
 追悼碑を巡っては、今年三月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。
 これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。
 ……(後略)……

 「今年三月」と言えば、7月の東京都議会議員選挙で、小池が率いる『都民ファースト』(いったい、何がセカンドで、何がラスト、なんだろう?)が、古巣の自民党を、けちょんけちょんにやっつけるより前のことで、まだ多数派だった自民党の都議会議員たちが、入れ替わり立ち替わり、憎っくき小池をねちねちといびり続けていた頃だ。
 ここに登場する古賀俊昭という爺ぃは、後ほど詳しく述べる予定でいるが、もう度し難いヘイト主義者である。その古賀がヘイト主義者としての立場から質問を小池にぶつける。一方、小池と言えば、紛れもなき中年ヘイト主義者、野田数と同行しているぐらいであるから、いわばヘイト主義容認者である。いや、この表現は不適切だな、「ほとんど正体をばらしている隠れヘイト」、あるいは「かろうじてフツーの保守主義者として振る舞っていて、ただ名乗っていないだけのヘイト主義者」と呼ぶのが適当か。
 さあ、こんな風に、実力ちょぼちょぼのヘイト主義者が相対すると何が起こるか?
 もちろんヘイト合戦である。


 新聞記事は、古賀俊昭が「六千余名という数字の妥当性」を問うたと、いかにも古賀が常識的な質問をしたような風に書かれている。この要約は誤りではないだろうが、古賀の質問の核心をリアルに表現しているとは思えない。欧米や旧共産圏の新聞は自らの立場を明確にすることで一貫しているが、日本の新聞はそうではない。自分の見解は曲げたくはないが、どの筋からもお咎めを受けることの無い「客観的な」文章にしよう、「報道の中立性」を逸脱しないようにしようという、余計な配慮が、ミスリードを起こしている。まぁ、これは、日本の新聞の伝統がそうなのであって、この記事をまとめた記者さんを責めるつもりはない。都議会におけるこの質疑応答を記事にしているだけでも、我々にとっては有り難いのである。
 さて、実際はどうであったか。
 古賀俊昭が実際に吐露したままを有り体に要約すれば、こうなるだろう。

 小池さん、あなた、まさか、今年も朝鮮人殺害の追悼文を出すつもりじゃないだろうな。確かに多少の殺害はあったかもしれんよ。だが、六千人は大げさだ、捏造だ。彼らが暴徒化したから鎮圧されたという記録だってある。それ以前から不穏な動きもあった。どっちにしたって、もう一世紀も前の話だ。いつまで不逞鮮人や反日サヨクにおべっかを使いうつもりだ。あなたも首都東京の首長であり、これから都政をリードしてゆくつもりなら、ここらで毅然とした態度を示しなさい。でないと、今後、協力できないよ。小池はやっぱり在日やサヨクを容認している、と思われてもいいのかね。

 ひとことで言えば、古賀は、小池に「踏み絵」を迫った、のである。
 これに対して、小池は、そんな「踏み絵」は必要ない、とも、「踏み絵」の中身が違う、とも言わず、何のためらいもなく「踏み絵」を踏んでみせたのである。

 女だと思って、馬鹿にしないでよ。今までの知事が決断できなかったことに、きっぱりとケリを付けてやる。あなたの前の親分の石原は、私のことを、大年増、と言ったそうね。ふん、大いに結構。大年増の意地を見せてやるわ。

 この問答が、「ヘイト主義者である事を表明することで、主流派・多数派に与(くみ)する」ということの具体例である。分かっていただけただろうか。



東京都議会の議事録を読む


 偏見でものを言うな、とたしなめる人がいるかもしれない。だが、幸いなことに、東京都は都議会の議事録をネットで公開している。この質疑応答の部分を、全部、コピペしよう。要約の手間を惜しんだわけではない。古賀俊昭という爺ぃ、この件におけるヘイト主義者としての持ちネタを全部吐きだしているので、要約のしようがないのである。長くなるが、ヘイト主義者の理論的・心理的根拠は所詮この程度のものであることのサンプルとしてお読みいただきたい。
 『平成二十九年東京都議会会議録第四号』平成二十九年三月二日(木曜日)の議事録である。
 http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/proceedings/2017-1/04.html#08

○議長(川井しげお君) 九十八番古賀俊昭君。

〔九十八番古賀俊昭君登壇〕
○九十八番(古賀俊昭君) まず、都内墨田区に所在する東京都立横網町公園に建つ朝鮮人犠牲者追悼碑などの問題について質問を行います。
 本年は、十万人余が犠牲となった大正十二年の関東大震災から九十四年になります。この震災の混乱の中での不幸な事件により生じたのが、朝鮮人犠牲者であります。
 横網町公園内に朝鮮人犠牲者を追悼する施設を設けることに、もとより異論はありませんが、そこに事実に反する一方的な政治的主張と文言を刻むことは、むしろ日本及び日本人に対する主権及び人権侵害が生じる可能性があり、今日的に表現すれば、ヘイトスピーチであって、到底容認できるものではありません。
 追悼碑には、誤った策動と流言飛語のため六千余名に上る朝鮮人がとうとい生命を奪われましたと記されています。この碑は、昭和四十八年、共産党の美濃部都知事時代に、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会が建てて、東京都に寄附したものでありますから、現在、碑文については東京都に全責任があります。
 本来は、当時、都が受領に際し、六千余名、あるいは流言飛語などの表記、主張に対しては、公的資料などによる根拠を求めるべきでありましたが、何せ共産党を中核とする革新都政でありましたから、相手のいうがままであったと思われます。
 私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」であります。工藤さんは、警察、消防、公的機関に保管されている資料を詳細に調べ、震災での死者、行方不明者は二千七百人、そのうち不法行為を働いた朝鮮独立運動家と、彼らに扇動されて追従したために殺害されたと思われる朝鮮人は約八百人、また、過剰防衛により誤って殺害されたと考えられている朝鮮人は二百三十三人だと調べ上げています。
 この書籍は「SAPIO」に連載され、現在、産経新聞から単行本として出版されています。
 六千余名が根拠が希薄な数であることは、国勢調査からもわかります。日本で初めての国勢調査が、関東大震災の三年前、大正九年に実施されていますが、その中の国籍民籍別人口では、朝鮮人の人口は、埼玉県、千葉県、東京府、神奈川県全てを合わせて三千三百八十五人なのであります。
 流言飛語に関しても、当時の我が国の治安状況を知るべきであり、震災の四年前に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に関与した朝鮮人活動家が多数日本に来て、ソビエトや日本人無政府主義者の支援を受けて頻繁に事件を起こしていたことは、現存する当時の新聞記事からも確認できるのであります。
 また、彼らは、当時皇太子殿下であった後の昭和天皇のご成婚に合わせての危害行動を準備していました。そのほか、現に震災に乗じて凶悪犯罪が引き起こされたことは、具体的に事件としてたくさん報道されています。
 こうした世相と治安状況の中で、日本人自警団が過敏になり、無関係の朝鮮人まで巻き添えになって殺害された旨の文言こそ、公平、中立な立場を保つべき東京都の姿勢ではないでしょうか。
 ところで、六年後の平成三十五年は、関東大震災百周年に当たります。朝日新聞や詐話師であった吉田清治が捏造し、世界中に垂れ流し続けた慰安婦強制連行が完全な虚構であったことが判明した今、次に関東大震災百年を捉えて、朝鮮人犠牲者への我が国の謝罪と補償をいい募ってくる可能性があることは否定できません。だからこそ、知事の判断は国益にもかかわることであり、重かつ大であるといわなければならないのです。
 都立横網町公園には、平成三十二年東京五輪に向けて多くの外国人が訪れます。また、公園施設を管理運営する公益財団法人東京都慰霊協会が発行している子供向けの冊子、「たんけん!都立横網町公園」は、今はやりのポケモンが表紙を飾り、全てにルビが振られ、わかりやすく解説が加えられているのはよいのでありますが、当該追悼碑の写真と「誤った流言飛語」と表記されており、さらに、聞き覚えのない「アジア・太平洋戦争」なる左翼用語が使われています。これは見直すべきでしょう。
 歴史の事実と異なる数字や記述を東京都の公共施設に設置、展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが、知事の所見を伺います。
 また、小池知事は、昨年九月一日、同公園で行われた日朝協会が事務局を務める関東大震災犠牲者追悼式典に追悼の辞を寄せています。当組織の案内状には、六千余名、虐殺の文言があります。
 なお、この団体は、昨年は申請したようでありますけれども、過去、公園占用許可申請書を一度も提出することもなく公園を使用していたほか、都立公園条例で行為の制限条項により、改めて知事の許可を必要とする広告宣伝、物品販売を堂々と行っていました。
 東京都を代表する知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、今後は追悼の辞の発信を再考すべきと考えますが、所見を伺います。
 次に、戦没者慰霊について知事に質問いたします。
 毎年めぐり来る八月十五日は、昭和五十七年、戦没者を追悼し、平和を祈念する日として閣議決定され、国民が戦争と平和について思いを深める象徴的な日であります。祖国日本の危難に際し、国安かれと一死をもって戦陣に倒れた英霊をお祭りする靖国神社参拝は、ご遺族、戦友が年ごとに減少をたどる中、知事の大きな責務の一つとして重みを増しつつあると考えます。
 靖国神社は、二年後、平成三十一年に、ご創立百五十年の節目の年を迎えることから、昨年より記念事業として、本殿などの改修工事や境内の整備工事等が進められています。広範な国民の賛同も当然必要となりますが、東京都においては、知事の八月十五日の参拝が何よりの奉賛となり、記念事業成功への弾みをつけるものとなると思うのです。
 かつて石原元知事は、知事就任の翌年の平成十二年から毎年、五輪招致活動で海外出張の年を除き、八月十五日の参拝を任期中行いましたが、後に続く二人の知事は、八月十五日の靖国神社参拝を見送り、なぜか任期半ばで退陣に追い込まれました。
 ちなみに、歴代総理のサンフランシスコ講和条約調印後の靖国神社参拝状況を見ますと、不参拝の総理の内閣は短命であったり、任期途中で退陣を余儀なくされていることの事実は偶然でしょうが、何か暗示的であります。
 知事、中韓の内政干渉は歯牙にもかけず、神霊とご遺族の心情に応えられてはいかがかと思います。
 東京五輪への支障など全くありません。否、むしろ逆でありましょう。所懐を伺います。
 アジア大都市交流について、次に質問いたします。
 平成十三年に設立されたアジア大都市ネットワーク21は、現在、総会が休止状態にあるわけですが、環境、交通、治安、感染症対策など、アジア主要都市の首脳が一堂に会する意義は大変大きいと思います。
 日本、東京への期待も大きいものがあります。北朝鮮の核実験、ミサイル発射、中共の南シナ海での埋め立てや軍事基地の建設など、アジアには大きな危機が存在しています。ぜひ日本、東京への期待を考えれば、再開に向けた検討を加えるべきだと考えますが、いかがでしょうか。
 道路、橋梁の整備について、次に伺います。
 多摩川にかかる日野市と立川市を結ぶ日野橋のかけかえに向けての手続が、今、進められています。大正十五年にかけられたこの橋は九十一年を迎え、歩道も一・五メートルと狭く、建てかえへの期待は大きく高まっています。
 日野橋は、今年度の取り組み状況、予算上での状況は把握はしておりますけれども、改めて、今日までの取り組み状況と、平成二十九年度の事業計画の内容を伺います。
 次に、JR日野駅から北に延びる日野都市計画道路三・四・一七号立川日野線の多摩川にかかる仮称富士見橋の計画について、現在、整備効果が期待をされ、これまた市民の期待は高まっています。渋滞解消、防災基地との接続、いろいろあります。当事業の進捗状況と今後の見通しについて伺います。
 最後に、五輪憲章について伺います。
 五輪憲章を読みますと、オリンピック憲章の定める権利及び自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自、その他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならないと書かれています。この憲章に照らして、平成三十二年、東京五輪ゴルフ会場となる霞ヶ関カンツリー倶楽部が、女性を正会員と認めていないことが、五輪憲章に反するとして問題になっているわけです。
 五輪憲章に反するという指摘は当然だと思いますけれども、しかし、考えてみますと、東京都の交通局が運行する、あるいはその他の民間鉄道もそうでありますけれども、Women Onlyと表示した車両が東京都中を走り回っています。これも開催都市として再考するのも一案かと私は考えるわけでありますけれども、本件については、知事は違和感を全く感じないのか。この五輪憲章との兼ね合いでお答えいただければと思います。
 一般質問を終わります。(拍手)

〔知事小池百合子君登壇〕
○知事(小池百合子君) 古賀俊昭議員の一般質問にお答えを申し上げます。
 まず、都立横網町公園におけます関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑についてのご質問でございます。
 この追悼碑は、ご指摘のように、昭和四十八年、民間の団体が資金を募集し、作成したものを受け入れる形で、犠牲者の追悼を目的に設置したものと聞いております。
 大震災の際に、大きな混乱の中で犠牲者が出たことは、大変不幸な出来事でございます。そして、追悼碑にある犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知はいたしております。
 都政におけますこれまでの経緯なども踏まえて、適切に対応したいと考えます。
 そして、この追悼文についてでありますけれども、これまで毎年、慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方において、例に従って送付したとの報告を受けております。
 今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします。
 靖国神社への参拝についてのご質問でございます。
 私は常に、そしてどこであっても、戦火の中で亡くなられた諸先輩方々への崇敬の念を心に抱いている一人でございます。それは、今日、私たちが享受している平和と繁栄が、まさしく戦没者の方々の祖国発展に対する強い願い、そしてとうとい犠牲の上に築かれているものとの思いからでございます。
 終戦の日、八月十五日に靖国神社を参拝することの重要性につきましても、異論はございません。
 一方で、都といたしましても、毎年この日に戦没者追悼式を開催していることはご指摘のとおりでございまして、指摘はされませんでしたかね、されましたかね──はい。私はその主催者の一人といたしまして、昨年もご遺族の皆様に直接寄り添いまして、皆様とともに、全てのみたまに対する深い追悼の意を表したところでございます。
 今後とも、戦没された方々の思いを受け継ぎまして、首都のかじ取りを担う都知事として、東京ひいては日本を希望にあふれた平和な都市国家として発展させていきたいと考えております。

                            −−−(コピペ 終わり)−−−

 それにしても非道い問答じゃないか。
 「先進国」日本の、「民度」に於いても最高位にあるはずの首都東京の、その代表者たちで構成される東京都々議会で、白昼堂々「ヘイト合戦」が行われている。この質疑応答のあいだ、君の発言はおかしいと、議長が制するわけでもなく、緊急動議を出す者もおらず、野次一つ飛ばずに粛々と議事が進行し、最後に拍手まで起こっているのだとしたら、都議会における民主主義はすでに死滅していると言わざるを得ない。どいつもこいつも、地獄へ堕ちろ。

 この古賀という爺ぃ、やけに石原慎太郎を持ち上げるな、と思ったら、もう25年も都議会議員をやっていて、ウィキペディアによれば「1999年以降の石原都政に於いて、自民党の田代博嗣都議や、民主党の土屋敬之都議とともに『都議会三羽烏』『石原三羽烏』と称され、石原慎太郎都知事をサポート」した、とある。

 これ、事実なんだよな?
 だったら、なぜ、その時に、「知事が歴史をゆがめる行為に加担すること」だとして、追悼文の停止を石原に提言しなかったのか? 機会はいくらでもあったはずだ。なぜ、今頃になって、都議会という公開の場で、これ見よがしに、その案件を小池にぶつけるのか?
 首尾一貫していないだろう、あんた。
 当時は知らなかった、とは言わせない。古賀よ、お前、ずっと一貫して筋金入りのヘイト主義者だったじゃないか。この質問内容は、いままでずっとあちこちで言いふらしてきた、お前の持論だったはずだ。2008年には『日本人なら知っておきたい近現代史50の検証』という本まで出している。ヘイトも方便、と言うわけか? 見下げ果てた性根じゃないか。

 だが、この古賀という爺ぃを、困ったヘイト主義だ、まともに批判するにも当たらない、と簡単にかたづけるわけにはいかない。この、たった一握りの、困ったヘイト主義者たちが、歴史の結節点において、時代を反動化させる因子として働く。保守はヘイト主義を梃子にして、歴史を逆行させるのだ。次回は、今世紀に入ってからの、その典型的事例を検討する。

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 −−【その5】了−− ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 目次へ