ゴジラは怖い。神の火を盗んだ我々を罰しに来るのだから怖い。
                                        彼は繰り返し首都に向かい、権力の中枢を破壊しようとする。
                                        これが意味するところを噛みしめるべきである。







孟子
『無恒産而有恒心者』
(恒産無くして恒心有る者)
現代語訳(マナペデイア)より

安定した収入がなくても常に定まっている正しい心を持つということは、ただ学問教養のある人だけができるのです。
一般庶民なら安定した収入がなければ定まった心を持つことはありません。
もし安定した心がなければ、勝手気ままに、わがまま放題に悪い行いをしないということはありません。
(罪を犯す要因を知っていながら国民が)罪を犯したときに、罪を犯した後にこれを処罰することは、国民を(罠をはって)網にかけるようなものです。
どうして人徳のある人間が(国を治める)位にありながら、国民に網をしかけて捕まえるようなことをしてよいでしょうか、いやよくありません。
このために過去の時代の名君は、国民の生業を定めるために、必ず(自分からみて)上は父母に十分に仕えられるように、下は妻子を十分に養えるように、そして豊年の年には腹一杯食べることができ、不作の年にも餓死をさせることなく、そのようにしてから国民を励まして善い行いをするように仕向けました。
そのために国民は君主に従うことがたやすかったのです。
(しかし)昨今は国民の生業を定めるために、(自分からみて)上は父母に仕えるのに十分ではなく、下は妻子を養うのにも十分ではなく、豊作の年でも終始苦しみ、凶作の年には餓死を免れることができません。
これでは(国民は)、餓死することを免れようとするも(そのための)力が足らないことを恐れている状態です。
(このような状態で)どうして礼と儀をおさめる余裕があるでしょうか、いや、ありません。


−−−−−−−−−−−−−−−−

この『無恒産而有恒心者』は、高校の漢文で習った。史的唯物論がほぼ完成形態に達している、しかも君子たるものの心得としてこれを説いている、と生意気な高校生は考えた。

孟子といえば『孟母三遷』の逸話が有名であるが、


ネットで検索してみると、教育ママの元祖みたいに扱われている。
































金時鐘

『彼岸花の色あいのなか』(抜粋)
 
どこに行きつく日日であろうとも
終わりはいつも終わらないうちに終わっていくのだ。
またそのさきのどこかのへりで。
 
わたしを彼岸へ乗せていきませ。
見果てぬ涯のはてない祈り
摩訶曼陀羅華曼珠沙華
(まかまんだらげまんじゅしゃげ)。
 
なぜ日本では
マンジュシャゲがシビトバナで
チョウセンアサガオはマンダラゲなのか。
 
夏の茂みに尾羽打ち枯らし
叶わぬ思いが毒をひそめる。
それでも花を彼岸におくのか。


−−−−−−−−−−−−−−−

彼岸花=曼珠沙華


朝鮮朝顔=曼荼羅下


華岡青洲は全身麻酔薬『通仙散』を開発したが、その原料の一つが朝鮮朝顔の実であった。


それに因んで、日本麻酔科学会のシンボルマークには、朝鮮朝顔の花が採用されている。






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ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 その14
                   平成30年03月18日



3月12日の国会


 3月12日(月曜日)、この日森友学園に関する『普通財産売払決議書』の《改竄前》文書が国会に提出されることになっていた。前日から、その文書には安倍昭恵を始めとして複数名の政治家の名前が記されている、と報道されている。確か去年の今頃、安倍晋三は、森友学園の不正に関して私と妻が関わっていたという証拠があれば、総理大臣も国会議員も辞める、と啖呵を切っていたはずである。その"証拠"となるものが開示されるのである。
 ここに至って、安倍はどう申し開きするのだろう。野次馬根性がこらえ性なく膨れあがり、私は何度もニュース・サイトをのぞいていた。

 念のため、"You Tube"で検索してみた。平成29年 2月17日の衆議院予算委員会で、民進党福島伸享議員の質問に対して、安倍はこう答えている。
  https://www.youtube.com/watch?v=Wzb3x599ouk

 (20分40秒を過ぎたあたり)
 私がですね、妻がですね、えー、この、ほー、認可、あるいは、この国有地払い下げにですね、えー、もちろん事務所も含めていっさい、これは関わっていないことは、えー、明確にさせていただきたいと思います。もし関わっていたんであればですね、これはもう、私は総理大臣を辞めるということでありますから、これはハッキリともうしあげたい、とこのように思います。

 間違いない。「いっさい関わっていない、もし関わっていたのであれば辞める」と明言している。同じ趣旨の発言を何回か繰りかえしているかも知れないが、この一例で十分だ。いよいよ年貢の納め時、と云うやつだ。安倍は、平身低頭して、申し訳ございませんでした、総理大臣と国会議員を辞職させていただきます、と言うだろう、 …… と、私は素直に考えていた。

 最初に登場したのは菅義偉で、木で鼻をくくったような無愛想さで、現時点で私の口から申しあげることは何も無い、と言った。
 しばらくすると麻生太郎が出てきて、下手な浄瑠璃語りのように口元を歪めたダミ声で、何やら意味不明のコメントを述べた。頭を下げることさえしない。
 何だ、これは、いつもと同じじゃないか、とうてい謝罪の姿勢ではないぞ。

 夕刻近くになって、やっと安倍晋三が首相官邸での記者団の取材に応じた。
 悪い予感が的中する。
 例によって、せかせかとした落ち着きの無い不明瞭な口調であるが、彼は「謝罪とは別の何か」を喋り始めた。私は、彼が何を言おうとしているのか、全く理解できなかった。これは比喩ではない。想定している範囲から余りにもかけ離れた角度から文言が発せられると、我々はそれを、意味を持った言葉として認識することが出来ないのである。方向感覚を失った渡り鳥のように、私の認知能力は、中空で、ばらけ、よじれて、再統合が出来なくなった。当たり前だが、どのニュース・サイトでも安倍は同じ台詞を繰り返していた。もうPCの電源を切るしかなかった。


『森友学園問題』が『文書改竄問題』にすり替えられる


 新聞報道によれば、安倍はこう述べた、という。

 本日、財務省から文書を明らかにした。行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、行政の長として責任を痛感している。国民の皆様に深くおわびを申し上げたい。
 国民の皆様から厳しい目が向けられていることを真摯に受け止め、なぜこんなことが起きたのか、全容を解明するため調査を進めていく。麻生財務大臣にはその責任を果たしてもらいたい。その上で、全てが明らかになった段階で、二度とこうしたことが起きることのないように信頼の回復に向けて、組織を立て直していくために全力をあげて取り組んでもらいたいと考えています。


 えっ、えっ、えっ−−−−−−? と、叫んでみたくなる。
 いつの間に、「森友学園に対する安倍晋三の責任問題」が「財務省における文書管理責任の問題」に、すり替わったのだろう?

 この台詞で、私が真っ先に思い浮かべたのは、長い会社勤めの中で出会った、何人かの(多くの、ではありません、念のため)経営者の奇妙な性癖である。長期にわたっていわゆるイエスマンだけを周囲に侍らせているので、どんな身勝手な理屈を繰り出しても、はい、その通りです、社長、と同意してもらえる。それは「身内」の中だけで行使できる特権なのだが、ときたま調子に乗って、「外の社会」に向かっても同じことをしてしまう。タクシーの運転手や料亭の仲居に向かって、ぞんざいな口を利く程度ならご愛敬なのだが、ある会社の専務取締役営業部長(創業者の息子だった)のレベルになると実害を生ずるようになる。
 この専務、だれかれ無く社員をみそくそに怒鳴りつけることで嫌われていたのだが、取引先の社員に向かっても罵倒の言葉を浴びせかけることが度々あった。専務、うちの社員をそんなに叱らないでくださいよ、とやんわりたしなめられても、目玉をパチクリさせるばかりで、いや、こりゃ失敬、とその場を収める言葉も吐けないでいた。自分の発言に異を唱えられるという経験を忘れてしまっているのである。

 安倍、麻生、管、といった人たちは、みな、この「専務」のような人なのだろう。まさに、現政権のダンジョン(地下迷宮)に棲み着く魔物。それに、日本最大の、ヨイショの達人の口入屋『電通』から、プランナーとかコンサルタントとかを名乗る太鼓持ちが加わるのだから、もう手が付けられない。ダンジョンの内部でしか通用しえない手前味噌を、人前で披露して恥ずかしく無い程度に翻訳してくれる。マネー・ロンダリングならぬ、コメント・ロンダリング。
 安倍は「なぜこんなことが起きたのか」と、財務省、いや、近畿財務局の現場の不祥事を大仰に嘆いてみせる。疑惑を質されているのは自分であったこと、を見事に忘却している。忘れたふりをしているのではない。悪いのは近畿財務局の現場だ、と本当に信じているのである。ヨイショ、ヨイショ、でおだてられ、それがあまりにも長期に及んだから、精神の退行現象(幼児が赤ん坊のように振る舞うこと、赤ちゃん返り:ブリタニカ国際大百科事典)に陥っているのだ。もう、政治的倫理性で安倍に迫っても、彼の耳に届くことは無い。


新聞記者のボイス・レコーダー化】


 しかし、コメントとは、聞く相手がいるから成立する関係性である。
 この時、コメントの聞き手であった新聞記者たちは、いったい何をしていたのか。

 「総理、そのお言葉は、あなたに向けられている疑惑に対する回答になっていません」
と、論理の逸脱を指摘する記者は一人もいなかったのであろうか?


 あるいは、もっと端的に、
 「辞職する意志はお持ちなのですか」
と、問いただす気骨を持った記者はいなかったのだろうか?

 もとより「しつこく質問を繰りかえす」東京新聞の望月記者のような人は、はなから首相官邸からは排除されているのだろうが、もしそうなら、ずらりと記者を侍らすような無駄は止めて、新聞社の数だけボイス・レコーダーを並べておけば良いのだ。スマホだってそれくらいの機能はあるだろう。


森友学園問題 とは 思想的疑獄である


 ちょうど一年前、森友学園問題が国会で取りあげられ始めた頃、この『ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃』を書き始めた。当初私は、「森友学園問題とは思想的疑獄である」と繰り返し述べている。自分の書いた文章を引用するのは気が引けるが、【その3】でこう書いた。

 森友学園問題とは何か? 国有地払い下げが法外なディスカウントによって行われたことか? それに内閣総理大臣を始めとする政治家たちや、中央・地方の行政官たちが、陰に陽に関わっていた(らしい)ことか? 確かにこれは大きな問題であろう。だが、森友学園問題の本質がそこにあるとは思えない。籠池夫妻と政治家や行政官の関わりが、日本の権力機構中枢におけるヘイト主義の連鎖を浮かびあがらせた。森友学園問題とは思想的疑獄なのである。
 籠池夫妻とは、「日本に在住する極めて少数派のK国・C国等の人たち」に対する醜悪な差別意識に、骨の髄まで侵蝕された人たちである。その籠池を、内閣総理大臣が、国会の答弁で「私の考え方に非常に共鳴している方」「教育に対する熱意は素晴らしい」と堂々と擁護した。


 籠池夫妻を「私の考え方に非常に共鳴している方」「教育に対する熱意は素晴らしい」と評価する安倍の発言は、まさに、上に引用した、平成29年 2月17日の衆議院予算委員会の答弁のなかに出てくる。森友学園に関わっていたならば総理大臣も国会議員も辞める、と啖呵を切っている部分の少し前である。森友学園問題で追及されているその場面で、何の躊躇も無く、籠池夫妻のヘイト主義に対する共感を表明しているのである。

 近年、いわゆる西欧先進国においては、みな一様に、ポリティカル・コレクトネスへの失望感が蔓延し、安易なポピュリズムと排外主義的民族主義への傾斜が進行している。その原因は、手っ取り早く言えば、いわゆるグローバリズムによって、西欧先進国諸国労働者の『後進国』労働者に対するアドバンテージ(優位性)が消失してしまった、ということにある。早い話、先進国の労働者が貧乏になった、と言うことだ。まさに、孟子の「恒産なくば恒心なし」が現実問題となっている。
 ただし、その西欧諸国においては、政府や政治首脳たちは、何とか今まで通りにポリティカル・コレクトネスの方向に舵を取ろうと腐心・努力している

 たった二つの例外が、アメリカ日本である。この二国においては、事もあろうに、国家の最高権力者自身が、ヘイト主義を先導しているではないか。
 だが、アメリカと日本では大きな差異がある。アメリカでは、「殿のご乱心」にも関わらず、各行政府やジャーナリズムはきちんと平常心を保っていて、「殿」の対抗勢力として機能しているのに対し、我が「誇りある」日本では、あの籠池氏がいみじくも言い当てたように、ほとんどの行政府とジャーナリズムは「殿のご意向の忖度機関」に成り下がっている。


リベラルの言葉は、「在日」の日常に届いているか?


 立憲民主党や朝日新聞などの「リベラル」はどうなのか、と問われれば、まことに残念ながら、批判勢力としての実力をほとんど喪失している、と言わざるを得ないだろう。何度も言うが、彼らの論説には「森友学園問題とは思想的疑獄である」という視点が欠落している。批判の水準が低いのである。正体は保守であるが、今は主流派には属することが出来ないでいるので、とりあえず安倍政権を批判しておこう、といった連中の論調と大差ない。
 だから、安倍の忖度集団たち、ネトウヨどもに、「立憲やアサヒやリベラルの連中が騒ぐから、国会審議が遅れる」などと皮肉られ、有効な反論も出来ないでいる。

 「立憲やアサヒやリベラルの連中」たちは、自分たちが理不尽な批判を受けていると憤慨しているであろうが、そうではない。「反日」という責め言葉をよく吟味していただきたい。安倍の忖度集団やネトウヨどもは、「立憲やアサヒやリベラルという反日」の背後に「在日」を見据えている。「立憲やアサヒやリベラルという反日」は、たんに鼻の先で嘲笑されているにすぎない。安倍の忖度集団やネトウヨどもの、憎悪の行きつく先は、「在日」なのである。

 この1月に発行された、『「在日」を生きる ある詩人の闘争史』(集英社新書0910A)という本から、2ヶ所引用させていただく。佐高信さんが金時鐘(キム・シジョン)さんにインタビューしたものが文章化された本である。憎悪の標的とされる側の日常をリアルに感じとっていただきたい。

(佐高信); 今、森友学園に象徴されるように、いびつなナショナリズムを鼓吹して勢いづく人たちを見ると、時鐘さんのなかに蘇ってくるものがあるのではないですか?
(金時鐘); それは当然、自分の生理反応としてあります。不気味だしこわい。本当にぞっとする。日本人の意識の底で滞っていたものが、世代を継いでとうとう大っぴらに流れ出てきた感じですね。
 森友学園問題は大きな事件になりましたが、実はそれ以前から、教育勅語を義務教育の徳目として再生させようとする動きが、10年前、20年前からあるんですよね。安倍首相はその旗振り役の最たる人でした。
(22ページ)

(佐高信); …… ここ数年、在日の人たちの集住地区である鶴橋でも在特会(在日特権を許さない市民の会)のへイトスピーチが行われるようになりましたよね。
(金時鐘); 日本の心ある市民たちが向かい合つてやり合つてくれているのと、法整備が少しずつできてきたのとで、以前ほどではありませんが。でも、許せないです。僕がいちばん案じたのは、うちの同胞の誰かが、彼ら排外主義者を襲ったらどうしようかということでした。それがずっと気になつていました。本当に聞くに堪えない。はらわたが煮えくり返る。「ウジムシ」「このコキブリめ」「踏みつぶして口に入れたろうか」と、そんなことを言う。それがまた、手提げ鞄(かばん)を持つたホワイトカラーの人たちが隊列におるんだよね。
 あの人たちの前で僕は完全に無力感に陥ります。説明をして説明が通じる相手ではない。金嬉老(きんきろう)事件のときにも僕は言ったんだけれど、自分の思いのなかのテロリズムが首をもたげるんです。しかしそれでは差別を煽動(せんどう)する彼らの思う壺(つぼ)でね。方法は一つ。現場から離れなさい。心ある日本の人たちが盾になってくれるからと、若い人たちに言ってきたものです。何か事件になったら警察はこっちを引っ張っていくんですよね。
(29ページ)

 ヘイト主義によって、「在日」の日常は、「自分の思いのなかのテロリズムが首をもたげる」までに追い込まれている。金時鐘さんは、臆すること無く、ヘイト主義に「それ見ろ、在日はテロを目論んでいるぞ」といった無用の言質(げんち)を与えかねない表現に踏み込んで話をしている。

 リベラルが、「心ある日本の人たち」として「盾」になりうるには、金時鐘さんの表現に多くを学ばねばならぬだろう。安全地帯に踏みとどまったままで、己の思想表現は可能なのだろうか? 


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 −−【その14】了−− ヘイト発言、人間の倫理性に対する攻撃 目次へ