難波駅を出た電車がわずかに右にカーヴすると、つり革に掴まっていた男たちは一斉に右側の窓から外を見やった。
 ほんの一瞬、大阪球場のスコアボールドが見えるからだ。
 私の家は球場から1キロ以上も離れていたが、物干し場にあがると、観客のあげる歓声が風に乗って流れてきた。
 確かに昭和のある時代まで、私たちは「自分の五感で直接」社会の動きを感じとっていたのだ。                           








今回は本文中に絵になるような部分がまったくない。黒川弘務のツラなど、誰も見たくはないだろう。





そこで、たまたま引用した、
永井荷風(1879〜 1959)の
『墨東綺譚』(1937年;昭和12年)
ただ一本でまいります。





『墨東綺譚』発行の翌年
(1938年;昭和13年)の荷風

雑誌「映画之友」八月號に掲載された写真。
浅草「オペラ館」の楽屋での撮影。
この劇場で上演されるオペレッタの台本を書いていた。
我々のよく知っている、戦後のないふりかまわぬ爺さんになった荷風ではなく、なかなかダンディである。





岩波書店から発行された初版本。
ヤフオクに出品されていもの。

比較的安価に(確か \4,400- ぐらい)落札されていたのは、出版された部数が多かったからか?





初版以来、
木村荘八(1893〜1958)の描く挿絵が、一過して使われている。
『東京国立近代美術館』に相当数コレクションされていて、閲覧可能になっている。全部コピペさせてもらった。
では、ごゆっくり、どうぞ。


























































新潮文庫版にも、
木村荘八の挿絵が転用されている。






第1回目の映画化は、
豊田四郎(1960)



主演は
種田順平:芥川比呂志
お雪:山本富士子






2回目の映画化は、
新藤兼人(1992)



主演は、
津川雅彦と、
墨田ユキ

新藤兼人流のエロティシズム全開の映画になっていた。津川雅彦は、好色中年男を演じれば、ツボにはまりますね。演技でなく、地そのものに見える。それが芸なのだろう。ポルノグラフィのお手本みたいな映画だ。


因みに、どちらの映画も、登場人物の名前は原作とは一致しないが、ヒロイン名だけは、一貫して “お雪” である。




以前、荷風の諸作品に接するには、岩波書店の全集が頼りであったが、今では『青空文庫』で気軽に読むことができる。
現在97作品がテキスト化されている。利用しないという手はない。





     ページの上段へ

黒川弘務よ、辞任して済む話か?
        『カルロス・ゴーン vs 東京地検』 その7
                   (2020年06月08日)


黒川弘務批判の、驚くべき超低水準


 黒川弘務の東京高等検察庁検事長辞任については、何も書かないでおこうと考えていた。マスコミはさんざんニュースのネタにしたであろうし、すでに多くの人たちが批判の声をあげている。今さら屋上屋を架することもあるまい。愚劣なる精神を批判するには、愚劣なる言葉を用いるしかなく、愚劣なる言葉は、口にするだけでこちらの精神が荒廃する。愚劣さは伝播する。これは ‘N-95マスク’ でも ‘入念な手洗い’ でも防ぎようがない。そう考えてしばらくのあいだ耐えていた。
 だが、考えを改めて、少しばかり書いてみることにする。野党やマスコミの批判が的を射ていて、いささかでも我々の溜飲が下がるのであるならば黙してもおられようが、例によって彼ら・彼女らは、批判にならぬ批判を、止めもなく垂れ流している。
 まず、この腰巾着的小悪人、黒川弘務本人がどう述べているか、を確認しておこう。


辞めたらエエのやろ、辞めたらぁ、が黒川弘務の謝罪


 内閣腰巾着男黒川弘務は、5月21日に以下のようなコメントを出している。謝罪コメントのつもりなのだろう。謝罪ならば、どういう立場からの、誰に向かっての謝罪なのか、が明確にならなければ、聞く側にも受け取り方というものがある。そこで、どのような媒体で、誰に向かって出したコメントなのか? それを確かめたかったのだが、その出所は確認できなかった。まさか、会見を開いて頭をさげたりはしていないだろう。検察のホームページにも載せられていないだろう。おそらく、大手メディアにファックスでも送りつけ、それで済ませたのだろう。それで、はい、はい、おしまい、謝罪は済ませたよ、という訳か。これが、大臣官房長や法務事務次官を歴任し、高検の検事長まで登り詰め、挙げ句の果て、世間を騒がせた男の辞め方なのか。出所を曖昧にしたまま報道する、マス目ディアも救いがたい。
 まぁ、グッチっていても仕方ない、新聞報道をそのままコピペしよう。
 次のとおり、たったの3文節、 135文字(空白除く)、これで全てである。

 本日、内閣総理大臣宛てに辞職願を提出しました。
 この度報道された内容は、一部事実と異なる部分もありますが、緊急事態宣言下における私の行動は、緊張感に欠け、軽率にすぎるものであり、猛省しています
 このまま検事長の職にとどまることは相当でないと判断し、辞職を願い出たものです。


 「猛省しています」とは笑止千万。この腰巾着男、何も反省しとらんではないか!
 辞めたらエエのやろ、辞めたるがな、と居直っているとしか読めない。
 国民に喧嘩を売っているのか、あんた。

 「この度報道された内容は、一部事実と異なる部分もあり」だと!
 この期に及んで「オレにはオレの言い分もある」と言っているのと同じだろう。
 どうせ、「会食に合意したのは性交渉に合意したのと同じ」という強姦魔山口敬之や、「広く募ったが募集はしていない」というアイム・ソーリー安倍ソーリーの言い分と、同種・同程度のものだろう。もし本当に言い分があるのなら、森まさこ法相の言うとおり「身の潔白を主張するのであれば、堂々と証拠を出して、具体的に立証活動をするべき」であろう。法曹界のベテランだろうが、あんた。

 「緊急事態宣言下における私の行動は、緊張感に欠け、軽率にすぎる」だと!
 するってぇと、何かぃ、お前さん、博奕をしたのが「緊急事態宣言下」だったからダメだった、とでも言いたいのかえ。
 緊急事態宣言下であろうが、空襲警報発令下であろうが、火山の噴火時であろうが、巨大隕石衝突の瞬間であろうが、してはならぬ事はしてはならぬ、が原則であろう。殺人容疑で判決を受けた被告が、裁判長から、被害者とその家族に対し何か一言ありますか、と促されて、よりによってアマゾンのタイム・セール中に人を殺めてしまってまこと申し訳ございませんでした、と謝罪するようなものだ。

 この様なコメントを出して恥じぬ精神は理解不能だが、はい、そうですか、お疲れ様、とそれを受理する内閣総理大臣の精神も理解不能であり、何の論評も加えずに報道するマスコミの精神も理解不能である。お前ら、全部、クズだ、クソだ。
 あー、いかん、いかん。もう愚劣さに感染してしまったではないか。


国会議員たちの呆れた議論、その歯切れの悪さの由来は?


 黒川処分の是非・軽重をめぐって国会で議論された、と報道されている。ネット検索してみたら、6月5日の参議院本会議の動画がヒットした。
 あーぁ、例によって議員どもは、与野党とも、浮き世離れした議論を「闘わせて」いるではないか!

 野党議員「賭博の常習性を示す事実が報道されている」と言い、森まさこ法相「常習として賭博をしたものとは認められない」と答え、さらに「黒川氏の勤務延長や黒川氏に対する処分は、いずれも適正に行われたもので、また、検察庁法改正案の内容も適切なものであって、これらの適否を(検察行政刷新)同会議の議題とする考えはありません」と述べている。

 もう、馬鹿に付ける薬は無い、と慨嘆するより他はない。「常習性の有無」を議論することに何の意味がある? 事の成り行きで、たった一人を殺めてしまっても、殺人は殺人ではないか。
 この議論、原発再稼働の是非が、原発の立地が活断層であるか否かの議論に矮小化された例、あるいは、消費税増税の是非が、特別税制適用品目の議論にすり替えられた例、にソックリですね。今後私は、国会議員のことを、“そんな問題でしょうか?”オジさん、“そんな問題ではないだろう”オバさん、と呼ぶことにする。

 攻める側は、「訓告」なんぞは生ぬるい、うん千万の退職金を手にして悠々自適の生活とはけしからぬ、「懲戒免職」処分にして天下り再就職の道を閉ざし、一銭のゼニも与えず放り出し、極悪人の末路はこうだと国民に示せ、とハッキリ言えば良い。
 そう言い切れないのは、攻める側の心理が屈曲しているからである。
 実際のところ賭け麻雀や野球賭博などはごく当たり前に行われているではないか、正直に言えばオレだってそれに手を染めたことがある、信号無視やら、立ち小便やら、飲酒運転やら、ちょっとした小銭の収賄やら、秘書を ‘このハゲ!’ と罵ったことやら、事務所の女性へのセクハラやら、バレたら具合の悪いことはオレだってゴマンとある。だが、それにしても、黒川のやつ、今までうまく立ち回ってきてさんざん甘い汁を吸い、しくじってもうん千万の退職金とは〔裏山〕しいかぎりだ、それが訓告処分では此方人等(こちとら)の腹の虫がおさまらねぇ …… 。このアンビバレントな心理を整理できないから、攻撃の矛先が鈍って当然だろう。

 答弁する方も、厳しい処分を出して大見得を切ってみせれば、大向こうの拍手喝采を浴びること間違いなし、前段の紆余曲折のゴタゴタは無かったことにして、キッパリと今の自分の厳しさを顕示すれば良いはず …… なのだが、何とも歯切れの悪い、もごもごした話しぶりである。
 こちらの方も心理が屈曲しているから、仕方がない。
 今は黒川が槍玉にあがっているが、明日は我が身のことになるやもしれぬ。厳しく対応すれば、それが前例となって、この私だってトコトンとっちめられることになることになる。今、介錯役を買ってでて、バサッ、とやれば、次は私が首をちょん切られる。くわばら、くわばら。

 攻めるも、守るも、このありさま。天気晴朗なれど波風たてるな。だから、何とか当たり障りのない納めどころに持って行くより他はない。ただし、黒川処分という問題を国会レベルで議論しないわけにはいかないから、茶番でお茶を濁した、というが実際のところなのだろう。


‘謝罪することの意味’ すら見失った時代


 異様である。
 まず本人の弁明が異様である。次に国会の議論が異様。さらに、こんな恥知らずの言動が、マスメディアで、何の論評も加えられることなく堂々と報じられるなんて、これまた異様。異様、異常を通り越して、卑猥。もう、伏せ字、べた塗りで隠蔽するより方法がない。

 もう脱力モード全開なのだが、気を取り直して、黒川の謝罪コメントにもどろうか。
 もう一度、よーく、考えなおしてみよう。

 それにしても、何時から、われわれ日本人は、きちんと謝罪することすら出来なくなってしまったのだろうか? 

 以前、安倍晋三や橋下徹の云う‘謝罪’が謝罪になっていないことを指摘したことがあった。その時、例に引いたのは、映画『無法松の一生』の富島松五郎(三船敏郎)である。その教訓は、謝罪をするなら一切言い訳をするな、誠心誠意謝罪せよ、という、ごく単純なことであった。言いかえれば、「悪いのは私です」と言い切る、ということだ。

 それほど昔に溯らなくとも、生々しく思い出される例がある。
 1997年(平成 9年)11月、山一證券の経営破綻の場合がそうだ。記者会見で社長の野沢正平氏が号泣する場面が繰りかえし放映されたから、ああ、あのことか、と覚えておられるかたも多いであろう。ただし誤解なきよう、泣いて謝れば良い、などと言っているのではない。2時間を超える会見の終盤、野沢氏は答弁に窮し感極まって泣いたのである。幸い、会見の雰囲気全体を的確に伝える文章がある。
 まだ駆け出しの新聞記者としてあの会見を取材していた、読売新聞記者(当時)の中村宏之氏が「カレンダーが11月に変わるたびに気になっていた」こととして、会見の模様を文章にしている。昨年5月の記事で、『文春オンライン』で読むことができる。一部を引用しよう。

 会見が2時間も続くと記者たちにも疲れが見え始め、質問も尽きてくる。ただ、まだみんな次の矢を考えているのか、終わりそうで終わらない微妙な空気が会場を支配し始めた。質問するなら今だと思って手を上げた。
 「社員の皆様にはどのようにご説明されるのですか。お帰りになって社内テレビか何かでお話しされるのですか」と聞いた。
 質問を聞くやいなや野沢社長は、「これだけは言いたいのは、私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから」と話し、やおら立ち上がって「どうか社員のみなさんに応援をしてやってください。お願いします。私らが悪いんです」と涙で訴えた。


 社員は悪くありませんから、という言葉が、嗚咽の中ではき出されるさまを、私は忘れることができない。このニュース映像は、 You Tube にアップされているが、ここに引用する気にはなれない。あの記録には、冷やかし半分の覗き見を拒む何かがある。
 当時勤めていた会社でのこと、朝一番顔を合わすなり社長が、観たか? と訊ねてきた。何のことかすぐ察しがついた。私がどんな感想を述べたのかは覚えていない。だが、社長の漏らした一言はよく覚えている。彼はたった一言「山一の社長はとても偉いと思う」とだけ言ったのである。

 1997年といえば、時の内閣総理大臣は橋本龍太郎、彼の前は村山富市、後が小渕恵三。何れも短命内閣で、野党連合とか保守とかの違いがあっても、今のような殺伐とした政治風景ではなかったように思い返される。少なくとも私たち一般国民は、国政なるものにある程度まで無関心でいられた。つまり、一定程度の信頼性があった、ということであろう。


黒川と二人の記者は、何を壊したのか?


 当サイトの『有朋自遠方来』のコーナーに、 ‘月光仮面21st’ さんが『黒川弘務元検事長問題を斬る!』という一文を寄せている。その文章は、黒川のマージャン相手が産経と朝日の新聞記者であったことに触れ、「雨の日も強風の時も新聞は配られる。新聞記者は(配達員の)この苦労が分かっているのか!」と締めくくられている。まさにその通りなのであって、高等検察庁検事長を相手に接待麻雀を仕掛けることの出来るような「上級」記者には、自転車やバイクにまたがる配達員の姿は見えていないのである。

 賭け麻雀は悪い。絶対悪である。掛け金レートが低かろうが、常習性がなかろうが、国会議員の馬鹿どもが議論していたように「程度の濃淡で邪悪さが斟酌される」ようなものではない。定量的にある基準を超えれば悪に転ずるのでなく、定性的に悪なのである。

 しかもこの邪悪さは、博奕をした本人の人格と倫理性を毀損するに止まらない。彼の所属する組織と、その関係する社会的諸関係のすべてに害毒を及ぼす。
 多くの人々が、長い時間をかけ、やっと築き上げてきた「社会的モラルの水準という貴重な成果物」を、無遠慮に破壊するのである。


 黒川と二人の記者は、このことがまったく分かっていない。
 安倍晋三も、森まさこも、分かっていない。

 「社会的モラルの水準という貴重な成果物」などと言っても、この連中にはサッパリ理解できないだろうから、少しばかり説明してやろう。


だれが、法曹界や警察機構を支えているのか?


 黒川弘務は、法曹界や警察機構がどのような人々で支えられているのか、思ってもみないのだろう。
 官憲組織の広大な底辺で、日々国民大衆と接し、国民の安全を確保し国民の信頼を得ることが己の使命と信じて、日々精勤する多くの人たちがいる。黒川には、その人たちが見えていない。

 私は毎朝犬を散歩に連れ出す。山手の方へ行くには国道を渡らなければならない。信号機のある交差点には交番の駐在さんがヘルメット姿で立っている。小学生の通学路に当たっているから、その安全確保のためなのだが、コロナ感染防止のため休校になっている現在でも、時間になれば彼は交差点に立っている。ところが横断歩道のある箇所は歩道の幅が狭く、しかも著しく車道に接近しているので、そこで信号待ちをすると鼻の先を車輌がかすめて行くことになる。だから犬を連れた私は、横断歩道の少し手前で待つことにしている。すると駐在さんは、車輌の途絶えた一瞬の静寂をとらえて「信号が青になれば、横断歩道を渡ってくださーい」と国道越しに叫ぶのである。

 とても有り難いことではないか。車を運転するときは別として、歩行者として街へ出るとき、私などは、いや、たいていの人は、交通安全における遵守事項などほとんど意識していないだろう。だが、あの一言は、そのような我々に、歩行者にも守るべき交通ルールが厳として存在することを思い起こさせてくれる。その、ちょっとした注意喚起のやり取りの、何十回、何百回という積み重ねが、意識の風化を防いでいるのだ。

 この駐在さんは、車輌一台の通行もない深夜でも、青信号を待って横断歩道を渡るだろう。誠にささやかな事例であるが、このような幾多の実直さに支えられているから、 “秋霜烈日” の例えが成りたつわけである。
 そんな、誠実・実直な警官たちの顔に、黒川弘務は泥をなすり付けた。
 そのことに、黒川弘務はまったく気付いていない。


現場の警官たちが耐えているであろう屈辱


 私は極めて従順な男であるから(誰だ、笑っている奴は)、駐在さんに手を挙げて応え、横断歩道渡り終えると、彼と一言二言、言葉を交えたりする。だが、世の中、そのような人間ばかりではない。
 例えば、大阪などの都会では、お上品にふるまうと己(おのれ)の沽券に関わる、などと云った風な、奇妙な美意識に捕らわれている男がたくさんいて(若い頃の私のことではないぞ)、駐在さんからこの様な注意を受けようものなら、
 えーっ、何やて、誰が何した云うねん、文句云うんやったら、人が信号無視してから云えや、このボケ、何や偉そーに、お前とこの偉いさん、賭け麻雀しとったんがバレたそうやないか、ケーサツの偉いさんやったら、博奕したかてお咎め無しで、退職金ガッポ、ガッポ、ポポないないで、わしらヘーミンは道歩いてるだけで文句かいな、阿呆くさ、けったくそ悪ぅ、このあいだ夜中にコンビニへ行っただけで職質くろたわ、お前らそんなに暇なんか、世の中もっともっと悪い奴おるやないか、そいつら捕まえるんがあんたらの仕事やろ、仕事せい、仕事、この税金泥棒 …… 、
 などと、罵詈雑言雨あられ。
 交番の巡査さんは、安倍内閣の閣僚などとは違って、あの黒川さんは検察官で、我々は警察官です、黒川さんと我々とは無関係です、などといった戯けた弁明はしない。唇をかみしめて屈辱に耐えているだろう。

 私は戯れ言を言っているのではない。黒川弘務の賭け麻雀がばれて以来、日本国中で、この様なやり取りが、何十回、何百回と繰りかえされているはずである。何人もの警察官が唇をかんで屈辱に耐え、やり場のない怒りを飲み込んでいる。彼らは耐えることの訓練を受けているから、また、それでキレて暴言を返せば新聞ネタになることを知っているから、なんとかその場は収まる。

 だが、警察官には無礼な国民に対する憎悪が芽生える。食ってかかった男にも、要らぬことに口出しをする役立たずの ‘ポリ公’ に対する憎悪が芽生える。憎悪は呼応しあい、増殖し、伝播し、集団化する。この時「モラル高き国民が、国民に尽くす警察官と、適度の緊張感をもって対峙する」というバランスが崩れる。つまり「社会的モラルの水準という貴重な成果物」が瓦解する方向に向かうのだ。


オイコラ警官


 歴史的に検証する。
 戦前まで、さかのぼってみよう。
 その当時、官憲と国民大衆は、どのような緊張関係のもとにあっただろうか? 
  ‘オイコラ警官’ という言葉があった。文字通りの意味である。警官は街頭で一般市民に声をかけるとき、もしもし …… 、ではなく、もちろん、すみませんが …… 、でもなく、はなから「オイ! コラッ!」と容疑者を尋問する勢いであったことを、端的に表現する言葉である。実際はどうだったのだろう。

 永井荷風『墨東綺譚』(1937年;昭和12年)には、その初めの方に、主人公が警官に尋問を受けるくだりがある。場所は、現在の台東区日本堤一丁目あたり。

 実は此方(こっち)への来がけに、途中で食麺麭(しょくパン)と鑵詰(かんづめ)とを買い、風呂敷へ包んでいたので、わたくしは古雑誌と古着とを一つに包み直して見たが、風呂敷がすこし小さいばかりか、堅い物と柔いものとはどうも一緒にはうまく包めない。結局鑵詰だけは外套(がいとう)のかくしに収め、残の物を一つにした方が持ちよいかと考えて、芝生の上に風呂敷を平(たいら)にひろげ、頻(しきり)に塩梅(あんばい)を見ていると、いきなり後(うしろ)の木蔭から、「おい、何をしているんだ。」と云いさま、サアベルの音と共に、巡査が現れ、猿臂(えんぴ)を伸してわたくしの肩を押えた。
 わたくしは返事をせず、静に風呂敷の結目(むすびめ)を直して立上ると、それさえ待どしいと云わぬばかり、巡査は後からわたくしの肱(ひじ)を突き、「其方(そっち)へ行け。」
 公園の小径をすぐさま言問橋の際(きわ)に出ると、巡査は広い道路の向側に在る派出所へ連れて行き立番の巡査にわたくしを引渡したまま、急(いそが)しそうにまた何処(どこ)へか行ってしまった。
 派出所の巡査は入口に立ったまま、「今時分、何処から来たんだ。」と尋問に取りかかった。


 主人公は手荷物をまとめていただけなのに、警官は、いきなり後から「おい、何をしているんだ」と云うなり、猿臂を伸して(腕を伸ばして)主人公の肩を押えたわけだから、やはり‘オイコラ警官’だったわけだ。ここで警官は、何の虚飾も無く、国家の暴力装置としての本質そのものを体現している。


国民のモラルだってサイテーだった


 これに呼応してか、国民の方もたいそう暴力的であった。私は戦後の生まれ、民主主義の声、喧(かまびす)しきなかで成長したわけだが、成年男子の暴力的なること、なかなか改まることがなかった。
 普段は猫をかぶっていても、宴会などで酔えば必ず喧嘩が始まった。花見や忘年会シーズンの歓楽街における暴力沙汰を、新聞は嘆かわしい歳時記のように伝えていた。通勤電車は満員で、整列して順序よく乗り込むという習慣もなかったから、扉が開くなり、男どもは乗車口に殺到した。女たちだって、年寄り連中だって負けてはいなかった。怒号が飛び、窓ガラスが割れ、子どもなど眼中に無く、小学生だった私は弾き飛ばされてホームに取り残され、ベソをかいていた。小学校は難波高島屋の斜め向かい側にあった。御堂筋を南下してきた車輌の多くは、右に折れて国道26号線方面へ向かうのだが、一部は左折して堺筋方面へ向かう。だが、その道は一車線で、しかも市電まで走っている。だから高島屋の正面あたりから、その一車線に首を突っ込むのに運転手は必死となる。私たちの教室の真下で、車輌のクラクションは終日鳴り続けていた。


国民全体が努力して、少しずつモラルを向上させてきた。


 こんな状況が改善・緩和に向かったのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックが契機であったことに間違いはない。政府・地方行政・教育機関が、そろって「マナー向上」のプロパガンダの旗を振った。私たちは、図画工作やHRの時間をつぶして、次々と標語をひねり出し、啓蒙ポスターをセッセと描き続けた。
 ただし、その中心となった理念(当世風に言えば‘モチベーション’)は、今となってはいささか「恥ずかしい」ものであった。この点はきちんと押さえておくべきだろう。それは、正義でもなく、合理性でもなく、名誉でもなく、ましてや、日本の伝統的文化でもなかった。つまるところ、それは次の一行に集約できる。

 こんな状態を、外国からやってくるお客様に見られたら、恥ずかしいだろう!

 まこと、ルース・ベネディクトが喝破したとおり、我々は「恥をかくこと」に死ぬこと以上の恐怖を感じるのである。

 まあ、それでも良いではないか。それで、男どもが暴力的になることが減り、乗客たちは並ん電車を待つようになり、交通ルールが守られ、静かで塵芥(ちりあくた)のない街になり、何より、子供の存在を大人が気にかけるようになったのだから。歴史を振り返ってみれば、正義や名誉を合理性を振りかざして、物事がうまく進んだ試しはないのだ。

 だが、忘れてならぬのは、これらすべてが、上は政府から下は国民の一人々々までの努力の積み重ねの結果だ、という点である。
 特に、地方行政と教育の現場部隊の努力は、並大抵のものでなかったと思われる。所轄警察や駐在所の警察官たちも同様であろう。それに呼応して、一般大衆もそれなりの努力をしてきた。その結果が、「社会的モラルの水準という貴重な成果物」なのである。



モラルを壊そうとする者たち


 それを、黒川弘務は壊しにかかった。
 いや、黒川だけではないぞ。安倍晋三も、麻生太郎も、森まさこも、国民同士が憎悪しあうシステムを稼働させることで、一部の支持を得ようとしてきた。それでもって「社会的モラルの水準という貴重な成果物」を破壊しつづけて、すでに久しいのである。


 むかし山谷や釜ヶ崎でたびたび暴動が起こった。
 メディアはそれを「騒動」として報道した。私はまだ子供であったが、ニュースに見入る大人たちの心情は、みな一様に、労務者側に荷担していることが手に取るように分かった。

 現政権の人心操作は「社会的モラルの水準」をあの段階に引き戻そうとするものであった。
 そして今回、黒川弘務のしくじりを奇妙に擁護することで、さらにその歩を進めたのである。

 黒川弘務よ、これがお前の犯した罪だ。 辞任して済む話か?
 話は、まだ終わらない。
 これまでの話は、 ‘緊急事態宣言下の賭け麻雀がバレた’ という、お前の「ちょんぼ」の話だ。
 いままで、おまえが意図的に政権中枢とつるんで仕組んだきた数々の悪行に関しては、まだ話していない。

 ちなみに、「ちょんぼ」とは、麻雀の『錯和』(ツォーホー)からきた言葉で、「いいかげんなことをすること、間違いをすること」の意味だと、辞書には書いてある。知ってた?

  −−【その7】了−−  



   
     
 『カルロス・ゴーン vs 東京地検』 Topへ